野球選手人生

青いひつじ

第1話

高校3年、夏。

僕は、太陽の下、弧を描き落ちてくる白い球に両手をかざした。


「集合!」


掛け声が聞こえると、選手たちは一瞬で集まり円になる。



「3年にとって、最後の戦いだ」



監督の言葉の後、僕は水場へと向かった。

顔を洗って気合を入れるためだ。

父からの御守りを強く握り、グランドへ戻ろうとしたその時だった。



「タスケテ、、、タスケテ、、、」


茂みの中から、小さく、か細い声が聞こえた。

迷子の泣き声だと思った僕は、近くにいた警備員を呼びに行こうとした。


「マッテ、、、ココニキテ、、、」


その場を離れようとした僕を、また、か細い声が呼び止めた。

僕は、恐る恐る近づいた。そこにいたのは、スズメだった。よく見ると、フェンスを這う蔓に、足が絡まっていた。



「アナタ、、、コレヲ、、、トッテ、、、」



「君、会話ができるのかい」



「ソウダヨ、、、ハヤク、、、トッテオクレ、、、」


僕はどれくらいの力で触れていいか分からず、雪に触れるようにそっとスズメを包み込み、絡まっていた蔓を外した。



「アリガトウ。タスカリマシタ。オレイニ、アナタノネガイヲカナエテサシアゲマス」



こんな昔話があった気がするが、これは夢だろうか。緊張のあまり、変な幻覚でも見ているのだろうか。

ほほをつねってみたが、確かに痛い。夢ではないようだ。



「なんでも叶えてくれるの?」


「エエ、ドンナコトデモ。ユメデモ」


「僕の夢?」


「アナタノユメヲオキカセクダサイ」


「じゃあ。僕は、野球選手になりたい。この夢を叶えてくれるのかい?」


「カシコマリマシタ。アナタノユメヲカナエマショウ」



スズメの恩返し。

そんなことがあるのだろうか。

もしかしたら、あのスズメは、天国の父が僕の背中を押すために送り出した、天の使いかもしれない。

いろんな考えが頭の中を駆け巡ったが、僕は目を瞑り、深呼吸をして、グランドへ戻った。




僕たちは、強豪校ではなかった。

しかし、今回は不思議な運も手伝って、ここまで勝ち進むことができた。

現在、9回裏ツーアウトスリーボールツーストライク。

ここを抑えればベスト8進出が決まる。僕は左ポケットに手をかざす。

カキーンと鉄の音が響き、僕は、太陽の下、弧を描き落ちてくる白い球に両手をかざした。






最後の試合、僕たちはサヨナラ負けに終わった。

僕は、大学進学に向け、勉強をしながら、息抜きに素振りをする毎日を過ごしていた。

数週間後、信じられないことが起きた。

僕が、育成ドラフト選手に指名されたのだ。

僕はあの日のスズメを思い出した。

もしかしたら、本当に、あのスズメが夢を叶えてくれたのかもしれない。


もともと、コツコツと影で努力をするタイプだった僕は、またまた不思議な力に背中を押されていった。

2年後には支配下選手に再登録され、一軍の試合に出場するようになったのだ。

試合に出だしてからは、プレーや記録だけではなく、僕のルックス、トーク術が話題になっていった。

僕はたちまち、CM、スポーツ番組、バラエティに引っ張りだこになった。

野球選手ではなくタレントだと揶揄する人間もいたが、特に気にしなかった。


僕の野球選手人生は順調に進んでいった。

そして、45歳を目前に引退を発表し、僕はタレントへと転身した。



送りの車から降り、タワーマンションを見上げる。

選手人生もなかなか悪くなかったと思う。

間違いなく、野球選手になることが私の夢だった。確かにその夢は叶った。

しかし、このモヤモヤした気持ちは一体なんだろう。

これは僕の夢なのに、僕の夢ではない気がした。



マンションの入り口に足を踏み入れた時、あの声が聞こえた。



「オヒサシブリデス」



玄関灯にスズメがとまっていた。



「スズメ、これは君が叶えてくれたんだよね」



「ソウデス。カナイマシタカ」



「よく分からんな」



「ソウデスカ、、、」



スズメは少し悲しそうに、青い空へ消えていった。




その夜、高校時代の友人から連絡があり、久しぶりに会うことになった。

彼とは、10年ぶりの再会だった。

お互い45歳を目前に、いい感じのおじさんになっていた。



「久しぶり。テレビで見てるよ。順調そうでなによりだ」


「おう。最近は、何してるんだ」


「俺は今、少年野球のクラブチームで子供達に教えてるよ」



彼の話は聞けば聞くほど楽しそうで、その瞳は僕のなんかよりも何倍も輝いて見えた。

テレビで華々しく活躍し、タワーマンションに住み、高級車に乗る僕よりも、いくぶんも幸せそうに見えた。



モヤモヤの正体はこれだ。

この時、僕は気づいたのだ。


僕の夢は野球選手になることではなく、ずっと野球をし続けることだったのだと。   



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