デブ猫はヘッドバンギングの夢を見るか

長月瓦礫

デブ猫はヘッドバンギングの夢を見るか

「開けてください!」 


女が叫びながら、運転席の窓を叩く。

その音に俺はびっくりして、その場で飛び跳ねた。


「お願いです! 開けてください! 助けてください!」


何度も言いながら、窓を叩き続ける。

トレンチコートにマフラー、終電を逃したのだろうか。


夜は深まり、普段ならとっくに寝床についている。

運悪く渋滞にハマってしまって、予定通りに帰宅することができなかった。


助手席にいるデブ猫は丸くなって寝ている。

丸くなることで、デカい体がさらに大きく見える。

窓を叩く音が車内に響く。


「開けてください! 開けてください!」


後ろに車はいないから、少しだけ余裕がある。

女の言うとおりにドアを開けていいものか。


判断に困ってしまって、信号が切り替わっても動けなかった。

女はひたすら窓を叩き続ける。必死の形相で助けを求めている。

俺は意を決してドアに手をかけた。


「……開けちゃダメ」


デブ猫がぽつりとつぶやいた。

寝ているフリをしているだけで、音には気づいているのだろうか。


「どういうことだ?」


「それは私が見つけたお宝……オイラーの等式……にゃあ」


「どんな夢見てるんだ、コイツ」


デブ猫はオッサンみたいにいびきをかいて、ごろごろと眠っている。


俺は少しだけ迷って、車を走らせることにした。

猫の寝言を信じるわけじゃないが、面倒ごとには関わらないほうがいい。

青信号が点滅し始め、俺はアクセルを踏んだ。


「すみません、こっちも急いでるんで……」


両手を合わせて、頭を下げる。

女はなお、ドアを叩き続ける。


「開けてよぉ! 開けなさいよぉ!」


スピードを上げて走る車を追いかけはじめ、とうとうドアに張り付いた。


「開けろ! 開けろ! 開けろ!」


俺の車はいつからロックフェスの会場になったのか。

女は髪を振り乱して、窓にヘッドバンギングを繰り返す。

車が揺れ、まっすぐ運転できない。いつ横転してもおかしくない。


「待て待て待て! どうすりゃいいんだこれ!」


俺はアクセルを強く踏んで、スピードを上げる。

このまま進んでも止まっても危険だ。

進退窮まったとは、このことをいうのか。


女は叫びながら頭突きをかますし、デブ猫はずっと寝ているし、どうすればいいのだろう。無我夢中でとにかく走り続け、カーブを勢いのまま曲がる。

女が吹っ飛んだのを横目で見て、そのまま走り続けた。

後ろで鈍い音が聞こえたが、確認する勇気が出なかった。


自宅について、ようやく俺は息をついた。

窓には誰もいない。あの女から逃げきることができた。

窓には頭突きした跡がくっきりと残っている。


外に誰かががいる気がして、ドアを開けることができなかった。


「……ありゃにゃあ、ここはどこでしょう?

オイラーの等式は? ガウスの黄金定理は?

あんなにあった数式たちは?」


助手席のデブ猫が大きく伸びをする。

あれだけ大きな音がしていたのに、本当に何も気づいていなかったのか。


「あれ、どうしたんです? そんなこわいかおして」


「デブ猫テメェ! クソの役にも立たねえじゃねえか!」


どこまでも能天気な猫を揺さぶった。

寝言は寝言でしかないということである。

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デブ猫はヘッドバンギングの夢を見るか 長月瓦礫 @debrisbottle00

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