ソムリエる
横館ななめ
ソムリエる
山間の大野村役場の会議室は重苦しい空気に包まれていた。窓の外は、山を覆いつくすような蝉の大合唱だったが、なぜか会議室の中に蝉の声は微塵も届かず、聞こえるのはエアコンの送風の音だけだった。
「黙り込んでいても、何も解決しない。何でもいいから、意見を言って欲しい」
係長の村井が、会議室に集まった政策課政策係のメンバーの顔を見回しながら言った。
村井を入れて5人のメンバーが顔を突き合わせて議論しようとしているテーマ、それは、地方自治体にとっては定番中の定番、地域振興だった。定番の課題であることの所以でもある、正解のない永遠の課題に、今更このタイミングで緊急で取組む必要が出てきたのは、3か月後に選挙を迎えた村長の思い付きと焦りからだった。
村長さんというと、県知事や市長と比べると大した権力もなく、優しいおじさんが務めている印象があるかもしれないが、実際にはその真逆で、束ねているのが小さな社会なだけに、村民や村役場員の日常生活に対する影響力は、実は県や市のそれとは比にならないくらいに大きい。
それだけに、村長から直々に指示を受けた村井のプレッシャーは並大抵のものではなかった。そして、そのことが、この会議に悪い方に影響していた。
このときの村井の発言も、解決を補助するものではなく、逆に場の雰囲気を一層重くしただけだった。だが、その重みが閾値を超えたことで、本来の課題を解決しようというよりも、この場を何とかしなければならないというモチベーションが起動した。
「まあまあ、係長。そう、大上段に構えられると、若い奴らは言いたいことも言えなくなっちゃうから、ここはもう少しもうちょっと軽い感じでやりましょうや。そういや事務所に去年の秋祭りのときのお神酒がまだ余っとったから、一杯ひっかけながら賑やかに話し合うっちゅうのはどうじゃろうか?」
来年定年退職を迎える、兼業農家の笹野だった。
「笹さん、さすがに役場で昼間から酒はまずいでしょう」
中堅の松野が突っ込むと、笑い声こそ上がらなかったものの、場の空気は少し緩んだ。すると、場の変化に感化されたのか、係一の若手、大卒三年目の小林が切り出した。
「お酒で思い出したんですけど、ソムリエはどうでしょうか?」
「ソムリエ?ソムリエって、あのワインの鑑定士みたいなやつか?でもコバ、うちにワインなんて、ないだろう」
「いえ、元々はソムリエはワインの鑑定士という意味ですが、今はワイン以外にも、その専門知識を試験して、合格したら〇〇ソムリエみたいな名前で認定するみたいな流行があるんです。この間も、何かの雑誌で読んだんですけど、どこかの村が、特産の柑橘類の果物、たしかみかんソムリエみたいなやつを始めたって」
「それが村おこしにどう繋がるんだ?」
小林の説明を聞いていた、村井が問いかけた。
「雑誌には、ソムリエ検定を始めることが話題になって、特産物について広く知ってもらうきっかけになる。とか、興味を持ってくれた人が特産物について勉強することで、ファンになってもらえるみたいなことを書いていました」
「なるほど、そうすれば特産物のPRになるし、特産物の人気が出れば、村を訪れる観光客も増えるかもしれないな。それで、ソムリエ検定って言うのは、具体的にはどんな風に実施するんだ?」
「ちょっと待ってください、僕もそこまで詳しくないので」
村井の質問に、そう答えながら、小林は手元に置いてあったパソコンのブラウザで検索を始めた。
「えーと、特産品ソムリエ検定のポイントは大きく三点ですね。まずは、その特産品に関する知識。これは、歴史とか特徴とかに関してで、筆記試験ですね。その次が、目利き。これは実技試験で、特産物の良し悪しや、違いを見極められるかどうかを試すと。それで最後が表現。これも実技試験ですが、主にプレゼンテーション形式で、特産物の良さを言葉で伝えることができるかどうかを問うテストのようです」
「ああ、ワインの、これはスミレの香りがしますね、みたいなやつな」
少し茶化すような口調で松野が補足した。
「そうか、つまり特産品ソムリエを募集することで、特産品ファンになってもらうと同時に、特産品ソムリエにさらに特産品の良さをPRする伝道師になってもらうというわけだな。なかなか良く考えられてるなあ・・・、ところで、うちの村の場合だったら、ソムリエ試験の対象になりそうな特産物ってなんだ?」
「係長の言う通り、そんな大層な食べ物なんてないわな。あれば、最初からこんな会議しとらんわけじゃから、ははは」
笹野がのんきに笑っている間も、小林はパソコンのキーボードをたたき検索を続けていた。
「あ、でも、別に飲み物や食べ物じゃなくても良いみたいですよ。タオルソムリエとか、和櫛ソムリエなっていうのも、あるみたいですから」
