第3話 ノイズが多い

 まさみの職場は表参道にある。

 日曜日の美容室は予約で満員、まるで戦場の有様だ。おしゃべりな美容師は手先と同じくらいの器用さで唇を動かし、顧客それぞれに異なったプログラムが次々にこなされる。店長の統括の下、全体が有機的に連携し優秀な軍隊となって前進する。まさみも例外ではない。忠実な一兵卒である。地味な存在だが自己主張が強い仲間たちと異なり黙々と働くので重宝されている。客の評判も悪くはない。きちんとやるべきことをやる。その姿勢が評価されるのだ。

 かゆいところはないですか?

 美容師の手のひらをはみ出た髪がうねりながら店内に伸びていく。

 化け物だ!

 そんな叫びが起こってもおかしくはないのだが、泡まみれになった美容師は淡々と髪を洗いつづる。指先に力をこめて頭皮をマッサージし、髪に対しては撫でるように優しい。ヘナで染められた紫、緑、茜といった毒々しい色に対しても驚きの声は上がらない。大蛇を思わせる激しく重いうねりの中で客たちは思い思いの瞑想に沈んでいる。

 メデューサさ。

 腕を組んだ店長はそんなふうに嘯く。蛇の髪を持つ女神で、その顔を見た者は恐怖のあまり石になってしまったという伝説を持つ。

 退治の方法を知っているか? 鏡だよ。ヘラクレスは鏡を盾にして怪物に自分自身の顔を見せた、ってわけ。

 そう言ってくるりとミラーを回すのだ。

 店内は光の洪水となる。大蛇と龍と、ヘナの匂いと飛び立つ泡と、軽やかな鋏使いと蒸したタオル。さらに無数の唇の蠢きと分厚い女性誌と。それらがきらめきながら万華鏡のごとく回転する。

 女神たちは慢心したのか。

 気がつくと戦場には死屍累々、汚れた床に切りとられた毛髪が散乱し、パーマ液とヘナと香水とその他正体不明の臭気が立ち込め、それでも戦士たる美容師たちは粛々と撤収作業に入り、機器の洗浄と清掃、読み散らかされた雑誌類やカタログ類の片付け、什器の収納なども順を追って進められる。


 鏡は回転し続けている。

 映し出された窓の外で街路をゆっくりと電車が走っているのをまさみは目に留めた。かをるに聞いたことのある青電車だろう。とっくの昔に廃止された路線をなぞるようにして渋谷から坂道を上がってくる。

 あれを見ると死ぬらしいよ。

 ネット上ではそんな会話が飛び交っている。嘘でしょう、と思うが見てしまったからには否定もできない。放送局のVTRが再生されるたびに電気信号が複雑な作用で乱反射し、ないものをあるかに見せてしまう。回路の設計容量を超えた電磁波が常時、伝送される時代となりもはや最先端のプログラミングに通じた技術者といえどもすべての映像を把握し、コントロールすることはできない、VEはそんなふうに説明してくれたらしい。

 陰謀かもしれない、

 と彼は唱えているという。データベースがハッキングされている可能性がある。国内とは限らない。中国かもしれないしアメリカかもしれない。プロパガンダとして利用するためあらゆるメディアが動員されるのだ。権力者たちは人工衛星から俯瞰して全体像を把握する。まるで神だ。勘違いも甚だしいが、なんともまがまがしい事態だ。

 回し続ければいいわけね、

 とまさみは鏡を操作する。

 おりしも路面電車見直しの機運は地方都市に於いて高まっている。ライトレールと呼ばれ、富山市での成功を見て宇都宮市では新規導入が実施された。自動車が交通の主流となり郊外に巨大なショッピングセンターができた代わりに旧市街が寂れているのは共通だ。シャッター街などと揶揄される市の中心部に賑わいを呼び戻す切り札としてライトレールが脚光を浴びている。

 青電車の登場はこれに呼応しているのかもしれない。夢には必ず現実が反映される。昼と夜は別ではあるが結びついている。走っているのは同じ線路なのだ。時の回廊を巡ってモーターの唸りを響かせ、夜の片隅にぴかりと一つ目のヘッドランプを光らせる。交差点にはその存在を待ちわびていた人々が行列している。

 あなたも乗るのですか? 

