第Ⅱ話 営業成績トップの女海妖

 皆さんはご存知でしょうか?


 美しい歌声で、海の旅人たびとを破滅させるあの伝説の女海妖セイレーンの世界においても、ノルマというものがある。


 あたしの名はエリハティア。女海妖セイレーンのエースだ。


 遥か昔、ほぼ男しかいない大航海時代のあたしの生活、それは水を得た魚としか言いようがなかった。だけど、そんな時代はもう終わった。今時の海にはいろんな人がいて、あたしのもますますチャレンジ的となる。


 そう思ったあなたが甘かった。


 できる女というのは、どんな時代であってもできるのだ。


 女海妖セイレーンとして、この容姿、この声が与えられた時点ですでに順風満帆の運命が定められた。あたしが活躍している日々は一生続くのだろうと、あの日、あの人と出会うまでそう思ってた。


◇◇◇


 ——ツアーの宣伝写真より綺麗なエーゲ海にで、一隻の遊覧船が遭難した。


 黒髪の男が船の残骸と一緒に近い小さい無人島に流された。エリハティアはそっと彼の後ろに尾行し、無人島の反対側で控えている。


 地面にうつ伏せのまま少し小休止しょうきゅうしを取り、男は体をあげた。エリハティアはできる限り一番近い石の後ろに背もたれして、歌い始めた。


 優雅で高揚なその歌声がたちまち無人島を包み込み、男も気を取られたように耳を傾けている。


 (ああ、あたしって、本当に罪の女だ。)


 エリハティアは思う。


 間もなくこの男は自分のとりこになり、破滅の道に踏み出すのだろう。そのことはエリハティア自身に無上むじょうな喜びと達成感をもたらし、より歌うことに夢中した。


 後もう一押しだ。


 なのに、彼女の期待に反して、男は歌に魅了されるというより、ただただ戸惑うだけだった。


 (おかしい……なんで反応ないの?それじゃあたしはただ遭難した船の側に歌う冷たい怪しい女になったんじゃないの?)


 それだけじゃなく、男はあちこち声のみなもとを探し始め、石の後ろにエリハティアを発見した。


 「なんか大きい蚊の音がしたと思ったが、あんたか?」男は聞いた。


 ——蚊の音、だと……?!!!!


 こんな屈辱、はじめてだ。


 「あんたはね!」エリハティアは勢いよく立ち上がって、男の無礼を責めようとしたが——


 「あの、なんか、わりぃ」男の目が突然に泳いでいる。そして、身に着ているTシャツを脱いで、しっかりと水を絞り、エリハティアに渡した。


 「なッ」エリハティアは啞然としながらTシャツを受け取ったが。


 (えっ?!!あたしの姿ってそんなにみっともない?隠してほしいぐらい目に入りたくないの?)


 エリハティアはすっかり取り乱した。


 そして気づいた。男のその逞しい体付き、高い背丈、何もかも思った以上はるかに——ムンムンとしてエロい!


 (くッッッ何その女より色気な体付き!!自分のほうがいいと言うわけ?上等だ。この勝負、受けて立つわ)エリハティアの胸には収まらない怒りのほのが燃えている。


 男の好意が完全に勘違いされたようだ。


 「そういえば、さっき石の後ろでなんが言ったのか?船の爆発で耳鳴りになったみたいで、よく聞こえないんだ」


 (ふーん、そっか、どうりで歌が効かないわけだ)エリハティアは心の中で吟味ぎんみした。


 こうなったら第二の武器の出番だ。


 まあ、たかが男を落とすぐらい、簡単なわけだ。


 そう思いながら、エリハティアは男の渡したTシャツを地面に捨て、一気に彼との距離を縮めて、その実に男らしい胸板に全身を貼りついた。


 (ふふ、どう?これを抵抗できる男いないはずだ)エリハティアは内心でにやけている。


 ところが、男はすぐエリハティアを押し離した。


 「落ち着け!気を早まるな。いくら俺らしかいない無人島とはいえ。もっと自分のこと大事にしなんよ」


 なぜか男に説教された。


 いやちょっと、この野郎あたしが何しようと思ったの?これはただの誘惑手段だ。もしかしてあたしをふしだらな女でも思ったの?


 「暖を取りたいなら他にも方法があるから。とりあえずこれ着て」男は地面に落ちた服を拾って、もう一度エリハティアに渡した。


 (ややこしい言い方するじゃねぇ!)エリハティアはツッコミせずにはいられなかった。これはなかなかの強敵だ。


 ぐいぐい攻めるのが効かないのなら、ここはを使うしかないのだ。エリハティアは大人しく服を着たが、次の瞬間顔を手に埋もれて、しくしくと泣き始めた。


 「あたしって、こんなに魅力ないの?」


 そう決まり文句を投げ出し、エリハティアはその潤い目で上目遣い〆の技を差し出した。


 いかにも可憐なエリハティアに、男の顔は至近距離まで迫ってきた。


 (ふっ、落としたなぁ)


 「えっ、なんって?」


 だけど、男が発したのはまったくも殺風景さっぷうけいな言葉だ。


 (しまった。この野郎今しばらく聞こえないのが忘れたわ!)


 この男、どんだけ石頭いしあたまなのか?


 こんなにも可愛らしい女が目の前で泣くのだよ?ちょっとぐらい動揺しろよ!ったく!


 「ああ、もう……」エリハティアが両手で地面を押さえ、「このエリハティア、一生の不覚!」そう言いながら、何千年ぶりに悔し涙をボロボロとこぼした。これこそ本気の涙だ。


 男がその大粒の雫をそっと拭き取り、


 「心細いだろう。俺もはぐれた妹が今頃泣いてるじゃないかとずっと心配してた」と真摯な声で言った。


 「大丈夫、一人にはしないから。俺は岡田おかた洸平こうへいだ。よろしく」無造作にあげたその口角、エリハティアは思わず魅入みいった。


 この男、きっとかつて長老の言った女海妖セイレーンたちの天敵——究極な紳士鈍感だ。


 「ぅッ!」エリハティアの心臓が急に矢に刺されたかのように、キュンとした。


 (ゆ、油断した。キューピットめ……そっちこそ獲物なのに)と顔を背けたエリハティアはすでに男にメロメロしてしまった。


 今までないモチベーションが湧いてきた。


 決めた——必ずあんたを手に入れる!


 エリハティアは男の耳元で大きな声で


 「妹のところに、連れてあげよっか?」

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