(5)

「豊島さん、ご主人の博打は結局当たったんですか?」


 こういう聞き方もどうかと思ったんだが、突っ込まれっぱなしというのも癪に触るからな。だが、豊島さんは百戦錬磨だ。さらっとかわした。


「とんとんだね」

「とんとんかあ」

「いいんだよ。収支の問題じゃない。生き方の問題だからね。破綻しなかっただけ儲けもんさ。とんとんなら十分だろ」


 ううむ。確かになあ。


「ただ、とんとんはあいつだけだ。あたしゃ大赤字だよ」


 ああ。わかってしまった。豊島さんが何を心配しているのか。互いの独立性をどんなに確保したって、好きだ惚れたが入れば、必ず持ち出しがあるんだ。自分が削れてしまうんだ。削れた分だけ、片割れが消えた時にぽっかり穴が開く。その穴は……容易に埋まらない。死ぬまで埋まらないかもしれない。

 喪失の痛みや空虚感を今のうちから覚悟できるかい? それでもいいから添い遂げたいと思うくらい相手に惚れきってるかい? そういうことなんだろう。


「結婚だけじゃないさ。誰かとがっちり組むなら覚悟が要るんだ。その覚悟ができないなら、最初から組まない方がいい」


 振り返った豊島さんが、牟田さんをぎろっと睨んだ。


「普段からいいかっこしーしてるとさ。自分にまでいいかっこしーするようになるんだよ。あたしはちゃんとやってる、だから大丈夫だってね。あほか」


 豊島さんが杖をぐんと伸ばして、牟田さんに突きつけた。


「泣く暇なんかあるかい! あんた自身のことだろが! 甘えんな!」


 あーあ、こらあ木っ端微塵だなあ。間に割って入る隙もないわ。真っ青な顔でぶるぶる震えていた牟田さんに、こそっと顎をしゃくってみせる。これ以上ここにいると爆死するよって。怯え顔で俺をちらっと見た牟田さんが、小さく頷いて駆け下りていった。そのあとすぐ、赤い軽が逃げるように坂を降りていった。


◇ ◇ ◇


「今の若い連中って、みんなあんなんなのかい」

「さあ。どうなんでしょう。俺は鈍なんでよくわからないです」

「ったく。あんたぁちっとも成長しないね」

「性分なもので」


 牟田さんが退場したあと、俺は目につくゴミを拾い集めてビニール袋に放り込んでいた。


「陽ちゃんの時と同じですよ。結局最後は自分で決めなきゃなんない。人の例も助言もあまり参考にはなんないです。みんな背景が違いますからねえ」

「当たり前だよ。その当たり前がわからんやつが本当に多い」


 本気でぶりぶり怒りまくっている豊島さんを見て、ご主人てのはどんな人だったのかなあと想像してみたり。


「ああ、信ちゃん。そのゴミは持って帰るのかい?」


 でかい透明ポリ袋にぱんぱんに入っているゴミは、重さも個数もある。俺の乗ってきた軽にはがんばっても一、二袋積むのがとこだ。とても全部は持って帰れない。


「量が少なかったらそうしようと思ってたんですけど、これだけあるとね」

「とんでもなく非常識なやつらだ!」

「全くです。でも」

「なんだい?」

「ゴミ持ち込んでるのは、たぶんここらの人じゃないですね」

「ほ? どうしてわかるんだい?」


 ポリ袋の口は、まだ一つも閉じていない。その中から、一枚のレシートをつまみ上げる。濡れてくちゃくちゃになっているけど、まだ新しい。


「割り勘に必要だったのか、コンビニのレシートが混じってるんです。印字されている店がこの辺りじゃない。入店時間も真夜中ですね。買ってるのはタバコ、缶酎ハイ、つまみ、袋菓子、エロ雑誌。どう見てもヤンキーですよ」

「ああ、それでか。最近夜にぎゃあぎゃあ騒ぐやつらがいて、何度か警察を呼んでる」

「勘弁してほしいですね」

「ああ!」


 ゴミ満載のポリ袋を持ち上げ、野原に移す。


「はん? どうすんだい?」

「実験です」

「じっけん?」

「ええ。牟田さんのおじいさんが言ってたんですよ。ここに悪徳土建屋が解体廃土を捨てていったことがあるって」


 豊島さんも覚えていたんだろう。ぽんと手を打った。


「ああ、あったあった! あたしが通報したんだ」


 わはは。やっぱりか。


「土、消えたでしょ?」

「そうだね。翌朝には元通りだったよ」

「その土、消えたんじゃなく、野原から業者に返却されたそうです」


 ごくり。豊島さんが生唾を飲み込む音が聞こえた。


「ほんと……かい」

「すごかったみたいですよ。十トントラック十何台か分の土が、悪徳業者の事務所と駐車場を押し潰していたそうです。立方体に」


 豊島さんが、野原にさっと目を送った。


「そうか。消えるだけじゃないんだ」

「はい。パターンが一つじゃない。退かす、返す。少なくとも二種類あるんです」

「それで、実験てことだね」


 にやっと笑った豊島さんが、ビニール袋のゴミを指差した。


「そうです。ゴミがこれまで同様にどこかに消えるのか。それともうちかゴミを捨てた連中のところに返却されるのか。それで少し分かることが増えるかなと思って」

「いやいや、信ちゃん、見直したよ。成長したじゃないか」

「さっきは成長してないって言ったくせにー」

「はっはっは!」


 照れ臭そうにまたねと言い残し、豊島さんが坂を降りていった。その背中が見えなくなるまで見送ってから、改めて野原に入り、ぐるっと見回った。


「春萌え、か」


 今は浅い緑でも、これからは日を追うごとに逞しくなり、草丈がずんずん高くなっていくだろう。俺たちも同じように逞しくなれればいいんだが、なかなかそうはいかない。捨ててしまいたいがらくたが多くて、何かと足を引っ張るんだ。

 だが、この野原は俺たちの嘆きや後悔を決して受け入れないだろう。捨てて行こうとしても、ここになかったものを持ち込むなと突き返されるのがおちだ。

 確かにな。捨てられるものは捨てたやつにしか意味がない。俺だって、他人のゴミを押し付けられるのはごめんだ。自力でこなすしかないわな。そう、自力でね。


 逃げていった牟田さんの残像に向かって、こっそりとエールを送る。


「牟田さん。鈍臭い俺でもなんとかなったんだ。なんとかなるって。がんばんなさい」



【第四話 春萌え 了】

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永遠の野原 TOWA NO NOHARA 水円 岳 @mizomer

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