第4話 入ることは出ることになり、出ることは入ることになる
さつき。かをる。まさみ。
それぞれがパズルのピースみたいにぴたりとはまる場所があればいいのに。だけどそんなに世の中は甘くはない。それにあまりぴったりだと窮屈かもしれない。伸びやかに自由がいい、っていつも言っていたのは誰だろう。無責任かもしれないけどアメーバーみたいに蠢いてどんな型にもはまらないのが本物だよ。そう反論したい。
そろそろ父さんの正体もわかってきただろう。スーパーマンじゃないしウルトラマンでもない。不気味だけどフランケンシュタインほどではないし、女たらしだけど光源氏には負ける。子供じみているけどピノッキオにもドラえもんにも似ていない。ドン・キホーテみたいに無鉄砲で鼠小僧治郎吉みたいに人情家だけど信長やシーザーみたいに近臣に裏切られてリア王と同じく悲劇的結末を迎えるかもしれない。
母さんはそんなことを言って部屋を出ていこうとする。あとは好きにしていいからさ、と。母さんの受信機能が弱まったのか、父さんのプロトコルが未対応なのか、あるいは母さんの帯域が狭いのか父さんがデフォルト設定のまま更新されていないからなのか、とにかく不安定な状態が続いている。
母さんが意図的に事実を隠蔽しているという疑惑も生じている。父さんを封じようとあの手、この手で策謀をめぐらせている張本人は母さんなのではないか。ありえないとは思うけどそこまで考えさせられるほど謎は深まっていた。母さんが例のお向かいの井上さんの空き家に頻繁に出入りしている姿を目撃したという噂もある。やはりあの家の窓に現れる顏は父さんなのか。それとも別の関係者なのか。いずれにしても胡乱な話だ。
父さん母さんとは一般論なら、夫と妻であり男と女だ。だけどそれだけではない。父さんが赤信号なら母さんは青信号、父さんがディフェンスなら母さんはオフェンスといった役割分担もあったはずだ。料理とワイン、酸味と甘みのように補い合いながら互いを際立たせる組み合わせ、つまり相性も重要で、紫と黄、緑と赤みたいに目がちかちかするような対照だってありなのだ。魚にとっての水、鳥たちの森、そんなふうに包摂して関係を育む場合もある。いずれも大切なのはバランスだ。だけどほどよい調和が崩れた場合になにが起こるのか。
なんだか怖かった。
テレビを点けたとたん、ジャーン、いよいよ真打登場、などと叫んで画面から父さんが飛び出してきそうな気がした。
あり得ないよ。
だけど一度でも許してしまったら取り返しのつかないことになる。これまで丁寧に作業してきたことはすべて水の泡。元に戻すことはできなくなる。嘘が誠に、誠が嘘になり、誰も信用できない。そんな父さんは見たくもないし、会いたくもない。ならばいっそのことこのまま封印しておいたほうがいいのだろうか。謎のままの父さんこそみんなの憧れであり、希望であり、可能性だとしたら現実化しないのが最善ということになる。
父さんは誰なのか。
あたしは知らない。あなたも知らない。
電動バイクで日本一周するのだってさ。テレビの番組でそんなのがあるでしょう、充電させてください、っていろいろな家を訪ねながら旅する、ってわけ。
ふざけんな!
かをるはテレビを持ち上げて床にたたきつけようとしている。
そんなことをする必要はない、悪いのは機械じゃないから、
とさつきが止める。むしろ破壊行為が父さんへの否定を明快にして逆説的にその存在を確定させてしまう可能性すらあるから。
あたしが作る、
と宣言したのはまさみだ。小麦粉に卵をまぜてこねるのだ。ジンジャーマンとしての父さん。いいねえ。不完全でもいい、魂を込めればいずれ動き出す。
だけどそれだけではダメ。伝送して目覚めさせなきゃ、
とさつきが名乗りを上げる。きっと父さんもさなぎなのよ。呼び出されるのを待っている。彼女がメッセンジャーとなり箱をかついでいつでもどこでも伴走する。まさみが説明できないことはさつきが語り続ければいい。
かをるはトラッキングを調整して正しい画像を見せようとする。それが自分の役割だと信じて。こうしてそれぞれが自らを救うのだ。否定を否定して肯定し、動き続けることで命をつないでいく。
こんなふうにみんなで協力して理想の父さんを孵化させればいい。
ちりりん、
とどこかでベルが鳴る。電話なのか、呼び鈴なのか。クッキングタイマーか、托鉢僧か。はたまた風鈴か、熊除けなのか。そのどれでもないのか。とにかくもう時間はあまりないらしい。
三人が揃うのは夢の中だけなのだ。ようやくそのことがはっきりする。
キッチンからは香ばしい匂いが漂い始めている。
見れば無数のジンジャーマンが走り回っている。父さんはこんなふうにして世界を巡るのね、とまさみは笑う。デジタル化のためか文字が電話線を通過する姿はもはやかをるの瞳にも浮き上がっては見えない。無表情な記号の群れが行き来するばかりで受話器は沈黙している。今度はさつきが母さんの役割を果たす番らしい。箱から出てきた猫に「ハコ」という名前をつけてかかりっきりなのだ。配達される荷物への関心もなくなった。
ある日、配達業務で駆け巡っていると、
ゴール、ゴール、ゴール!
との歓声が聞こえた。サッカーの中継でもやっているのだろうか。
ゴールはどこ?
そもそも通話と追いかけっこすべし、っていう母さんの発想が無茶なのよね。そんなことで父さんが見つかるわけもない。家もなくなってしまいそうなのにさ。どうするのよ。ゴールはちっとも見えない。だから誰が一着なのか順位も決められない。ただひたすら走り続ける羽目になる。
ゴールが見えない、ってことがゴールなのかもね。
かをるの瞳でオタマジャクシとコウモリが交互に登場し、高速で回転している。見えないってことが見える、そういうことかな、と。正にスロットマシンだ。止める気はないらしい。
もういいよ、どこでもいいよ。
どこでもいいか。
軽い話でしょう。軽い話だったってことにしようよ。いいでしょう?
まさみはうなずく。そうなのよ。クッキーだって失敗したらまた作ればいいから。どうせ配達される箱も空っぽだし、とはさつきの言。
一番星、見つけた!
そう叫んでさつきが手を振り回すと、どっち? と他の二人も家を飛び出す。通りの両側を見渡していた三人はあいまいな紫色の影を躍らせながら思い思いに夕焼けの茜色を目指して走って行く。玄関からは、
もしもし、
との第一声が聞こえている。ようやく基準が満たされ通話が再開したらしい。残念ながら耳を傾ける者はいない。お向かいさんの表札が外され、建設業法に基づく「解体工事のお知らせ」と記された標識が掲示されているのにも気がついていない。あんなに騒いでいたのにこの始末。自由になった言葉を解きほぐして大空に羽ばたかせるにはまだほど遠いようだ。いや、よく考えてみたら、もはや飛ばす必要さえないのかもしれない。
ねえ、いいでしょう、父さん。
父さんの孵化 晶蔵 @shozoshozo
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