修学旅行のような実習生活 後編
心荒む冬の寒さも徐々に和らぎ出してきた。
新緑の淡い春の芽吹きにはまだ早いが、冬も終わろうかという時期になっていた。
冬休みには様々なことがあったが、ワイン学科も後期に入り大きな変化があった。
NZというよりもこのような学校はやや特殊で、入学も卒業もキッチリと決まっていない。
それ故に、前年の後期から一足先に入学していた2名はカリキュラム修了と同時に卒業していた。
元々6名であったこのクラスも残り3名というさらに少数となった。
レクシーベル似のアメリカ女子キーラと悪人顔ウェインが僕とともに残っている。
しかし、何の気まずさもなかった。
邪念の消えた僕は賢者のように勉学に没頭していたからだ。
ワイン造りを中心とする前期であったが、後期からは座学が多くなった。
座学以外にも他の学科と合同で、トラクター講習やチェーンソー講習、ATVと呼ばれる4輪バギー講習などなど、様々な農業機械を扱う講習が行われた。
日本に戻ってきてからも土壌診断やチェーンソー、トラクターなどの講習が実際に役に立っている。
さて、そんな後期も順調に日々が過ぎ去っていった。
そして、ある金曜日の帰り際のことだった。
「来週はホークス・ベイに実習旅行だぜ、ウェーイ!」
ワイン学科の担任講師チャラおじさん風ブレントは、誰よりもテンション高く目を輝かせている。
初めての僕たちにはよく分からないが、毎年経験しているブレントは学校の仕事で一番の楽しみだという。
ホークス・ベイ、僕たちが通っている学校のあるギズボーンからやや南へ200km強に位置する地方である。
日本で例えるなら、新宿~長野市ぐらいの距離になる。
ホークス・ベイはNZで二番目に大きいワイン産地で、中心都市はティッシュペーパーで有名なネイピアだ。
なぜそこに行くのかというと、そこに僕たちの通う学校の本校がある。
そこでブドウの生理学を学ぶわけだが、その実験設備がそこまで行かないと無いからだ。
精度の高い実験設備を整えるには、莫大な費用がかかる。
生徒数の少ないギズボーン校でそこまでの費用をかけるぐらいなら、本校にまとめてやって来る方が安上がりというわけである。
ついでに、別の産地について実際に目で見て、地元の生産者たちと直接交流できる機会も大事な学びになるだろうということもある。
この期間はほぼ1週間、月曜日に向かって金曜日に帰宅となる。
そうして、週末に荷物をまとめ、月曜日の早朝となった。
「よう、起きてたか? 行くぜ、ヒャッホーイ!」
ブレントの運転する学校のマイクロバスに乗り込むと、すでにキーラは乗り込んでおり、ニコリと挨拶を交わす。
荷物を置くと12本ボトル入りのダンボールもちゃっかりと鎮座していた。
ウェインは、ホークス・ベイに住む彼女宅にすでに先にいるという。
こうして僕らは愉快な運転手による修学旅行のような珍道中が始まった。
ギズボーン郊外の大農場を通り抜けると近隣の海ポバティ・ベイの淡い青を左手に眺めながら順調に街道を走り抜ける。
NZのシンボル・濃緑のシダ植物の生い茂る山道に入っていく。
ワインディングロードも苦も何も無く過ぎ去ってしまう。
薄暗い山を抜ければ、一気に視界が広がる。
鷹が翼を広げたような形をした湾であることからこのような名前がついたホークス・ベイ地方に入った。
ここからは陽光を照らす明るい海岸線をひたすら走る。
見晴らしの良い青は再び山の緑に移し変わり、これを走り抜ければ、ホークス・ベイの中盤は過ぎる。
やがて最初のブドウ畑が目に入るとワイナリーの看板も見えてくる。
新たなワイン産地に足を踏み入れたことに気分が高揚する。
爽やかな風が農村地帯を過ぎ去れば、久々の都会にやってきた。
