父さんの孵化
晶蔵
第1話 いつも遅すぎるか早すぎる
あの頃はいつもそうしていた。みんなそうだ。
無駄話に基準などない。あるわけもない。
玄関の下駄箱に置かれた黒電話がちりりん、と鳴る。誰が一番乗りするか。板張りの廊下を走る足音が響く。
耳を澄ませば応答が聞こえるかもしれない。
さつき、かをる、まさみ。
呼び出されたのは誰?
待ちきれずに階段を駆け下りてしまう。ところがチン、と受話器は置かれた。間違い電話だってさ、と。間違いでもいい。誰かと話してみたかった。電話は外界への窓なのである。
もちろん二階の窓からは電信柱も見えている。
電力線に交じって束ねられている電話線を言葉が走っている。かをるにはそれが目視できるらしい。
も、し、も、し、
と前傾姿勢のひらがなたちが線をたわめて自らの姿を模りながら進んで行くのだ。まさかね、と驚くと口元に人差し指を当て、内緒、と言う。通話の秘密もまる見えらしい。お隣さんの借金やご主人の浮気、嫁姑の諍いも。それだけではない、愛の囁きや長々と続くセールストーク、ごみの捨て方に関する説教やらペットの苦情、介護疲れの愚痴や水漏れ修理の依頼まで。
しばらくするとお向かいさんの窓に顔が現れるようになっていた。口を大きく開いて叫んでいる。声は聞こえない。あれはなにを知らせているのだろう。もたもたせず電話に出ろ、ということか、それとも出るなという事か。
ハロー、ハロー、ハロー。
どうやら催促らしい。
いきなり「ATMから振り込んでください」などと言われれば詐欺だと気づくが、あなたの学費は私が出したはず、とか家を建てる時、ローンの保証人になってあげたでしょうなどと恩着せがましい話を重ねた挙句、困っているからなんとかして、すぐに返すからと粘られれば応じてしまうこともあるかもしれない。
重い話ですね、父さん。
かつて電話機のダイヤルはバネ仕掛けで重かった。指を差し込んで金具の位置まで回すのだが、一番離れているゼロだとぐるりと回すのが億劫だしダイヤルが戻るのにも時間がかかる。おかげで電話番号は指先で覚えられた。通話を始める前、心を鎮めるための儀式でもあった。プッシュ式に代わったばかりの頃はボタンがあまりに軽くて物足りなかったがピ、ポ、パ、という音に未来を感じたのは確かだ。音を覚えて娘が付き合っている男の番号を察知してしまうスパイまがいの父親もいたらしい。
小さな四角いプラスチックのボタンを押せばすぐにつながってしまうので慌てる。いざつながるとどう切り出していいのかわからない。思わず、
やめて!
と叫んでしまった。相手の息遣いが聞こえ慌てて受話器を切ってしまう。これではなにをやめたらいいのかわからない。不気味なだけだ。タバコでも酒でもない。パチンコでも競馬でもない。貧乏ゆすりとか口笛くらいならまだいいだろう。
会社? 学校?
このへんになるとヘビーだ。リストカットや麻薬だったらもっとやばい。
やめて、やめて、やめて。
これも重いですね。
ねえ、あなたたち電話でなにを話しているの? 長いってことは問題があるわけでしょう、隠してもわかるのよ。
母さんは厳しい。
いつもはっきりした答えを要求する。ごまかしは効かない。
なに、って言ったってね、とにかくうまくいかないの。なにもかも全部よ。
一流ホテルのコンシェルジュだったら満足な回答を提示できたかもしれない。どのような難題にも回答するのが彼らのサービスだから当然です。プロとしての矜持があるしそれなりの報酬ももらっているはず。だけどお小遣いさえもらっていないあたしがなんでそこまで言われるのよ。あたしだって好きにしたいのよ、と娘は抗議する。
まあいいじゃない、
とあなたは笑うかもしれないけど本人たちにとっては深刻な問題だ。
母さんの小言は基本的に同じことの繰り返しで「嘘をつくな」「自分のことだけではなく他人の気持ちを思いやれ」「迷惑はかけるな」ときわめて常識的な指導である。
検討は緻密に
決断は慎重に
行動は迅速に
という毛筆で書かれた色紙が台所に張られていた。なんでも父さんの会社の方針でこれを基準にしろ、ということらしいが勘弁してほしい。そもそもこんなふうに決めつけるのが間違っている。例えば決断を早くして行動は慎重にしたほうがよくないか? 場合による、と言えばそれまでだが。同じことでも聞くたびに意味が変わってしまう場合がある。だから何度でも質問する。
父さんはどこにいるの?
