第Ⅲ話 カタコトになったけど

 「着いたぞ」トリドヒュスは言った。「ここが女海妖セイレーンの住む島——巨魚島ケートスだ」


 二人が到着したのは丘みたいな大きい島だ。岸辺でところどころ色褪いろあせた石階段を登ったら、石造りの四角建物が数知れずほど連綿し、違う方向に向ける道と階段が複雑に絡んでいる。

 

 「郁香ふみかだっけ?」


 「はい」


 「いいか、こっからは俺の言いなりにするように振舞ふるまってよ?バレたらヤバイから。わかった?」


 「あんたにメロメロね、オッケー」郁香が親指を上げて了解の意を示した。


 「そこまで要求してねぇ」


 「女はね、メロメロじゃない相手の言いなりにはならないよ」


 「こんなことにリアリティ求めてどうすんの?」なんか郁香と話すといつもペースが乱されるとトリドヒュスが思う。でも不思議と嫌いじゃない。

 

 それに、今の問題はそこじゃない。


 ——これからどうする?


 連れてはいたが、本当にこのまま郁香を渡す?


 (いや、何動揺してる俺)


 郁香は何年ぶりの獲物だ。しかも信じられないほど協力的でノリがいい。


 「……」


 ——むしろノリが良すぎて、罪悪感が半端ないんだけど!!!


 トリドヒュスは思わず頭を抱えた。


 「俺マジ女海妖セイレーン向いてないなぁ」そして小さい声で呟いた。


 「どうしたの?長老のところに行かないですか?」


 「……行く」トリドヒュスは頭を振り、できるだけ雑念を取り払って、自分の任務に集中する。


 「あっ」そこで郁香が何を見たようで、急に声をあげた。「お兄ちゃんだ!」


 郁香の視線に沿って見たら、途轍とてつもない美人と一人の男があそこにいる。


 女のほうがなぜかダサいTシャツを着ている。郁香もそれを気づいたみたいで、「お兄ちゃんらしいね」と言った。


 「あんたのお兄さん?」


 「うん……」お兄ちゃんを見た時は純粋に嬉しかった。ちゃんと生きているのねと思った。でもここでお兄ちゃんがいることはつまり——


 「あそこ、牢屋の方向だね」トリドヒュスは淡々と言った。


 「ね、ちょっとお兄ちゃんの状況見てもいい?」郁香は心配そうに聞いたが、きっぱりと断られた。


 「やだ」


 「お願い!」


 「行っても何も変わらない。あのエリハティアは自分の獲物を手放すわけがない」


 「彼女知ってます?」


 「当たり前だ。一族の有名人だ。彼女は一度も失敗したことがないと言われる。業績を手渡すなど絶対ない」


 そんな偉い女海妖セイレーンに、負け組のトリドヒュスがどうこう言う立場ではない。


 「じゃ、私とえて。そうしたら業績は変わらないでしょ?ダメですか?」郁香は一瞬の躊躇ためらいもなくそう提案し、そして苦笑いをした。


 「どうせトリドヒュスは私を帰らせる気がないでしょう?」


 「やはり知ってたね」


 「うん、トリドヒュスの噓下手だもん」


 「じゃ何で付いてきたの?俺が言うのもあれなんだけど、死ぬこと怖くないの?」トリドヒュスは郁香の考えが全く理解できない。


 「傷心旅行です」郁香は言った。


 「えっ?」


 「心を癒す旅のはずなのに、船が遭難し、女海妖セイレーンに遭い、神様はこれくらいの一休みもくれないですね。何ならもういいです。私はもう疲れました」そう言っている郁香の中から闇がにじみ出るように感じた、「でもせめてお兄ちゃんを助けたい。私と違って、お兄ちゃんを必要とする人はこの世界にはたくさんいるんです」


 今さら事情を深く追求しても意味がない。トリドヒュスの知ったことでもない。郁香の心はもう死んでいる。それはるぎもない事実で、トリドヒュスの歌がそれを証明した。


 それでも、何とかしたいという衝動がなぜか湧いてきた。


 「俺は郁香が必要だよ」


 その言葉に郁香の心がドキッとした。


 「業績として」


 「な、なんだ……驚かすなよ」


 出会った時からずっと余裕ありそうな郁香は珍しく沈着ちんちゃくを失った。意外といい気味だ。


 「お前ら!」いつの間にかエリハティアを見失って、そのうち別の女海妖セイレーンが現れた、「何してんの?」


  ——しまった!


 「トリドヒュス様——!」慌てたトリドヒュスに反し、郁香はすかさずにトリドヒュスの腕を掴んで、メロメロ作戦を打った。「かっこいい!すぅき!」


 無意味にトリドヒュスを褒め立てたその姿はいかにもわざとらしいが、


 「何この女?メロメロじゃないか。気持ち悪い」彼女の顔には明らかな嫌悪が浮上した。


 ——どうやら芝居が効いているようだ。


 「見ればわかるだろ。お、俺の獲物だ!」トリドヒュスも気を引き締めて、できるだけ自信満々に見せかけようとした。


 「は?何そのドヤ顔。()かっこのくせに。さっさとキモ女を牢屋に連れて」チッの声を残して彼女は去った。


 「なんか、すげぇムカつくですね」キモ女と呼ばれたことに、郁香は眉を顰めた。「最悪じゃないの?」


 「だろ!名前すら呼ばないだよ!彼女たちにとって俺は女海妖セイレーンの名に相応しくない、永遠にかっこに収まる男だ」


 「ドンマイ」郁香はそっとトリドヒュスの背を軽く撫でた。


 「普通の同僚でさえああいう態度だ。エリハティアと交渉するなど到底無理」


 「あたしがなーに?」

 ほっとしたばかりの二人の後ろから、再び声が。


 「エ、エリハティア!?」


 「ふーん、あんたが洸平さんの妹?」エリハティアは郁香をじっと見つめる。


 「何でお兄ちゃんの名前……?」その名を聞いて、郁香が驚いた。


 「何だ。こいつ魅惑しなかったの?また失敗?」


 エリハティアの質問を聞いて、トリドヒュスは思わず顔を背けた。


 「まあ、いい。とにかく彼女を寄こせ」


 エリハティアはいかにも偉そうにトリドヒュスに命令した。


 「えっ?」その意図があまりにも不明だから、トリドヒュスは戸惑った。


 「彼女を洸平さんの代わりになりたいだろ?」


 「聞いたの?」


 「渡せば今回の件は不問だ、さあ」エリハティアは直接に答えなかった。ただ郁香をそっちに引っ張った。


 ところが、反対側も同じく引っ張られた。よく見たら、トリドヒュスは郁香の手を握った。


 「わ、渡したくない」


 「トリドヒュス……」その動きに郁香は感動した、「ありがとう。でも大丈夫」


 「いや、全然ダイジョバナイよ。俺の業績はどうすんの?」


 ——ああ、そっちが。

 郁香はちょっと傷づいた。


 「()かっこは黙って」エリハティアは疑う目でトリドヒュスを見て、「あんた、獲物に惚れたわけ?」


 「えっ?!!ううん、ゼンゼン」トリドヒュスは力強く頭を振った。


 「カタコトになったけど」エリハティアはあざけるように言った。


 「貴女あなたこそ、普段ならこういう取引絶対しないのに!」こうなったら、トリドヒュスも開き直って言い返した。


 「まさか、お兄ちゃんを?だから助けたい?」郁香は悟った。


 「ナっ、ナニ言ってんの?そんなワケないだろ!」


 「「カタコトになったけど!!!」」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る