第33話 文化祭③
キャピュレット家の屋敷で、その家の一人娘のジュリエットを探すようにと夫人から命じられた乳母が声を張り上げる。
「ジュリエットさまー?」
「はーい!」
私は元気よく返事をして、舞台に上がった。
観客の目は天真爛漫なジュリエットに釘付けになったようだ。私の一挙一動を好意的な視線で見つめられているのがわかる。
「……ジュリエット、可愛い」
ほう、と溜息をもらすように観客の女性の呟きが聞こえた。
女性版怪盗ヴェールで可愛く演じるのは慣れているはずだったけれど、生の声をもらえた私はさらに調子を良くした。
「おおロミオ……なぜあなたはロミオなの?」
バルコニーで私が手を伸ばしながら言う。その先にはロミオがいた。
「ジュリエット!」
ジュリエットが無垢な笑顔を浮かべると、観客は顔をほころばし、悲痛な叫びを上げると、誰もが同情して胸を打った。ジュリエットと共にいるロミオを見ると、この先に不幸が待っているにもかかわらず、幸せを願ってやまないのだ。
そして、大盛況で幕が閉じた。
役ごとに舞台の前で挨拶していく。
「俺たちの出番だな」
ロミオ役の胸に響くような声に、私は背筋を伸ばした。二人で連れ立って舞台に上がるように事前に打ち合わせをしてあった。
「行きましょうか」
「はい!」
ロミオが手を差し出してくると、私はそっと手を重ねた。
主役の二人が舞台袖に現れると、拍手が大きく鳴った。
全員で息を合わせて深く一礼し、舞台から戻った。
それでも拍手は鳴り止まない。
「……カーテンコールだ」
部員の一人が呟いた。
秋山さん、舞台に戻って挨拶してきてね!」
「はい」
どこか誇らしげに言った有岡先輩に、私はしっかり頷く。
今度は主役が一人ずつ登場した。
私は優雅にドレスを揺らしながら歩く。
「キャー! ジュリエット可愛い!」
「素敵!」
すっかりジュリエットのファンになった、女性たちから歓声が飛ぶ。
女性からの黄色い声は、男性版怪盗ヴェールでよく聞いたものだ。女性役でもファンになってもらえるとは……彼女たちの反応が嬉しい。
ロミオと一緒に私が腰を屈めて挨拶すると、拍手が大きく鳴った。
その後、ロミオが手の平の先を私に向けた。
……私!?
周囲を見渡すと、部員たちは笑顔を浮かべながらコクコクと頷いた。
思わぬサプライズに戸惑いながら、再度一礼する。すると、大きな歓声と拍手が贈られた。
代役をしっかりと果たせたのだと私は確信した。
その後、演劇部の控室として割り当てられた教室に入ると、私は部員から取り囲まれた。
「今回の立役者は秋山さんね。急にお願いしたのに、ありがとう」
「どういたしまして。私も久々に皆と演じて楽しかったです」
「……この機会に、演劇部に戻るつもりはない?」
有岡先輩はすかさず誘ってくる。高校一年生の頃から熱心に勧誘されていたけれど、ずっと断り続けていた。でも、最近は諦めたようで、有岡先輩の勧誘は久々に受けた。
しかし、返事は決まっている。
「ごめんなさい」
家業の怪盗があるから。部活動に入っている暇はない。
「そっかぁ。残念! こんな素晴らしい演技を、もう一度舞台で見てみたかったんだけどなー」
断られると最初からわかっていたようで、有岡先輩は悔しそうな顔をしながらも吹っ切れた顔をしていた。
「すみません。今は他のことに夢中になっていまして」
「他のことって?」
私はクスリと笑うと、人差し指を口に当てた。
そして、有岡先輩の耳元に低音ボイスでそっと囁く。
「それは、秘密です」
「秘密……!」
有岡先輩は私の男モードの色気に当てられたようで、気を失った。
「キャー! 夏美さん!」
力が抜けた有岡先輩は、部員に抱えられている。
嘘をごまかすつもりが、少々やり過ぎた。倒れたまま医務室に運ばれていく。
そして、遅れて控室に入ってきた部員が一人。