仕事をしているのよ。
だからどこで?
わからない。毎晩、遠くで走っている。いつも動いているから「どこ」と特定できない。
なぜ帰ってこないの?
いつか帰ってくる。それまで待つしかない。
いつもこんな調子で埒が明かない。
当然、文句も出る。まずはかをるから。
もう待てないよ、と。
かをるの瞳ではオタマジャクシが泳いでいる。左目だ。たいていの人は気がつかないがときおり、くるりと尻尾を現わしたりする。右はコウモリだ。昼間はおとなしくしているが夜になると素早く飛び回る。かをると見つめ合うとどこかちぐはぐな印象があるのはそのためである。左右で行動原理が異なるからだ。注意深く観察すれば実はかをるはほんど何も見ていない、ということに気がつくだろう。
かをるの目は回送電車みたい、
と評したのはさつきだったかまさみだったか。いや、母さんかもしれない。
一日の運行を終えた電車が車庫に向うとき、行き先表示幕はルーレットみたいにくるくる回り読み取れない。ご利用になれません、とアナウンスされているのにまあいいか、と飛び乗るの。ロシアンルーレットみたいに死んじゃうことはないにしても、思いもよらないところに連れていかれたりして、それはそれでけっこう楽しいかもね。
修理できる、と主張したのは彼女が務めている放送局のビデオ・エンジニア、略してVEだった。
ただのノイズです。トラッキングの問題ですね。簡単に治りますよ、と笑う。実際、彼の傍にいる間、かをるの瞳に異常は見あたらない。VEが巧みにエモーション・コントロールしているわけだ。画面はいつもくっきり、はっきり澄んでいる。
生体の神秘は恒常性です、
と彼は説明してくれる。常に変動する諸要素のバランスを取ること。ファクターが多すぎてすべてを把握することはできないが大局的にはビデオのような電子機器の制御と変わらない。クロマとヒューが違うようにオタマジャクシとコウモリも違う。
コウモリは超音波を発しながら周囲の環境を測定し飛行する。相手に気づかれずに闇を滑空するスパイのような習性だ。かをるの物おじしない性格はそんなところから来ているのかもしれない。一方、オタマジャクシはカエルになる。姿かたちからは親子だと想像ができない。変幻自在なのはそっちの特性だ。普段は着古したTシャツとジーンズ姿で色気のかけらもないが、営業担当者と取引先に出かける際はビジネススーツをきこんでいかにもキャリアウーマンといった風情だし、パーティーに出る際は衣装部から豪華なドレスを借り出して大女優のようなゴージャスな装いを身に纏うこともある。お前の彼女、スゲーな、あれって誰だよ、と仲間にからかわれてVEは得意げである。彼女じゃないよ、弟子なのさ、と。
しまいにかをるは家に帰らなくなる。
所属しているライブラリーセンターでの作業が深夜に及ぶとVEと二人で夜食と称して屋台のラーメンをすすり、そのままタクシーで彼の部屋に向かい飲み直す。トラッキング調整のため、ということになる。簡単だなどとうそぶいていたが実は難しいらしい。繊細な感覚と集中力を要する。だから酒を飲んでもちっとも酔わない。その生真面目さにかをるは満足する。
一方、さつきの戦法は玄関のブザーだ。
かをるやまさみとの競争で思うように電話を取れないならこちらで勝負しよう、というわけである。きっかけは荷物の配達だった。ブザーが鳴って玄関にかけ降りサンダルをつっかけてドアを開くと、背の高い男で運送会社の制服を着ている。
どうもどうも!
