第17話

 タウドにライダーキックを見舞った姫小松は反動で後方へ着地。ズザァとレンガに白い足跡を残しつつ、アイスアローの詠唱を開始した。


「やるではないか魔法使い!!」


 存外運動神経が良い事を初めて知ったらしい七宝の口笛もタウドの叫びにかき消されてしまう。

 俺だって負けてはいられないと、外れて地面に落ちた槍を拾おうと屈んだのだが。


 その瞬間、ウナジにポツリと水滴が当たった。


 まさか。そう思って天井を見上げれば、高い場所で黒い煙が渦を巻いている。

 姫小松のラピッドファイヤーが作った爆炎じゃ無いとすれば、雨雲だろうか?


 ……スキルを使えば何でもありかよ。

 若干の呆れもさておき、俺は俊敏上昇を使用して天高く吠えるタウドへ肉薄する。


 一足も二足も早く赤いエフェクトを纏った七宝が切りつけたのに数舜遅れて、俺も奴さんの腹に槍を突き刺した。ブヨブヨと柔らかな腹は簡単に貫通し、二撃目を与えようと引き抜いたとき、思い出したように鮮血が散った。


「腹打ちには気を付けろよ。内臓が飛び出すから」


 背中とは違って太い血管でも通っていたのか、脈拍に従って三度噴水する血液が俺の足に掛かって周囲に鉄臭をまき散らす。


 滑り止めも無いパイプみたいな柄のせいで二撃目は浅くなったが、それはそれで逆に諦めが付いて良い。俺は取っ手側の先端に狙いを定めると、盾の平面で弾く様にして撃ち込んだ。


 槍はすっかり内部へ入り、背中側の方まで行ってしまったらしい。


と、その時だった。


「退け盾使い!!」


 七宝の声でバーサーカーモードから我に返ると、足元には雨雲から落ちて来たであろう水が溜まっていた。クルブシ辺りだろうか?


 俺は今頃になってようやく雨の勢いが増しているという事に気が付いたのだけれど、その時点では既に遅く対処も対応も後の祭り。

 タウドの声が一段と大きくなり、目の前には身長よりも高い津波が襲い掛かってきたのである。


 サーフィンとかで見る大き目の波なんて比ではない。一段高くなった水が列を為して続々と押し寄せてくる光景は最早波というよりもダムの決壊に近かった。


 或いは盾で遊んで居なければ下部から出した槍で地面に体を固定できたのかもしれないけれど。


 いや、……そういえば、体を固定する手段なら一つ残っていた。


『グラスバインド』


 本来なら俺の体にモンスターを固定するスキル。

 しかし対象が大きすぎるがゆえに、そのスキルも今だけは命綱の代わりになってくれるだろう。


 そんな淡い期待を込めて発動したのだが。

 結局のところグラスだったのが良くなかったのかもしれないし、そもそも発動するタイミングが遅かったのかもしれない。


 とにかく、何の対処も本当に全てが許されず。俺は幾千回転の挙句引きちぎられた草と共に壁際へ叩き付けられていた。


 当然今回は姫小松からのアシストも期待できず、あろう事か俺は衝撃で肺から全ての空気を吐き出してしまった。


 しかし津波の軍勢には終わりがなく、押し付けられたまま顔中の穴という穴から水が体内へと押し寄せてくる。


 体は反射で出し切った空気を求め肺を膨らませるけれど、俺の付近にある物質は全て水。肺に入るのも当然水である。


 もはや痛いのか苦しいのか辛いのかも分からず。俺はただ漫然に漠然とした恐怖だけを享受していた。

 

