陥れられたエリート

春香のぞみ

第1話

 前日の大雪は止んだものの、大学のキャンパスには雪がまだかなり残っている。駅に向かう並木道の雪はだいぶ溶けたが、それが凍り始めている。今日は快晴であるが、冬の弱い日差しでは残った雪を全部溶かすことはできなかった。職員さん達が雪かきしてくれたものの、歩くとスケートリンクのように滑る。

 雪は白くて綺麗だが、地面に残った雪には靴底の跡が付いていたり、土と混ざって茶色くなっている。こんな日は快晴でも寒い。道に残った雪が気温を下げてしまう。


 そんな外の冷気とは関係なく、講義棟のゼミ室では、隆志が後輩たちに熱いレクチャーを行っていた。合格者による講義とあって、司法試験サークルのほとんどの者が彼の講義を傾聴していた。


 「では今日はここまでにします。次回までの課題として、民法の昨年の短答過去問1~10問をやっておいてください」


 隆志はパワーポイントのスライドを閉じ、軽く一礼した。30人くらいの学生たちも一斉に会釈し、荷物をまとめ、「今日、寒いよな~」「課題全部できるかなあ?」などと口々に言いながら、部屋を出ていった。


 そのなかで真ん中あたりに座っている1人の女子学生だけは、いつまでも部屋に残っていた。ゆっくりテキストやノートを閉じ、カバンにはまだ入れず、複数冊の本の角を几帳面に揃えている。わざとゆっくりしているようにも見える。


 隆志はパソコンの接続をプロジェクタから外し、本をカバンに入れ、黙々と帰る準備をしていた。とうとう部屋には隆志とその女性だけになった。


 長い黒髪を束ねずに肩の下まで伸ばしている。かなり手入れされてようで、一本も乱れていない直毛がピカピカと光っている。地肌は白くはないが、ファンデーションを厚く塗っているので色白に見える。目のつり上がったきりっとした顔である。


 隆志は彼女の顔をこの講義で最近見かけるようになったが、名前は知らない。多分まだ1年生であるが、このサークルに入って以来、一度も休まずに熱心に講義を聴いている。


 2人だけ部屋に残ったので、隆志は彼女に話しかけるべきか迷った。沈黙の中、2人が片付けをする音だけが響くのは気まずい。その沈黙を破り、

 「先輩、お手伝いしましょうか?」

と彼女は近寄ってきてプロジェクタを取り外そうとした。

 「ありがとう。でも大丈夫だよ。これはまた次の講義で使うから、『そのままにしておいて』って教授から言われたんだ」

 「そうですか」

 彼女は残念そうに言い、他に何か手伝うことがないかを探し始めた。


 「もう遅いからみんなと一緒に帰った方がいいよ。外はもう真っ暗だし、雪で滑るし。今ならまだみんなに間に合うよ」

 「はい、でもちょっと民法のところで質問があるんですけど・・・」

 「ああ、ゴメン。質問はメールくれるとありがたいな。特に民法は説明が長くなるから、文章で答える方がわかりやすいんだ。それに今日、もう遅いしね」

 「そうですか~。わかりました。じゃあ失礼します」

 彼女は大げさに残念そうな素振りを見せて、本などをサッとカバンに詰め込み、急いで部屋を出ていった。


 「ちょっと冷たかったかな? でも仕方ないよな。ここで質問を受けていたら、すごく遅くなる。女の子と部屋に2人で夜遅く居るのはまずいし。彼女だって夜道を帰るんだから」

 彼女が部屋を去って行くとき、少しツンケンした感じがしたので隆志は気になった。怒っていると思われても仕方ないくらい、あっさりと帰ってしまった。


 「彼女からメールが来たら、丁寧に答えてあげればいいさ。そうだ、これから講義の最後に質問タイムを設ければいいな。そうすればこういう不都合は起こらない」


 隆志は次回からの講義の段取りを考えながら部屋を出た。「少し講義を早めに終わらせて、質問時間を10分設けて・・・」と考えながら講義棟を出ようとすると、出口には彼女が立っていた。


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