 と尋ねれば、もちろん、と答える。彼らの影は薄く、風が吹いたらぺらりと剥がれて飛んでしまいそうだった。

 あれは最終電車の一つ前です、だから行き先表示幕が青くなっているでしょう、いわゆる青電車ですよ、と。最終の一本前。このことが大切だ。決して終わりではない。まだ終電が来る。それは十分後かもしれないし、一時間後かもしれない。いやいや一年後かもしれない。絶対に来る。でもいずれにしても行ったら決して戻ることはできない。それが世の真実ではないか。過ぎ去ったものは二度と戻ることはない。戻るとしたら幽霊だ。意味もなく同じことを繰り返す者は不気味と感じられる。

 確かに最近、巷にはそんな生態があふれている。録音や録画といった技術が発展したためだ、とVEは説明する。都内の雑踏を一日監視すれば巧妙に紛れ込んでいる亡者の所作を見つけるのはさほど難しくない。

 リピーター。

 楽をしたいからなのか、ただ単に考えが浅いだけなのか、快楽の強度を増したいからなのか。魂の抜け殻のような、操り人形のような輩ばかりになってしまっている、と。


 車内では父さんと母さんが顔を見合わせている。

 ロングシートに隣り合わせに腰掛けていたのだが、異臭がして顔を上げると目の前にぬっ、と手を差し出された。旧日本陸軍の帽子を目深に被り、腕に包帯を巻いた男が立っている。髭は伸び放題だしサングラスをかけているので風貌はよくわからない。

 父さんがポケットから取り出した百円玉を載せてやる。男は手を引っ込めない。再度突き出す。やむなく五百円札を載せるとようやく二人から離れる。ここはお国の三百里、と歌っている。フェイクだね、と父さんは呟く。

 いいのよ、と母さんは首を横に振る。

 理由もなく怖くなったのだ。

 なにかを奪われるかもしれない、という気配がある。ただ電車に乗っているだけなのだ、そう自分に言い聞かせても収まらない。肝心の守らなければいけないのがなんなのかわからない。父さんが心配だというのとは違う。奪われるからには大切なものであるはずだ。金銭なのか、体面なのか、はたまた家族なのか、かけがえのない自然なのか、いや、自分の命なのか。どれも違う気がする。

 ひょっとしたらそれは「時間」かもしれない、と思った。

 もうあまりたくさんの時間はない。

 車窓にはときおり自動車のヘッドライトが流星のように尾を引いて流れ、町のネオンが光っている。居酒屋「呑み助」、すこやかクリニック、ユニオン法律事務所、東大進学ナンバーワン<東都ゼミ>。色とりどりの広告文字が浮かんでは闇に沈んでいく。なんだか現実離れして感じられた。ここはどこなのだろう、と。ついに我慢できず、

 次で降りて引き返しましょう、もう夜も遅いから、

 と強い口調で告げると、

 お前はそろそろ降りたほうがいい、俺は少し寄り道するから、と父さんは窓の外を見る。

 そればダメ。

 付き合いが悪い、って責めたりしないよ、俺はちゃんと自分のことは自分でできるから、知っているだろう、ほら、伊香保に行ったときもそうだったろう、

 と思い出を持ち出す。あれはいつのことだったか、二人で伊香保温泉に行った。バイクの調子が悪いので父さんは母さんをいったん旅館の前で降ろし整備工場に戻ったのだ。シリンダーヘッドが傷んでいたのだが幸い部品がありその場ですぐに修理ができた。

 父さんは微笑みながら頷いて運転手に降車を知らせるボタンを押してしまう。

 止まります! 