とやたら愛想がいい。胸元の名札は「ワカバヤシ・ナオト」と読み取れる。とたんに惹かれている自分に気がつく。最近、こんなにくったくのない笑顔はなかなか見られない。商売用だとしてもいいではないか。爽やかで親しみ深く、信頼感がある。ナオトって名前もいいじゃない。早くも忘れられない存在になっている。ブー、なのか、ブッブー、なのかブーブブーか。彼女はナオトの押し方を把握してブザーの奏でる呼び出しを巧みに聞き分ける。
ついに我慢できなくなったある日、
デートしてみたい、
と直接告げてみた。本当ですか、と彼は驚く。僕なんかでいいのですか、と。もちろんです、と答えるのだが彼は忙しい。いや、正確には約束が難しいのだ。配達すべき荷物の量は増えるばかりだし、万が一、顧客に彼女と会っている現場を目撃されたりすれば、あの配達員は仕事をサボってデートしていた、とのクレームに発展しかねない。
そのときはいったん二人とも半ば微笑みながら、半ば悲しみながらリアルでの逢引きは諦め、相互にアドレスを交換するにとどめた。
いい方法があるのです、
とナオトが伝えてきたのはそれから数日後だった。さつきの家からさほど遠くないところに北関東に伸びる私鉄の踏切がある。朝の七時半から九時くらいまでの間は通勤電車がひっきりなしに通過し、いわゆる「開かずの踏切」になる。これは絶好の場ではないですか、というわけだ。彼は配達用の台車を押して翌朝、そこにやってくる。はやる気持ちを押さえながら彼女も急ぎ足で向かう。
案の定、カンカン、と踏切がけたたましい音で鳴り続け、十両編成の電車が猛スピードで通過している。急行、快速、鈍行、そしてまた急行、と切れ目もない。やっと終わった、と思うと反対方面が来る。地元の人たちはあきらめ気味で、中には遮断機をくぐって走り抜ける猛者もいたがさつきたちはそんなことはしない。お互いの姿を誰にも遠慮することなくじっくりと見つめ合う。そして電車が通過する直前、遮断機越しに互いの思いのたけを叫ぶのだ。伸びあがって耳に手のひらを当てるのだが騒音にかき消されて言葉は聞き取れない。
列車が通過すると彼の姿は消えている。魔法であったかのように。タイムリミットとなりやむなく配達先へ向かったのだ。深い充実感と同時にそこはかとない悲しみも漂う。
行き違いになることもある。
彼がすでに行ってしまった、もしくは彼女が出向く時間が遅すぎたのだ。だが翌日の感動は倍加する。満面の笑みが通過する車両の合間でフラッシュのように輝くのだ。
好きだ!
たまらないよ!
愛している!
電車の車輪が奏でるリズムが腹の底に響いて心臓がどきどきする。いつの日か遮断機が上がった瞬間、二人が同時に踏切の真ん中に駆け寄り、奇跡的な邂逅が実現するのではないのか、それを想像するだけで興奮してしまうのだった。
踏切の恋人たち。
近所の住人たちはそんな二人を暖かい表情で見守っている。
ところが異変が起こった。
ブザーを聞いて大喜びで階段を駆け下りたが現れたのは別の男なのだ。ありえない、と思った。ナオトの音なのに。ワカバヤシさんは、と尋ねると配達員はシフトで働いているので他の人のことはわからない、という答えだった。すぐに彼の電話番号やメールアドレスを確認するがいずれも消去されていた。
嫌な予感がする。
運送会社の営業所を突き止めると走り込んだ。ワカバヤシは事情があって別の店に移りました、個人情報なので連絡先は教えられない、とのことだった。トラブルがあったのに違いない。
さつきは現場を重視する刑事のように踏切に戻った。昼間は電車が少ないのをいいことに遮断機の周りをうろつき線路を検分した。さらに路地をたどり彼が担当していた区域を巡っているうちに気がついた。ブザーだ。彼が押していたブザー、これを手掛かりにすればいい。とにかく目の前にあった家のインターフォンのボタンを恐る恐る押してみると、
ピンポン、
という音がした。応答はない。隣の家はカンコン、さらに先の家はウンともスンとも言わない。意外と留守が多いのかな、と考え込んでしまう。それでもめげることなくボタンを押し続ける。ブー、というブザーの音がするまで。そうすれば彼と再会できる気がしたのだ。少なくとも手がかりが得られるはずだと。
ナオトさん、知りませんか?