 ただ、水を吐き出そうとする反射と空気を吸おうとする反射とが合わさって訳も分からず地上で溺れ藻掻いている。

 無駄にグラスバインドを使用していなければ胸を締め付けて水を吐き出せたのかもしれない。


 そんな後悔もやはり遅く、弱弱しく高鳴る心臓を握りしめたまま。


 どこにいるかも分からないタウドに向けて、CTの開けた『挑発』を使用した。


 遠ざかる意識。暗くなる視界。柔らかな疲労とが合わさり、生ぬるい水に使っているみたいで、


 これが死ぬ事だと思い知った。



 ……だから、それが何時になって終わったのかは分からない。

 俺もはっきりと意識を持っていたわけではないのだ。


 ただ、次に現れたのは。爆裂的で暴虐的な痛みであった。

 視界が一瞬真っ白になり、脳みそが爆発したのだと錯覚した。


 だが、全てを犠牲に次第と呼吸だけは楽になっている。


 ――仮に死が安らかな物だとすれば、生きるという事は荒激な事なのだろう。


 なんとも世智辛い。


 涙で歪みぼやけた視界の狭間は深緑色の物体に占領されていた。


 そして気が付く。

 この馬鹿デカイモンスターの腹撃ちによって肺の水が吐き出されたのだと。

 弱弱しい心臓にショックを与え、俺を死の淵から蘇らせたのだろうと。


 たどたどしい息のまま、心臓が不整脈を繰り返すなか。朦朧とした意識の微睡で。


 俺は手元にナイフを生成すると、それを持てる限り全ての力で握り、突き出す。


『突破』


 耐え難きを耐えきれず。忍び難きも忍びきれず。流れに乗れずに流されて。


 思い通りに行った事も上手く熟した事も何一つ無かったから。

 これがビギナーズラックだと言われても返す言葉すら持ち合わせていない。


 だが事実として、その日の俺は偶然でも何でも、ケイヴタウドの心臓を小さなナイフで切り裂いていた。




 さて、それではその後姫小松から聞かされた事の顛末を纏めてみようと思う。

 

 まず津波についてだが、最も大きな被害を受けたのは俺だけだったらしい。

 そもそも遠くに居た姫小松も危険を察知して離れていた七宝も、最初から壁に寄るなりして津波を耐えたのだという。


 因みに大量の水は壁や地面に吸い込まれて消えたとも言っていた。


 まあそれは良い。最も不服に思っている事は、俺が倒したと思っていたタウドは既に身動きが取れないまな板の上の鯉だったという事。

 

 どうやらサイズがどれだけ大きくなっても元の造りは変温動物のままで、体を冷やされていくと次第に休眠状態に入ってしまうのだとか。

 散々アイスアローを撃ちこまれた挙句にチルフィートで血液を凍らされたタウドは、俺に腹撃ちを見舞った後隙を姫小松の白い足で刈り取られた。事前に雨と津波で全身が濡れていた事も悪かったのだろう。


 結果として俺は既に死が確定したタウドの心臓を意気揚々と切り裂いただけであり、大した活躍はしていなかったという事だ。


 七宝は俺がヘイトを稼いでいなかったらどうなったかは分からないぜと笑っていたが、それに対し姫小松は自分に腹打ちが来ていたとしても避けた上でカウンターを叩き込んでいたと豪語していた。


 正に裸の王様。ピエロになった俺を皆して笑ていた訳だ。


 件の二人はアングリーバードを倒した時と同じ様にヒーロ宜しくインタビューを受けていた。


 そうして現在、重めのショックを食らった俺は又しても二人から除け者にされて、一人侘しくタウドの残骸から素材を回収している。


 Aバードの時と違うのは寄ってきたドローンが一台だということと、一応俺にも二つだけ質問してきたという事。


 一つは、二人の内どちらかのお父様ですか? という質問。

 そして二つ目は、どちらかの恋人様ですか? という質問。


 俺がどちらに対しても首を横に振るや否や、ドローンは若い二人を連れてカエルの死体からそそくさと離れて行った。

 確かに冴えないおっさんなんて画角に映すだけ無駄だという考えは理解できる。

 とはいえもう少し何とかならないものか。同等の扱いをしろとは言わないけれど、ぞんざいに扱う必要も無いのではないか。

 そもそも現代の日本はおっさんに厳しすぎないか?