ネイピアは第二次世界大戦以前に流行したアールデコ調の街並みが特徴で、街としても芸術性のある景観に力を入れている。
久々に現れた信号で停車し、車が道に並ぶ。
日本ではありふれた光景だが、NZの地方都市では中心部近くでしかお目にかかれない光景だ。
ちなみに、ネイピアはNZ9番目の都市だが、人口は7万人にも満たない。
こうしてさらに進み、ネイピア郊外にやってくるとついに到着した。
「わぉ! 超キャンパスじゃん!」
キーラがギャルっぽく大げさに反応するが、僕も正直に同じように思った。
都市部に近く開けて洗練された感じ、一般的に想像されるマトモなキャンパスライフが送れそうな雰囲気だ。
「やあ、久しぶりだね? 良い旅だったかい?」
と、入学時に会った初老紳士風ティムと久しぶりの再会だ。
ここでブレントと交代し、ワイン学科のエリアを案内してもらった。
ウェインもここで合流した。
ワイン醸造の設備は意外にもギズボーンキャンパスの方が大掛かりでしっかりとしていた。
校舎の目の前にあるこじんまりとしたブドウ畑、基本的な授業をしていくだけならばちょうど良いのであろうか。
比べるとオモチャみたいな設備である。
本校の方はどちらかといえば、学術的な面を重点的に学ぶらしい。
本校の方は2年の学科なので、学歴という面であればこちらの方が上になる。
実務的というのとはまた別の話なので、どちらを選ぶのかは良し悪しなのだろうと思う。
そして、一通り案内されると白衣を着た婦人を一同に紹介された。
薬指にはキラリと光る指輪がある。
どちらにせよ、賢者状態の僕は何者にも惑わされることはない。
今後の予定を聞き終わり、授業の資料をもらうと早々に初日は終わった。
他の講師と話をしていたブレントは僕たちに気が付くと声をかけてきた。
「お? 終わったか、じゃあ行くぞ!」
と、駐車場に止めていたマイクロバスに乗り込むと、コストコ並みの大きさの一般小売スーパーへ食事の買い出しだ。
これらもカリキュラムの経費なので、自腹を切る必要がないのだ、ブレントも。
ここで食料を買い揃えると宿へとやってきた。
学校からさほど離れていないホリデーキャンプ場だ。
実質、ファミリー向けのグランピングのような建物を1棟である。
3LDKのまさに家だ。
「ええ! 超すごい!」
「そうだろ、そうだろ? じゃあ、飲むぞ!」
荷物を運び入れて早々、ブレントは持ってきていたダンボールからボトルを取り出す。
ワイン造り実習で完成したヌーヴォー、スクリューキャップをひねって備え付けのワイングラスに注いでいく。
「うん、若い。だが、フレッシュ&フルーティーでスッと入ってきて美味い!」
ブレントはワインの専門家らしく饒舌に語りながら、スーパーの袋からステーキ肉のパックを取り出す。
そして、キッチンコンロに火を点け、備え付けのフライパンに油を熱してステーキを焼き出す。
さらにもう一つのフライパンにソーセージを並べ、オーブンにはチップスを投入する。
「あ、オレ、彼女んちに帰るんで」
と、ウェインは早々に帰っていったが、僕たちは構わずに飲み食いを続けた。
ブレントも調子に乗って次々とボトルを開けていき、キーラもウワバミのようにグラスが進む。
気が付けば初日に3本以上も空いていた。
しかし、次の日は意外にも誰も二日酔いになることもなく授業に出発だ。
ブレントの運転する車で本校へ行き、ブレントはキャンプ場に戻って書類仕事をするらしい。
ランチは本校の生徒に混じって売店でサンドイッチを買って芝生で横になる。
ちょうど良い青空、NZは晴れれば冬でも陽射しが暖かいので外でも過ごしやすいのだ。
昼休みが終われば、また授業があり、夕方になれば終わる。
実験設備以外は本当にごくありふれた授業の風景であった。
授業が終われば、ブレントの運転でホークス・ベイのワイナリーへと繰り出す。