怪訝な表情をされても構わず走ってボタンを押す。
数日後、彼女は宅配便の営業所に戻った。
調査は空振りだった。ならば一層のことプロとしてブザーを押せばいい、と考えたのである。お荷物の引き取りですか、と尋ねられ、働きたいのですけど、と申し出るとさして驚かれることもなく事務室に案内された。制服姿の主任に運転免許の有無を確認され、契約書を提示された。人手不足なので助かるよ、とのことだった。
制服を着てみると街の景色が違って見える。
すべてが明るく輝いていた。ブザーを押すのにも怪しい口実は必要ない。走って行くのだけが変わらない。朝から晩までさつきは走り回っている。
顧客の評判は上々だ。
判子ならまかせてよ。ほら、これが認印。ポンポンポン、すぐ押すよ。いくらでも、いくつでも、いつまでも。政府はやめろ、って言っているけどね。
受け取りの判子はもういらないのです、
と断ってもこの有様だ。
抱えている荷物をプレゼントだと思えば楽しい。なにが入っているのか。開けてみるまでわからない。物理学で「シュレディンガーの猫」という思考実験がある。量子力学の多世界解釈では開けるまで箱に閉じ込められた猫は半分死んでいて、半分生きている。開けた瞬間、生死が確定するらしい。猫が箱を好きなのは確かで、入りこんでしまうこともあるだろう。もし死んでしまったら可哀想だから開けられない。
いや、反対にとんでもないものが飛び出しても困る。特に開けてはいけない、と禁止された場合だ。なにが入っているか気になるはずで、浦島太郎でなくてもちょっとだけ、と覗いてしまう。どうなったかはご存知のとおりだ。魔法が解けてしまうのかもしれない。そこには「時間」が封印されていたのだ。そう考えると御伽噺の寓意も明らかになる。
楽しい時は長くは続かない。
だからといって取り戻そうとしても無駄なのだ。歳月の経過には誰も逆らえない。むしろ流れるに任せておいたほうがいい。時間の秘密をあばく必要などない。知ったとしてもどうにもならないからだ。パンドラの箱みたいに開けた途端に災厄が束となって拡散してしまい、とんでもない目に遭うのも避けたい。慌てて閉めたので辛うじて希望が残った、という顛末もあまり嬉しくない。
箱の中にはまた箱があり、その中にも箱があり、といった想像も危険だ。マトリョーシカのようにどこまでも小さな箱が出てくる。このときは決して後ろをふり仰いではいけない。なぜなら自分も箱に入っていることに気がついてしまうからだ。いくら箱を開いても本来、そこにあるべき中身にはたどり着けないし一生、蓋を開け続ける羽目になる。そしていつしか箱の奥に自分を見つける。路地を走り回り、ブザーを鳴らし、荷物を届けている姿。開けてはいけない箱を開けている姿。
このとき禁断の扉が開いてしまう。
箱は瞬間的にブラックホールとなり逆らうことのできない重力で周囲を吸引する。抵抗しても無駄だ。次第に身体が引き伸ばされ、暗黒へと飲み込まれる。時間も引き延ばされるのでたいていの場合、事態の深刻さに当人は気がつかない。ゆっくりと着実なものが勝つ。無限とも思える長い時を経てようやく我に返る。
この人は誰なのだろう。
箱は答えない。箱はブラックであり、ブラックスワンであり、ブラックボックスである。無法であり、驚きであり、謎である。彼方に銀河の渦巻きが眺められ、時折、彗星が視野を過ぎり、中性子星の焚くパルサーがフラッシュとなって明滅する。すぐ脇には崩壊した恒星の残骸があざといばかりの虹色に輝きガスとなって漂っている。
ブザーを押しながらさつきは微笑む。
あたしは天国の遣いかしら、それとも地獄?
わかるはずもない。ミャオーン、と猫の鳴き声でも聞こえればヒントになるのに。
まさみはあまり文句を言うタイプではない。美容師として働いているが、サロンでも目立たない存在だ。土日と祝日は忙しく、月曜が休みのことが多い。お菓子作りが趣味で休みの日はクッキーを焼いている。深夜に姿が見えなくなったと思ったら、エプロンを着けたままふらふらしているところを警察官に見咎められたりする。
ジンジャーマンが家出したの、
とのことだった。確かにこんがり焼けた巨大な生地から人型が抜けている。焦がしてしまい捨てようとしたら逃げたのだ。ケタケタ笑っていたけど、あとで怖くなった。焦げたジンジャーマンはどこに行ったのだろう。不明なのだ。いずれどこかで鉢合わせするかもしれない。それは嫌だ。おぞましい。そう思いませんか?
これで済めば良かったのだが、あろうことか次々に人型が抜け落ち始めた。夜の間はまだ大丈夫だったが、朝になって陽の光が当たると熱の作用で膨張して飛び出てしまったらしい。まさみが帰宅してみると白っぽい人型が宵闇にたたずんでいた。
気が弱いらしく部屋の隅で膝を抱えて座り込み震えている。
あらまあ、ちょっと、勘弁してよ!