「タオルソムリエぇ?コバ、なんだよ、それ。タオルの歴史・目利き・表現を試験するとでもいうのかよ・・・・って、あれ、駄目出ししようと思ったけど、考えてみれば、ソムリエ検定の構成を考えたら、別にタオルでも全然問題ないな。種類や歴史はあるだろうし、品質も違うだろうから目利きもできるか。表現は・・・、スポンジみたいに水を吸いますみたいに、これまたできなくないな」
「私も、今、松野と全く同じことを考えていた。タオルの特長を伝える表現が、スポンジはどうかと思うが。まあ、ともかく、食べ物以外にもそのソムリエ作戦が使えそうなことは分かった。だが、そうなってくると、わが村の特産品と言えば・・・、」
「木綿」
最後は四人の声が揃った。
「やっぱりそうなるよな。うちの木綿の生産量は全国でも五本の指に入るし、たくさんある木綿の品種の中で、品質だって松坂の知多木綿と並んで最高級と言われてるくらいだから、うんちくだってあるだろう。コバ、タオルが良いんだから、別に木綿検定だってありなんだろ?」
「はい、それはありだと思います」
「でも、どうなんじゃ、そもそもソムリエとか何だかいうやつが儂にはよく分からんのじゃが、木綿の目利きっていうのはワインだかタオルだかと比べたら、ちょいと地味じゃぁないのか?」
「笹野さんがおっしゃる通り、たしかに、なんと言うか、インパクトは弱いな。それに、表現するにしても、対象が素材となると、奥行きが不足してくるようにも感じられるか」
「でも、村井さん。木綿以外にこの村の特産物ですって胸を張って言えるようなもんなんてないですよ。なんだよ、良いアイデアだと思ったのに、振り出しかよ・・・」
松野が天を仰ぐと、会議室は元通りの静寂に包まれた。
「あ!!」
しばらく続いた沈黙を打ち破ったのは、小林の素っ頓狂な叫び声だった。
「なんだよ、コバ!びっくりさせるなよ。村井さんとか俺は良いけど、笹さんがぽっくりと逝きでもしたらどうするんだ」
松野のクレームを無視して、紅潮させた顔で小林は続けた。
「木綿ではなくて、木綿の女性用下着ならどうでしょう?」
「どういうことだ。小林、説明してみろ」
「はい。考えたんですけど、素材としての木綿をソムリエ検定の対象として考えると、さっき皆さんがおっしゃったような、課題が出てくると思います。でも、製品としての女性用木綿下着なら、その課題が解決できるんじゃないかと思うんです。
まず、知識ですが、木綿の知識に加え、女性用下着に関する知識も問えるようになります。それに、この村は木綿の産地ということもあり、国内でも有数の女性用下着メーカー、イコールの創業の地です。その辺りの歴史にまで範囲を広げれば、かなり学習意欲を刺激する問題が構成できるようになると思います」
「そうなりゃ、イコール様から、賛同金もいただけるかもしれないな」
「松野さん、それありです。企業の協賛っていう例もさっきのホームページに出てました!」
「官民連携か。その可能性も面白いな。他の二つはどうだ?」
「目利きも、木綿から女性用木綿下着に変わることで、機能性やデザインといった項目が加えられます」
「機能性とかデザインって言われても、儂にはピンとこんが、木綿より木綿の女性用下着の方が華やかになることは間違いないわな」
「ただ、最後の表現が・・・、ここまでは正直勢いで話してたんですけど、実はあまり考えがまとめっていないというか、イメージが湧かないんですよね・・・」
急にトーンダウンした小林の言葉を、松野が今度はすぐに拾い上げた。
「ソムリエの表現って言うのは、要は、それを使ったことがない人にもその製品の特長を分かりやすくかつ魅力的に伝えればいいんだろ。そんなの簡単じゃねえか。たとえば、色合いなら早朝の雪原を思わせるような純白とかさ。使い心地なら、ハンモックのように乳房を優しく包み込んでくれるとか。肌触りだって、まるでシルクのような滑らかとか、そういうことだろ。そんなのいくらでも考えられるだろ」
「なるほどですね!木綿でシルクのようなは、NGだと思いますけど、イメージは湧きました。それなら匂いもいけますね。干したてのブランケットみたいな香りとか」
「火照った身体の香りって言うのはどうじゃ。それこそ、一杯ひっかけながら考えたら、いくらでも出てきそうじゃな」
「笹さん、それはほんとグッドアイデア!」
さっきまでが嘘のように、熱い議論が会議室を席巻した。
「おい、新井、この中では唯一の女性メンバーとして、この案、どう思う?」
メンバーの活発な議論を頼もしそうに見守っていた村井が、会議の行方をずっと黙って見守っていた新井由香子に問いかけた。由香子は、みなの目をまっすぐに見つめて答えた。
「それはソムリエ検定というより、変態養成講座だと思います」
なぜか次の瞬間、蝉の声が聞こえた。
ソムリエる 横館ななめ @mrsleepy1014
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