かくからく
藤泉都理
かくからく
夜も更けた頃。
外から物音が聞こえた。
控えめな物音だったが、眠りの浅い、もしくは、浅くなってしまった私を起こすには十分な音だった。
家の隣の広場からだろう。
ああ、またかと。
カーテンと窓をそっと開けて、広場を窺うと。
いつの間にか置かれていた、広場の中央から少し離れたところに置かれた、木箱。
やはり、その上に乗って、誰かが歌っていた。
いや、歌っていると言っても、声は一切出していない、と思う。
出していたとしても、とても、か細い声、だと思う。
のだが。
とても大きく、熱い、声が、届くのだ。
全身を、皮膚を、筋肉を、脂肪を、骨を、細胞を、燃やさんばかりの、全身全霊で放つ、いや、心身を振り絞る歌声が。
光って見えるのだ。歌っている人が。
スポットライトなんてないのに。
月光が注がない日だってあるのに。
まばゆい光が、歌い手を、強烈に照らしている。
老若男女、毎日毎日、一日に一人、およそ十五分間だけ。
繰り返し来る人もいるし、一回こっきりの人もいる。
苦しく、なる。
あそこで歌う人たちを見ると、どうしてか、胸が、喉が苦しくなって、涙がいつの間にか、流れ落ちる。
化かされている、のだろう、きっと。
年を重ねて変化した動物にでも。
まさか本当に人間が歌っているわけがない。
と、否定したくなる。強烈に。
どうしてだか。
生きる気力をもらっているようで。
半面、吸い取られているような気もして。
見なければいいだけの話なのに。
どうしてだか、夜が更けた頃、私は広場から物音がすれば、こうして窺ってしまう。
囚われてしまったのだろうか。
あそこで歌う人たちに。
羨望を抱いているのだろうか。
あそこで歌ってみたいと、
いや。
ゆるり、否定する。
歌いたいわけではない。
ただ、
数日後。
一月八日。
十八歳の時にする市区町村もあるらしいが、私の市は二十歳に行う成人式を終えて、今。夜が更けた頃。
広場にも近くにも人がいない事を重々確認してのち、私は木箱の上に乗っては、背筋を伸ばして、眉根を寄せて、目を潤ませて、澄んだ夜空を見上げながら、演歌を口パクしていた。
いや、歌いたいわけでは決してないのだ。
本当は、本当は、ただ、へいらっしゃいと、言ってみたかっただけなのだ。
ちょっと、ふざけてみたかったのだ。
なのに。
これが、更けた夜の、この広場の、この木箱が織り成す、力、か。
一曲、全身全霊で口パクし終えた私がふと、木箱から降りようと夜空から地面へ視線を下ろすと、二つ目を月光色に光らせた猫がいた。
突然の登場に、けれど、驚かなかった私をじっと見つめているので、もしかして演歌を聞いてくれたのかなと深々と頭を下げてお礼を呟くと、猫は小さく鳴いてその場を立ち去って行った。
数日後。
夜も更けた頃。
数日ぶりに外から物音が聞こえた私は、ああ、今日も誰かが歌っているのかと思いながらも、そのまま眠りに就こうとした。が。
空耳だろうけれど見てくれと言われた気がしたので、渋々、起き上がり、カーテンと窓を少しだけ開けて広場を見てみた。ら。
一匹の猫が木箱の上に座って、とても気持ちよさそうに歌っていた。
あの時の猫だと思いながら、うつらうつらと見つめていて、歌い終わると小さな拍手を贈った。
すごく心地のいい、力が入っておらず、解き放たれた歌声だった。
私は猫が木箱から降りて広場を去るまで、小さな拍手を贈り続けた。
人生それぞれ、猫それぞれ、だ。
私は猫の歌声を聞いてから変えた。いや、変わった。
連日から時々になった。
広場で歌う人間や猫を見るのは。
脱力して見ては、いつの間にか眠っていて朝を迎えるのは。
(2023.1.4)
かくからく 藤泉都理 @fujitori
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
同じコレクションの次の小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます