女海妖(男)の恋は簡単じゃない

早川映理

第Ⅰ話 悲劇の女海妖(男)

 皆さんはご存知でしょうか?

 

 美しい歌声で、海の旅人たびとを破滅させるあの伝説の女海妖セイレーンの世界においても、男がいる。

 

 俺の名はトリドヒュス。女海妖セイレーン(男)だ。

 

 遥か昔、ほぼ男しかいない大航海時代の俺の生活、それは災難としか言いようがなかった。だけど、そんな時代はもう終わった。今時の海にはいろんな人がいて、俺もやっと一族の役に立つ日がくる。


 そう思った俺が甘かった。


 できない男というのは、どんな時代であってもできないのだ。


 女海妖なのに、男として生まれた時点ですでに理不尽な運命が定められた。こんな悲惨な日々は一生続くのだろうと、あの日、あの人と出会うまでそう思ってた。


◇◇◇


 ——ツアーの宣伝写真より綺麗なエーゲ海にで、一隻の遊覧船が遭難した。


 黒髪の女は船の残骸に寄りかかって、遠いところから流れてきた。トリドヒュスは少し距離を保ちながら控えている。


 「うぅ……」ちょっとした呻り声の後、女が頭をあげ、疲憊な目付きで周囲を見回った。


 その時を見計らうように、トリドヒュスは水面下から浮上し、女を円心に泳ぎながら、歌い始めた。その低くて、しっかりと響き出す声は、どこかで儚さと切なさが混ざっていて、現実と幻想のさかいがだんだんと薄くなった。


 (哀れな人間だ)


 トリドヒュスは思う。


 これから、女は生きる意志を失い、ゆくゆくは滅亡に向かうのだろう。もっと具体的にいうと、彼女は歌声に導かれ、トリドヒュスと一緒に女海妖セイレーンの島に戻る。


 そして——そこでケートスに殺される。


 ところが、トリドヒュスの予測とは違い、いくら歌って、手を招いても、彼女はただただ戸惑った目でトリドヒュスを見つめている。


 普段なら、相手は抜け殻になって、トリドヒュスの言いなりになるはずだ。だけど、女は肉体こそ衰弱しているように見えるが、ちゃんと自意識を保っている。


 その証拠として、女は少し掠れた声で「キレイな歌声ですね」と言った。


 「は?」あまりにも意外な発言で思わず間抜けな声を発した。


 「キレイ……だと?」一瞬、なんか胸がキュンとした。


 長年このに従事し、はじめてそう言われた。


 それは女海妖セイレーンとして、歌上手ということ自体は自覚あるけど、自分の歌はどっちかと言うと、キレイではなく、悲しいのだ。


 「ああ、すごく」女は何の造作もなくトリドヒュスを褒めた。


 「な、何言ってる。お、お、俺はあんたを破滅させたいんだよ、わかる?」女の言う客観事実口説き文句にトリドヒュスはだいぶ取り乱した。


 「破滅?」女は少し首を傾げた。


 「そうだ。俺の名はトリドヒュス。歌であんたを死に向かわせる女海妖セイレーン(男)なのだ!」


 「あっ、はいはい、女海妖セイレーンさんね。だから海で歌うんですね!夢見てるかと思いました。だって謎の金髪美男子が海で歌うんだよ。どう考えても夢っぽいしょ?でも女海妖セイレーンなら納得いけますね」謎が解けたように、女が勝手にまとめた。


 (納得できるか?!)


 いや違う、ツッコミする場合じゃねぇ。何だこの女、なぜ理性失わないの?なぜ俺のこと——


 「美、美男子?」二度目の胸キュンだ。


 「でも無理だよ」女が遠い目になって、「だって私はもう、死んでるもん……心が」


 (……何急にネガティブになっちゃって?)


 でも、そっか。心がすでに死んでるから、同じ効果のある歌声を聞いても効かないわけだ。チッ、面倒なことになった。


 いや、待って、これはいいことかも。メンタル弱い女を落とすより簡単なことはない。


 伊達に女海妖セイレーン(男)として生まれたのじゃない。歌以外の技一つ二つぐらいは持つのだ。


 ここは一旦「愚痴を聞く」という技を使おう。


 「何があったの?」トリドヒュスはできるだけクールなボイスで聞いた。


 「えっ、相談にのってくれます?」相手の顔がパッと明るくなったと思ったら、次の瞬間また影に染まれた、「でも……いいんです。どうせ無駄だから」


 とても切ない笑みをこぼして、女は断った。


 (いや俺は良くないよ!)


 一体何があってこんな絶望になったの?逆に気になる。


 でもこうなったら、次の技に移るしかない。


 まずは共感を示す。


 「そっか。俺わかるよ、あんたの気持ち」


 そして、同情を買う。


 「実はさぁ、俺もだいぶ絶望した」トリドヒュスはわざとらしい大きなため息を吐き、「ほらさぁ、俺男じゃん?女海妖セイレーンは歌声こそがメイン武器とはいえ、相手を魅了する外見も重要だ。だから俺の一族はみんな人間の好みに合う容姿を持って生まれる。なのになぜか俺だけ男として生まれてきた。こんなじゃ男に全く効かないし、女に近づくとすぐ変態だの、不審者だのと罵られ、誘惑どころじゃないんだ。俺は一族に失望させるばかりで、人間の言う負け組なんだ」


 「それ、外見の問題じゃないと思うね。腰で布一枚だけ纏う男を見たら誰だって変質者だと思って拒絶しますよ」


 「嘘!?」トリドヒュスは自分の意図を忘れたように、本気で相談し始めた、「でも俺の同僚たちもみんな布一枚だよ!」


 「だって同僚たちは女でしょう?」


 「ッ!」


 「それに関すると大抵の男はチョロいからね」


 「そんな……」自分の出した戦略なのに、勝手にショックを受けた。

トリドヒュスは唯一の女海妖セイレーン(男)として、散々冷やかされてきた。てっきり自分は男だからダメだと思ったけど、結局服装の問題か?


 「むしろ女海妖セイレーン(男)さんの顔は割とドストライクだよね。全然自信持っていいですよ」


 なぜか獲物に励まされた。


 「な、何破廉恥なこと堂々と言うんだ」海は冷たいのに、トリドヒュスは顔が熱いのを感じた。


 そういえば、さっきも普通に自分のこと美男子と言ったよなあ。


 この天然人たらし女、俺はそう簡単に負けんなよ!


 「とにかく、もし今回も失敗したら、俺マジ殺されるのだ。だからお願い、魅惑されるとよそおって、俺と一緒に島に帰って」


 トリドヒュスは何とか会話の流れを自分の計画に戻った。


 「ただそこに行くだけで、長老に確認されたら帰すから、ね?」顔が好きと言うのなら、使わせてもらおう。トリドヒュスは他の女海妖セイレーンが普段やっていることを見習い、精一杯自分なりに


 「それなら……いいよ、行っても」しばらく沈黙してから、女がそう言った。「帰らせるでしょう?」


 「もちろん、約束する」


 バーカ、そんなわけあるか?行ったらもう片道チケット決定だ。


 「信じてるよ、女海妖セイレーンさん」女はトリドヒュスの嘘を見透かすように直視した。


 (あの眼差し……彼女は知っているのだ!)


 ——それでも行くというのか?


 トリドヒュスはそう目で問うと、女はどこかで寂しそうに微笑んだ。


 (やめて、やめてくれ!仕事やりにくいんだけど!?)


 「では案内よろしくね」


 「ああ……任せてくれ」

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