NZを代表する有名ワイナリーは大体見て回った。
ブレントがワイン学校関係者だと言って学校で造ったワインを手土産にしてあげれば、ワイナリー側も気前よくワイナリー見学をさせてくれる。
各ワイナリーは、それぞれ独自の特徴があって面白かったが、今回は前半に紹介したトリニティ・ヒルでの出来事を少しだけ語ろう。
ブドウ畑に出迎えられる打ちっぱなしコンクリートの外観のワイナリーにやってきた。
すぐに中へと入ると樽をオブジェにしている小洒落たセラードアがある。
大きなはめ殺し窓から醸造所内の様子が僅かに見ることもできる。
バーカウンターで気になるワインをテイスティングし、気に入ったワインを買って帰る。
これだけでも観光としてはそれなりに楽しめるだろう。
だが、ここからが本当の見学実習だった。
一度車に戻り、ブドウ畑の広がる道を少し走る。
そして、畑の中へと入っていった。
「やあ、ウォーレン!」
「ブレント、待ってたよ?」
と、初老の男が先にいた車から出てきた。
ウォーレン・ギブソン氏、トリニティヒルのチーフワインメーカーでNZを代表する醸造家の一人だ。
感じよく挨拶を交わし、早速この地区ギンブレット・グレイヴェルについて説明してくれた。
この地区はホークス・ベイの最高級ワインを生み出す土地で特殊な土壌をしていること、その理由は砂利質で水はけが良すぎる。
それ故に、灌漑設備が必須となるが凝縮感のある質の良いブドウが少量取れるというところにある。
他にも様々な要因があるが、ここではこれぐらいにしておこう。
しかし、このような地区であるが、実は歴史が浅い。
近年まで農業をするには不向きと考えられ、大規模倉庫や採石場、果てはゴミ処理場も検討されたこともあった。
だが、とある地質学者がワインブドウに可能性を感じてストーンクロフトというワイナリーを設立したことが大きな転換点になった。
トリニティヒルも初期の段階でブドウ栽培を始めた先駆者の1つで、その後も多くのワイナリーがやってきて認知されるようになったという。
僕はこのような話を聞いていて、内側から何か熱いものが込み上げてきた。
何事も始まりは好奇心と挑戦であった。
どれだけデータを集めて計画を立てたところで、必ず成功する保証はどこにもないのである。
それでもリスクを承知で新たな挑戦をすることで、ドラマが生まれるのだ。
この当時の僕は一介の学生に過ぎなかったが、まだ見ぬ何かを掴もうと歩み始めた時期だった。
ワクワクが止まらないほどの大きな刺激や人生観が覆されるほどの衝撃を受けること、これが旅の最大の醍醐味ではないだろうか?
この夜もまた、僕たちは飲み明かした。
子供みたいに羽目を外してはしゃいでいるオジサンのブレントも、元は大ワイナリーでトップにいた男である。
やるべき時にやる男だと、ワイン造り実習の時に見せてくれた。
たとえ教員だろうが、オフの時に成人の学生とバカ騒ぎして何が悪い?
僕は教職こそ大いに遊ぶべきだと思う。
身近にいる大人が、子供たちに大人になることの楽しさを見せてやるべきなのだ。
キーラとは気まずい関係になってもおかしくなかったが、別の環境で共に旅をすることができ、同級生としてのより良い関係を築けたと思う。
酒を飲み交わすことが人間関係の潤滑油になることは、宗教上の問題さえなければ万国共通なのである。
そして、旅もまた人生を豊かにしてくれる。
ワイン造りという茨の道を選んだが、それでも良い人生だったと思えるそんな旅路にしたい。
この当時を振り返りそう思った。
PART4 完
神の血に溺れる~Re:キャンパスライフPART4 出っぱなし @msato33
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