第4話 後悔先に立たず
翌日の取り調べも、これまでと同じようにまったく進展することなく、時間だけがいたずらに過ぎていった。
「ほんと、しぶといな。粘ったところで、お前には何のメリットもないんだから、いい加減白状したらどうだ?」
刑事が半ば呆れたように言った。
「私はやってもいないことを認めるのが、どうしても嫌なんです」
「お前、これ以上ここにいると会社にバレるぞ。それでもいいのか?」
「別に構いません。後で無実が証明されればいいだけですから」
「そんな甘い考えは今すぐ捨てろ。その可能性は一ミリもねえから」
「なんでそう言い切れるんですか?」
「被害者がお前のことを憎んでるからだよ。寝たふりをして体を触るような悪質な奴を、到底許せるわけないからな」
「だからそんなことしてないって言ってるでしょ! 何度言えば分かるんですか!」
お互いの主張が平行線をたどる中、突然刑事らしき男が部屋に入ってきた。
男は刑事に何やら耳打ちすると、すぐに部屋を出ていった。
「何かあったんですか?」
「……被害者の女性がさっき証言を覆したそうだ」
刑事は苦々しい顔で言った。
「えっ! ということは、私の主張が認められたんですね?」
「ああ。これであんたは無罪放免だ。もう帰っていいぞ」
無実が証明されたにも拘わらず、最後までぞんざいな口を利く刑事に腹が立った俺は、「散々人を犯人扱いしておいて、そんなので済ませるつもりですか?」と言ってやった。
「じゃあ、どうしてほしいんだ?」
「まず謝ってください」
「残念ながらそれはできん。俺は捜査に基づいた取り調べをしただけだからな」
「でも結果的に、あなたたち警察は間違ってたんだから、謝るのが当然でしょ?」
「こういうケースはよくあることだ。こんなのでいちいち謝ってたら、警察の権威に関わるんだよ」
結局、刑事は謝ってくれなかった。
俺は納得できなかったものの、これ以上ここにいるのが嫌だったので、「短い間でしたが、お世話になりました」と、心にもないことを言って、そのまま警察署を後にした。
やがて家に着くと、俺は大声で「たたいま!」と叫び、妻と息子が出迎えてくれるのを待ったが、彼らが玄関に現れることはなかった。
(あれ? あんなに大きな声で叫んだのに、聞こえなかったのかな? まあいいか。このまま部屋まで行って驚かせてやろう)
そんなことを思いながらキッチンを覗いてみると、妻と息子がちょうど夕食を食べているところだった。
「ただいま! なんとか無事に帰還したぞ!」
まだ八歳の息子が抱きついてくることを想定して、手を広げながらそう言うと、彼は無表情のまま「おかえり」と素っ気なく言うだけで、妻に至っては言葉すら掛けてくれなかった。
「おいおい。何だよ、そのリアクションは。せっかく苦労して無罪を勝ち取ったのに、これじゃ喜びも半減だよ」
二人の態度が気に入らず愚痴っていると、妻が思いもよらぬ言葉を発した。
「あなたのこと、近所で噂になってるのよ」
「えっ! なんでそんなことになってるんだ?」
「誰だか分からないけど、あなたが電車の中で女性と揉めているところを観たって、そこら辺で言いふらしてるらしいのよ」
「マジか! くそっ、誰だそんなことしてる奴は」
「パパ、ぼく学校でお前の父さんは痴漢だって言われたんだけど、パパはそんなことしてないよね?」
「……ああ、もちろんさ。もしまたそんなこと言われたら、パパに報告してくれ。パパがそいつらのこと懲らしめてやるから」
「あなた、お願いだから、そんなみっともないことしないでちょうだい」
「何がみっともないんだ! たとえ子供だろうが、言っていい事と悪い事があるってことを、分からせないといけないだろ!」
「どっちにしても、もうここには住めないわ。早いうちに引っ越ししましょう」
「なんでそんなことしなくちゃいけないんだ? 俺たちは何も悪いことなんてしてないだろ」
「たとえそうでも、一度変な噂が出回ったら、もう取り返しがつかないわ」
「俺は絶対引っ越しなんてしないぞ。そんなにここが嫌なら、お前らが出て行け」
「分かりました。じゃあ明日、正樹を連れて実家に帰らせていただきます」
「勝手にしろ!」
翌日、妻は宣言通り息子を連れて家を出て行った。
(あの時ムキにならず、女の言ったように別の席を探せばよかった。そしたら、こんなことにならなかったのに……)
俺はつまらない意地を張ったばかりに、何よりも大切な家族を失ってしまった。
了
隣に座っただけなのに 丸子稔 @kyuukomu
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