 と赤いランプが点灯した。次は荒川車庫という停留所だった。

 心配しなくていい、

 と父さんは繰り返す。保険はきちんとかけてある。家族に迷惑はかけない、たとえ行き先が地獄でもね、と。

 縁起でもない、と身震いする。

 電車は止まり扉が開く。よろしいですか、と運転手がマイク越しに降車を促す。父さんは怖い顔をして、降りなさい、という仕草をする。仕方なしに、

 それならここで待っているから用が済んだら戻ってね、伊香保でもそうだったでしょう、いろいろあの頃のことを話そうよ、

 と言い捨て停留所に出る。扉が閉まると電車はゆるゆると動き出す。赤いテールランプが次第に遠ざかり小さな点になる。終点の三ノ輪まで片道二十分くらいの道のりだ。往復一時間で戻るだろうか。それともどこか行きたい場所でもあるのか。やっぱり後を追うべきか。とにかく次の電車を待ってみよう。

 都電のいいところは行ってしまってもすぐに次がやってくることだ。百足のようにぞろぞろと長い編成を引きずって地の底を走る地下鉄とは異なり、一両ずつ野良猫のようにやってくる。猫たちは気まぐれだ。すぐに姿を隠す。探すと見つからない。それでも箱に隠れて待っていたりする。

 次の電車は理屈からすると最終電車のはずだった。混雑しているようで車窓に大勢の乗客が張り付いている。赤く染まった行き先表示には漢字で一文字「天」と書かれているようだ。確認しようと目を凝らすが蜘蛛のように蠢いて判然としない。

 降りる者はない。

 彼らはじっと母さんを見ている。なぜかみんなニコニコしている。早く乗れよ、とでも言いだけに。待っていたのだから乗るのが当然なのだ、と気押されそうになる。だがこの電車は変だ。この人たちはどこから来たのだろう?

 乗らないの?

 戸口にいた若い女が剣呑な態度で尋ねてくる。

 どこ行きなの?

 みんなで一緒に境界を越えるのよ。そんなことも知らないの? 

 と背を向けた。その頬を涙が伝っているのに気がついて腹の底をえぐられたような恐怖とも悲しみともつかない感情を覚える。

 発車します、

 と無機質な運転手の声がスピーカーから聞こえて扉が閉まると古びたモーターを響かせて電車は動き出す。行き先でどんな運命が待っているのかわからないのに笑っている乗客を見ていると心底怖い。笑っている場合ではないはずだ。早く降りて、と叫びたくなる。それとも死にたいの? そんなはずはない。いや、だから怖いのだ。笑顔が怖い理由はそれだ。ニコニコしながら死んでいきます、そんなことがありえるの? 

 さっきの若い女だけが笑っていない。扉のガラス窓越しにじっと母さんを見つめている。成すすべはない。電車はすぐに光の塊となって闇の奥へと滑っていく。遠い国からやってきた人形劇のようにすべてが無言で進展していた。


 ノイズが多いね、とVEは言う。こりゃ、手に負えないわ、と。

 激しい蠕動運動が収まるとかをるは彼の腕をゆっくりと押し返す。ノイズも必要かも、と呟きながら。

 顔だから。顔たちだから。

 生き生きと動いていたこの人たちはもういなくなってしまった。不思議な感覚に囚われる。回ってくるニキビ面、次はサングラスの女、そしてえびす顔、また別の禿頭。留まるところを知らない。これは誰なのだろう。

 画面に目を近づければ走査線が淡い水色と灰色の間に振動しているだけだ。隙間を見落としているのかもしれない。見ないようにしていると言ってもいい。トラッキングの調整は隠すための作業なのだ。決して表には出ないが常に世界につきまとって離れないノイズがある。潜んでいたものはいつしか勢いを増し立ち上がる。こうしてコウモリの氾濫が始まる。コウモリは現実の裏側に巧妙に忍び込んでいる。そして不意に羽を広げる。映っているものよりも映っていないもののほうが大きいのだ。


 箱は軽かった。

 配達しようとしたが相手先不明の荷物だった。荷主に連絡しようとして伝票をあらため唖然とした。さつき自身の住所氏名が記されていたのである。店長に相談すると不審そうな顔をされた。

 ふざけてんの?