と腕を取ってキッチンに戻そうとするのだがこれぞ「のれんに腕押し」でペラペラの生地をつかむことができない。いずれにしてもサイズが変化しているのでピタリと抜き型に嵌めるのは無理そうだった。
あたしが悪いのよ、
と白い人は泣いている。全身を震わせビブラートを効かせ得も言われぬ悲しげなソプラノを響かせる。
お菓子にはなりきれないし、かといって主張すべき役割もない。できそこない、ってことで弾き飛ばされて帰る場所すらない、と。
いつでも帰っておいでよ
と黒焦げの生地が低音を響かせて返答する。
イヤイヤ、どうせあたしなんか
俺にふさわしき者はきみしかないのさ
アリアのようにクッキーの生地が呼び交わす様にまさみは慄然とした。いつのまにこんなことになってしまったのだろう。責任重大だ、と考えながらなんとかことを隠蔽しようと謀を巡らせる。
灰にしよう。燃してしまえば見分けもつかない。どちらが図でどちらが地だったかなんてどうでもよくなる。グレーゾーンという言葉がある様に、どこか怪しげだが表立って見咎められる危険も少ない。
特に夜がいい。
月明かりに照らされてジンジャーマンの残骸は躍り出す。まさみ自身も肌に灰をまぶして一緒に街へと繰りだす。行方不明の焦げたジンジャーマンを探し出すのだ。ここまでいってようやく満足できる。
なんでいつもクッキーを焼いているの?
と尋ねられれば、自分を忘れるため、と答える。自分が嫌い。顔がヘン。特に唇にほくろがあるのが気になる。目立たないようにと意識するあまり寡黙になったくらいだ。
だったら見なければいいじゃない、顔は他人のためにあるのだから!
などと学校の先生たちはもっともらしい慰撫の言葉を並べた。確かに鏡さえ見なければ忘れていられる。だが母さんはまったく違う意見だった。
あんたの顏は一度、見たら忘れられない。だからあんた自身は一度、忘れなさい。なにもかも忘れるくらい好きなことに没頭するの、
と。よくわからない理屈だったがそれで憑き物が落ちた。
あえて毎日、鏡と対面する職業を選んだのだ。
ただし美容師が見るのは自分ではない。顧客の容姿を整えるのが仕事だから。鏡を見ているのに自分は見ていない。逆説的だが向いている。
家では鋏と櫛をスパチュラと泡だて器に持ち替えてお菓子作りに挑戦した。生地で顔を作る。目、鼻、口。よく観察すれば結構面白い。大きな耳と太い眉毛。いいじゃないか、と思う。福笑いのようにぐちゃぐちゃに崩すとなおいい。配置が重要なのだ。位置によって印象は極端に変わる。
次は色だ。
ビビッドで血のような木イチゴの紅
心が休まる抹茶のモスグリーン
どこまでも深いカカオのダークブラウン
そんな色に出会いたかった。だがパッドの上で混ざり合った食材は不協和音を奏でる。そう、重ね合わせていくほどに暗くなりすべてはグレーに飲み込まれてしまう。
おいしさには形も影響する。
ペンタゴンがいいのか、ヘキサゴンがいいか、いや、やはり同心円か。ヨーロッパでは伝統的に円が好まれる。個人主義とは中心を持つ円のことであり、社会は無数の円の集合となる。中心には神がいる。なにもかも一つの中心からコントロールしたがる。それが西洋文明の特性だ。神なんてとっくにいないよ、というのは間違い。真理とか科学とか法秩序とか人権とか名前を変えているだけで性質は変らない。東洋は違う。たとえば中心が二つあったらどうなる? 意外と忘れられているのが楕円である。二つの焦点を持つ楕円は中国の陰陽思想の基本形だ。陰と陽は互いに補い合う。そしてどちらかが相手を支配することはない。さらにはあるときは陰だったものが陽となり、そのとき陽は陰となる。こうした変転が常にバランスを保っている。
大きな楕円はどうだろう。
男と女、親と子、教師と生徒、上司と部下。二人の役割はゆっくりとときには素早く交替する。そう考えればたいていの悩みは薄らいでいくはずだ。答えは関係にある。あわいと呼んでもいい。
まさみは黙ったまま生地をこねる。にこにこしながら。だがそれは決して無意味な微笑ではない。
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