「すみませんでした……ってあれ?」
ジュリエット役と思われる女子生徒が戻ってきた。今しがた運ばれていった有岡先輩を見て間抜けな声を出した。彼女の出番はもう、ない。
メイクを落として着替え終わると、健太がロビーで待ってくれていた。
「健太お待たせ」
「お疲れ」
健太は本から顔を上げて、鞄に本をしまいこむ。
「素晴らしい演技だった」
「あ、ありがとう」
嬉しい。これ以上の褒め言葉はない。素直に褒められると思っていなかった私は嬉しくなる。
「普段は猿みたいなのに、衣装が違うとお淑やかに見えるんだもんな」
「……一言余計ね」
褒めているのか、けなしているのか。
私はジト目で健太を見つめる。
「でも、楽しかったよ。久しぶりに皆と演じて」
「そうか、なら良かった」
「だって、役のある人だけじゃなくて、衣装や舞台道具、裏方の人も皆で作ってきたものを無駄にしたくなかった。飛び入りだったけれど、参加できて光栄だったよ」
「そうだな……秋山のおかげで、積み上げていったものが無駄にならなくてよかったな」
「健太から褒められることはなかったから、なんだか調子が狂っちゃうな」
気を抜いて背伸びをしていたら、健太から驚きの一言が飛び出した。
「……秋山が演じるジュリエットを見ていたら、ふと怪盗ヴェールを思い出した」
「……怪盗ヴェール!? どうして?」
ギクリ、と息が詰まりそうになりながら問いかける。軽く笑い飛ばすことで、動揺を隠し通す。
「あいつ、芝居がかったところがあるから、それは馬鹿にされているみたいで気に食わなかったけれど、演劇っぽい動きをするんだなと思っただけだ」
怪盗の女性バージョンの動きは雑誌モデルをイメージして、多少はオーバー気味に動かしている。健太の分析は本質を突いている。
体育館の外ではミスコンが行われていて、扉越しにポップな音楽と歓声が聞こえる。
「外に出るか」
「うん」
日はもう落ちかけていて、露店は片付けが始まっていた。体育館で行われる後夜祭で、文化祭は締めくくられる。
夕方の風は、コートを着ていても少し寒い。
健太は何か言いたそうに私の顔を見た。
「どうかした?」
「一緒に文化祭を回れて楽しかった」
「うん。私も楽しかったよ」
文化祭を一緒に回れて良かった、と改めて思う。
ミスコンの順位発表も終わっているようで、校舎内に人影は見当たらない。きっと後夜祭のために体育館に集まっているのだろう。
「じゃあな、秋山」
健太は校舎の玄関前で足を止めると、私に背を向けた。
「うん、じゃあね」
別れの言葉を告げると、私は背を向けて校門へと足を向ける。しかし、すぐに後ろから健太に呼び止められる。
「秋山!」
振り返ると、健太が私を真っ直ぐ見つめていた。その表情からは何も読み取れず、私は首を傾げた。すると彼は息を漏らした。
「今度、二人で出かけよう」
「えっ……!?」
「嫌なら断ってくれていい。ただ、二人で文化祭を回って、秋山との時間が楽しかったから……また、一緒に出かけたい」
健太は言いにくそうにボソボソと話す。私は呆然として彼を見つめることしかできない。
「……じゃあな」
健太はもう一度私に別れの言葉を告げると背中を向けた。その耳は赤くなっていた。私はしばらくその場に立ち尽くしていたが、ハッと我に返って歩き出す。
顔が熱いのはきっと、文化祭でずっと立ちっぱなしだったから。
家に着いてからも、心臓の鼓動が速かった。
久しぶりに感じたこのドキドキはなんなのか、私はまだ知らないふりをした。
並木道のライトアップが始まり、遠くから講堂の後夜祭の盛り上がる音が聞こえてきた。
【第二章完結】怪盗ヴェールは同級生の美少年探偵の追跡を惑わす 八木愛里 @eriyagi
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