 なんていう愚痴は脳の端に追いやり、俺は再び素材集めに精を出し始めた。


 そういえば件の一つしか無いというドローンはどうやら如月プロの所有物だったらしく、俺は清流よりもサラリとしたインタビューを受ける前に女史から命令されていたことを思い出す。


『Cタウドの雌個体は今回初発見だから卵巣卵管を中心に回収してきたまえ』


 そう、今回俺達が相手をした個体は雌だったのだ。

 その前に聞こえた初発見という心躍る単語の権利は今現在進行形で二人に独占されてしまっているが、俺の本命はスキルオーブである。


 何が言いたいかというと、初発見の個体なのだから、そいつが持っているスキルオーブも新種なのではないかという疑惑が浮かんだのだ。


 因みに何故今まであの道に誰も来なかったのかといえば、それはもう、倒しても安いのに対処が無駄に面倒なトイ・フェルの巣へ自ら足を踏み入れる頭のおかしい人間が居なかったからだ。そう女史は言っていた。


 俺たちの頭がおかしいかはさておき、あの時の事を振り返ればもう少し別の道に逃げるとかの手段を取れたのかもしれないとは思う。


 さりとてそのおかげで新しい発見もあったのだから、あまりゴチャゴチャ言って来られても困ってしまう。


「ふんッ!!」


 俺は尊大な女史に向かって心の中指を突き立てながら、タウドの腹に刺さった槍を引っこ抜いた。

 既に先ほど突破スキルにより心臓までは大きく切り裂かれていた為、槍を見つけるのも苦労は無い。七宝からは解体用のナイフを返してもらっていたし。


 ……苦労はないが、しかし体長5メートル級のカエルを解体するにあたって一つ問題があった。


 それは、俺自身がカエルの体内に入らなければならないという事だ。

 いくら運よく腹を上に倒れてくれたといっても、腰くらいまでは臓物に使ってしまう。当然と言えば当然だが、解体役に任命されたのは既に一度臓物の海で泳ぐという稀有な経験をしていた人間。俺であった。


「ハッ!!」


 つまり先ほどドローンに映してもらえなかったのは単に俺が冴えないおっさんだからという理由だけではない。

 水も滴る良い男という言葉は存在するし、恐らく腸に絡まる良い男も居るのだろうが、そんな奴は配信に乗せてはいけないという単純で明快な理由が隠れていたのである。隠れていたのだ。そうに違いない。


「せやなぁ!!」

「さっきからウルサイねんけど」


 せめてどうにか邪魔してやろうとテニス選手ばりの掛け声と共に解体作業に従事していると妖怪セヤナァからお叱りを受けた。

 お前の真似だと言ったら怒られるので黙って卵巣の切除をしておく。


 そこにいたるまでにも心臓や肝臓、横隔膜なんかの除去作業があったのだが、肝臓一つとってみても何十キロとあり、それが無駄に三つもあるのだからどうあがいても素人が一人でやるような仕事ではなかった。


 卵巣は実に黒々としたコラーゲン状の塊で、それがもう姫小松5、6個以上のサイズを誇っている。 下部から伸びる腸の如き卵管には一つ一つが人間の赤子程もある大きさの卵が、合計百個程詰まっていた。