 いえ、と答えさつきは荷物を引き取った。もしかするとナオトかもしれないと思ったのである。こんな方法で連絡してくるなんて。

 帰宅して開くと空だった。

 ただよく確かめると蓋に一枚のチラシが貼りつけてあった。占いの館アリアドネ。場所は秋葉原らしい。

 その日の夜、さっそく出かけてみた。

 チラシの案内図を見ながら電気街を抜け南に歩くと神田川が流れている。その先はどこか淫靡な雰囲気を宿す歓楽街となっていた。スナック、居酒屋、カラオケなどの看板が並び賑っている。占いの館は花屋のビルの二階だということで探していたがなかなか行き当らない。やっと錆びついたシャッターに「フラワーうらしま」と書かれているのを見つける。コロナの影響もあってつぶれてしまったのかもしれない。

 どこにもそれらしき表示はないのだが、薄汚れた鉄の階段を上がるとタロットカードを描いた扉があった。樹脂製のカバーは日に焼けておりブザーのボタンを押してみたが手ごたえはない。どこかで救急車のサイレンが響き夜の街の喧騒を際立たせる。不安を覚えたがしばらくすると内部で物音がして窓の格子で影が動いた。

 はい、

 と低い声が応答する。記憶を遡ってもそれが知っている人なのか判断はつかない。

 さつきです、

 と声を発した。緊張しているつもりはなかったがかすれてしまう。扉がほんの少し開いた。蝶番は錆びており動くと大きな音がする。内部は薄暗く机に置かれたスタンドだけが光の輪を広げていた。薄暗い中にぼうっ、と顔が浮かんでいる。黒ずくめの衣装をまとった老人で、水晶球がテーブルに鎮座している。

 なんだい、

 と尋ねられ返答に詰まった。ナオトではなかったのでがっかりしたのだ。

 箱をいただきまして。

 我ながらおかしなコメントだと思ったが、老人は扉を開いて招き入れた。棚には針のない時計とか血を流すマリア像など怪しげなオブジェが並んでいた。座るなり、

 まずは手を出して、

 と掌をテーブルの上に曝すよう求められる。骨ばった細い指先で確かめるように線分をたどり、大きな虫眼鏡を用いて確認する。つぶやきが聞こえるが意味はわからない。次にボールペンでメモ用紙に印をつけている。覗き込んでも文字には見えない。

 続いて机の上に箱が置かれる。

 猫が入っています。どんな猫が好みですか?

 そう問われて面食らった。猫は嫌いじゃないけど好きでもない。どんな、と言われても。少なくとも答え次第で猫の生死が決まる、というのは困る。具体的に言った方がいいのだろうか。アメリカンショートヘア、とか。でもあれは高い猫だ。もっと普通の三毛猫でいい。いや、野良猫でいい。黒は縁起が悪いとか言うけど、黒でも白でも、ブチがあっても太っていても。なんでもいい、というのは無責任か。

 オスで、あまり大きくなりすぎていない、性格のおとなしい子がいいです。

 占い師がおもむろに箱を開けるとグレーの猫がいた。毛並みがよく柔らかそうだが微動だにしない。眼はしっかりと閉じられている。眠っているのだろうか。無表情のまま差し出されて身を引いた。

 死んでいるの? 

 いや、生きていないし死んでもいない。いわばさなぎの状態です。

 さなぎ? 

 猫にもさなぎがあるのか。恐る恐るのぞき込む。手を触れるのは憚られたが占い師は骨ばった指先で頭を撫でている。

 魂を吹き込むのはあなたの役割です。

 とんでもない話だ。自分にはそんな魔法使いみたいな能力はない。老人は箱から猫を出してさつきの掌に置こうとする。

 あっ、

 と慌てて手を引っ込めたので猫はころん、と転がってしまう。瞼がわずかに開いた。次第に恐ろしくなる。見れば見る程、不思議だ。指先が触れると暖かい。だが脚にタグがついているのに気がついた。「対象年齢三歳以上」と書かれている。

 もしかするとぬいぐるみなの?

 突然、腹の底から笑いが湧いた。同時に怒りも覚えた。とんでもない話だ。人を馬鹿にして、と。顔を上げると老人はじっとさつきを見ている。

 アリアドネ、知っていますか。

 いいえ。

 ギリシア神話に出てくる話です。迷路に閉じ込められている怪物が毎年、生贄を要求していた。勇者が退治に挑みます。その若者に惚れたのがアリアドネ。糸を手渡し、繰り出しながら迷路を進めと教えます。おかけで勇者は怪物に対決を挑み、やっつけた上で糸を手繰りながら迷うこともなく無事に戻ることができた。きっとあなたにも必要なのでしょう、ナビゲーションが。そのためにここに来たはずです。

 わかりません。

 あなたは自分の居所がわからないらしい。一番、危険な状態です。まずはそこから始めなければならない。猫を抱いてごらんなさい。あなたと同じです。箱の中にいる。さなぎの状態です。出ていく方法がわからない。でも救出を待ってはいけません。自分の力で出口を探すのです。

 占い師はそう告げると猫を箱に入れ渡してくれた。

 雑踏を歩きながら考える。

 あたしは箱の中にいるのだ、と。箱入り娘? などとふざけている場合ではない。箱に入っているのは猫だ。魂を吹き込めだなんて。人を食った話だ。だがそのとき、

 ミャオーン!

