アクマとともに

杞結

 

 その日、俺は委員会の集まりがあって少々帰りが遅くなってしまった。学校から走って駅まで急ぐ。

 俺の住んでいる町は田舎なので、今この電車を逃してしまえば次に乗れるまで確実に三十分はかかる。

 委員会の集まりに行ったせいですでに時刻は六時を回っているので、さすがにこれ以上は遅く帰りたくない。

 俺は自慢の体力を信じて、背中で上下に揺れるリュックを片手で押さえながらまた走る。

 中学の頃陸上部に所属していた俺は、特に長距離を専門に走っていたので、体力だけには自信があった。

 しかし、高校に入ってからろくに運動もしてこなかった俺は、今十五分程走っただけでもすぐに息が切れてしまう。

 俺は駅まであと五分、というところで、ついに走るのをやめた。


 俺はぜえぜえと吐くように呼吸をしながら、駅までの道に面しているとある塾を通り過ぎようとしていた。

 見知った顔の少女が塾に入っていくのを見る。

 彼女の名前はアキナ。女子バレー部のような短いショートカットの髪をしていて、小柄で愛嬌のある癒し系女子だ。

 アキナとは中学のときも同じ学校だったが、高校になって初めて同じクラスになった。

 そのため、話した回数はといえば片手の指でも数えられるほどだった。

 そんな特に仲良くはないアキナだったが、俺はそんなアキナに密かに好意を寄せている。

 好意と言ってはみるが、そんな大したものではない。普通の女子よりかは少し気になる、そんな程度だ。

 あの短い髪から時折覗く綺麗な横顔が、まるで水平線から登る初日の出かのように美しいのだ。

 そんなアキナの顔が好きだった。

 俺は塾への階段を登りながら揺れるアキナのスカートを、立ち止まって遠くに見つめていた。

 アキナは俺の存在に気づかない。

 結局そのまま塾の中へと完全に姿を消してしまった。

 俺は同じクラスであるにも関わらず、この十月までアキナとの仲は全く発展していない。なんなら知り合いとも思われてないだろう。

 アキナと仲良くなるためにはどうすればいいのだろうか。

 成功した恋なんか一度も無い恋愛初心者の俺は、電車のことなんか忘れて一生懸命に得策を考える。

 俺はとある心のアクマの衝動に駆られ、結局アキナと同じ塾に入ることにした。




 これは入学式の日の出来事である。

 俺は中学で彼女を作らなかったことをめちゃくちゃ後悔していた。

 高校生になったら絶対に誰もが羨むような青春を謳歌してやる。

 そんな強い気持ちを胸に、入学式に臨んだ。

 俺たち新入生は新しいクラスの出席番号の順番で、体育館へと一列に並んで入っていく。

 蟻の行列に擬態して、俺も続く。

 緊張で少しドキドキしながら、俺は体育館の中に並べられた二席ずつのパイプ椅子の片方に座った。

 背筋を伸ばして、握った手を膝の上に軽く置く。保護者や先生の拍手が賑わう中、真っ直ぐ前を向いた。

 そして俺はそのまま前を見たまま、目だけで体育館の入り口を見る。

 俺の次の出席番号の女子が、緊張した面持ちでぎごちない歩きをしながら体育館へ入場していた。

 そしてまるでプログラミングされたAIロボットのようなカクカクとした動きで、俺のところへと近づいてくる。

 その女子、ハルカは二席ずつのパイプ椅子の俺が座っていない、もう片方に腰を落とした。

 ハルカはとても緊張しているようだった。

 まるで水の流れのような長い艶やかな髪が、ハルカの肩の形を映し出しながら椅子へと着く。

 目線だけでハルカを追ってしまっていた。

 これは一目惚れなのだろうか。

 俺はその髪を触りたくなるのを我慢して、ただ隣にハルカがいることを意識してしまっていた。


 拍手の音がうるさいほど聞こえる。

 しかし、その音に負けないほどの、自分の心臓のドクドクという音も聞こえてくる。

 それはまるでアクマが体の中で息をしているようだった。

 これは入学式の緊張によるものではない。

 ハルカが隣にいることに対する緊張だ。

 ただ隣に座っているというだけなのに、なんとなくいい匂いとか甘い雰囲気が漂ってくる。

 俺はこの幸せを噛みしめながら、ハルカと同じクラスであることを心から喜んだのだった。




 暑い暑いある夏の日。

 その日は体育の授業で水泳をした。

 太陽が燦々と輝いている。

 俺は男子用のプールサイドで自分の肩や足にプールの冷たい水を少しずつかけて、体を水の冷たさに慣らしていた。

 しかし、俺の目線は自分の体を向いていない。

 男子用プールサイドの反対側、女子用プールサイドでも、女子は俺たちと同じように体を水に慣らしているようだ。

 俺はその中の一人、ナツミを見つめていた。

 一ヶ月ほど前の体育祭以来、俺はナツミのことが気になるようになっていた。

 ナツミは体育祭では、みんなの期待を背負う重要なリレーのアンカーとして活躍していた。

 俺はナツミの走りを見ていた。

 その走りは他の女子とはまるで違った。

 よくある可愛さ命の保守的なジョギングではなかった。

 綺麗なフォームで、いかにも美を体現しているような美貌で、向かい風にチャームポイントの茶髪をなびかせながら、本気で走っていた。

 その姿は歴戦の天使のようだった。

 それを見た俺の体に電撃が走る。

 本気のかっこよさというものを、俺はこのとき初めて知った。

 以来、俺は他クラスであるにも関わらず、ナツミを見に休み時間はナツミの教室へ行ったりしていた。

 そんなナツミの白い綺麗な肌が、プールサイドで綺麗な青の水と共に、太陽の光を反射している。

 ダイヤモンドのようだった。俺はもはや感動していた。

 あまりじろじろ見ていると不審がられることに気づいた俺は、プールサイドから完全にプールの中へと飛び込み、頭まで水の中へと沈めた。

 身体中に感じる水温は冷たくて、気持ちが良かった。

 俺の中のアクマも、同時に息を潜めた。






 俺は自分が高校生のときのことを思い出していた。

 昔からそうだが、どうやら俺は恋愛のテンシに嫌われているらしい。俺は今まで何一つとしてうまくいった恋はなかった。

 どんどん移り変わる興味は、まるで俺にとってアクマのようだった。

 うちのテンシはそんなアクマのことが大嫌いみたいだ。

 人の体で喧嘩はしないでほしいものである。


 アクマはこれからも俺の中にはびこり続けるだろう。

 だけども、俺の恋路はそんなアクマに邪魔されて廃れるほど脆いものではないのだ。

 俺は、好きな人を好きでいるだけ。



 俺はそんなことを考えつつ、新しい出会いに胸を躍らせながら、大学の入学式へと向かった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

アクマとともに 杞結 @suzumushi3364

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