 内の一部は槍による突きで潰れていたが、やはり全体から見れば微々たる差でしかない。


 それにしてもこんな密閉された空間で卵なんて抱えて、産み落としたとしても雄の個体が入れないのだから死滅して終わりでは無いのだろうか。

 その辺りはダンジョンだから深く考えてはいけないのかもしれない。


 なんて納得していると、タウドの死体を挟んだ向こう側に小さな影が映った。

 よくよく見てみればそれは深緑の体表をした気色の悪い蛙である。サイズは日本で見られる一般的なダンジョン外の個体と同じくらいだ。


 ……虫やら爬虫類やらの世界では卵を産む雌の方が体が大きくなる傾向にあると中学か高校の理科で勉強した気もするが、まあ、流石に数千倍の差になる事はないだろう。


 だって、オスがあのサイズになるなら、ここに居る蛙と今回俺達が本来倒そうとしていた個体とが別種類だという事になるのだ。うん流石にない。


 俺はその事についてあまり考えないように、考えを振り払うように卵をビニール袋に詰め込むと、肝臓や卵巣、鳴嚢。頭の上にチョコンと乗っかっていた王冠らしき棘の入った袋も一緒にバックパックへ放り込む。

 

 問題は、肝心のスキルオーブが見つからないこと。

 まさか卵管の中に入った卵の何れかが“そう”だとは言ってくれないだろう。


 流石にこの数の卵を全て管から取り出して確認するのも手間だし、それ以上にこれ以上卵サイズの何かを持って帰るとなればバックパックが途中で破裂しかねない。


 それに、アングリーバードを倒した時ですらオーブは野球ボール程度の大きさに留まっていたのである。

 探す手間を考えたら大きい方が楽なのだけれど、持ち帰る苦労を考えたら小さい方が楽。そんな相反する思考に押し流されつつ臓器の海を掻きわけていると、


「我輩も手伝ってやるよ!!」


 唐突に後ろから現れた七宝がなんとも男前な事を言い、袴の汚れるのも気にせず臓器の中へ入ってきた。


「……インタビューはもういいのか?」

「つまんなくなったから逃げてやったぜ!!」


 彼女はブイサインを向けてガハハと笑う。


 ああ、そういう感じね。


 ともあれ一緒に作業する奴が居れば苦労もマシになるというものだ。

 もうひと踏ん張りするにあたって七宝に目的なんかを話していると、


「なぁ、我輩役に立ってるか?」


 そんな事を聞かれてしまった。


「そりゃお前、一人より二人の方が作業も早いだろ」


 しかし彼女はかぶりを振って、そーじゃねぇと否定する。


「姉御にも言われたんだけどよ、どうやら我輩は一人で戦う方が向いているらしいんだ」


……冒険者になって三日の俺に何かを言う資格があるかはさておき、しかし三日目の俺から見て、少なくとも彼女は一人で完結したステータスをしているとは思えた。


 高い生命力での生存性に加え、そもそも攻撃を避けられる高い俊敏さ。そして自己強化、自己回復に長けた精神力。

 防御という無駄に全てを振り切ったのが俺だとすれば、彼女はその逆。無駄を削ぎ落したステータスということが出来る。

 まあ七宝は削ぎ落しすぎて攻撃手段も無いが、そこは諸刃の剣なんかでカバーが効く場所でもある。


 ただ、活躍度に関して聞かれれば、俺も否定は出来なかった。


 今回俺と姫小松は強力な相手に決定打を与えているけれど、七宝は何だかんだアシストが多いように思えるのだ。


 自分で何でも出来るけれど、代わりにパーティ単位では何も出来ない器用貧乏。

 それが、今回俺の抱いた七宝に対する印象である。


「おっ、あったぜ。スキルオーブ」


 彼女は先ほどまでのシリアスな雰囲気など忘れてしまったように満面の笑みで野球ボール台のそれを差し出した。


 可愛い。犬みたいで。


 でもそんな事を七宝に言ったところで、「違う違う!! 我輩は戦闘で役に立ちたいんだ!!」といった風の事を言われる事は目に見えていた。


 俺はオーブを受け取ると、バックパックに入った内臓の隙間に詰め込んだ。


「でもな、我輩は今が超楽しいんだぜ!!」


 そして、それからというものの。

 俺は如月女史が彼女を寄越した理由をそこそこ必死になって考えるのであった。

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