 と声がしてあわや箱を取り落としそうになる。路肩にしゃがんで箱を置くと恐る恐る蓋を開け、中をのぞいてみる。暗がりでつぶらな瞳が光っていた。指先を伸ばすと髭を震わせてまた鳴くのだ。

 生きている!

 気がつくと目から涙があふれていた。どうして自分が泣いているのかさつきにはわからない。だがこみあげてくるものを抑えることができない。


 猫を抱き上げて歩いていると見覚えのある人がいた。

 あの人だ。

 久しぶり、と照れたような笑いを浮かべている。知らないふりもできない。今さらなぜこんなところに現れたのだろう。まさか待ち伏せしていた? いや、それなら自分ではなくてまさみのところに行くはずだ。

 片思いだったのかな。

 なんの話ですか?

 公園でさ、好き、嫌い、って花びらをむしったじゃないか。最後は好き、好き、好き。どっちにしても好きだって。でも人の心は変る。もう忘れてしまったのかな。

 忘れていないと思いますよ、まさみは。

 そう答えたが正直に言うとさつきには顔も思い出せない。目つきとか耳の形とか細かい部分は覚えている。だけど全体の印象が薄くなってしまっており、地下鉄の駅ですれ違っても気がつかないだろう。

 そんなものだ。

 寂しいよね。クレーンゲームでもやるしかない。百円玉でキャラクターグッズを吊り上げる。だめならガチャだ。カプセルトイ、って言うのかな、なにが出て来るのかお楽しみ。偶然に賭けることで少しは癒される。とにかく効率が優先される世の中だからね。生まれ育ちはもちろん、肩書や能力、キャリアとも関係ない偶然はガチャくらいしかないだろう。

 あの人は口先をとがらせてそんなふうに挑発するのだ。

 嘘つきよ、

 とさつきは押し返す。

 あなたはいつも自分だけ安全地帯に避難した上で他人の行動に難癖をつける。評論家みたいにね。ずる賢いのよ。自分は損しないように巧妙に立ちまわってお金を貯めて優越感に浸っている。偶然が癒しだなんて大嘘。恥をかくことを一番、恐れているのはあなたでしょう。他人との比較ばかりで冒険心なんてゼロ。だから成果もゼロ。そのことを隠すために生きているのよ。

 糾弾にもかかわらずあの人は笑っていた。しかしそれはまた怒りを含んだものであり、

 おいおい、言ってくれるね!

 と近寄ってくる。ここで怒鳴ったりすれば非難の通りだと自ら認めてしまうことになるとわかるくらいの知性はあるようだ。

 ならばこういうことでどう、あそこのゲーセンで一番勝負。

 と目の前のゲームセンターを顎でしゃくる。入ってすぐのところにスロットマシンが据えられている。さっそく陣取ってレバーを引くと回転するのはコウモリとオタマジャクシ。ジンジャーマンクッキーと箱の猫。どれも偶然の産物なのか。だけど偶然ではない必然などあり得るのだろうか。いや、むしろすべて神が決定していて必然だという考えも成立しないか。

 なんだか不毛な議論だよね。

 あの人は目を白黒させながらマシンの窓をのぞいている。そのうちあの人の瞳がくるくると回り出した。見ているうちに酔ってしまいそうでこれはまずい、と感じたさつきは猫をしっかりと抱えたまま走り出す。こういうとき繁華街の雑踏は心地よい。幸い誰も追ってはこないようだ。光と影が交錯する。上下左右、東西南北が自在に入れ替わる。その度に猫が導いてくれた。そのか細い鳴き声がアリアドネの糸なのだろうか。

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