最終話
高橋は去り際、夜に電話すると言っていた。
急ぎの依頼ということだから、モノになりそうか、聞きたいのだろう。
「はあ……」
自然とため息がでる。
高橋という男はいつも強引だった。
私がまだ駆け出しの脚本家ということもあるが、それにしても無理を言ってきすぎだと思う。
昨今はこの業界でもハラスメントが大きな問題として取り上げられている。
そんな中、権力者であるプロデューサーが新人脚本家に仕事のことで無理強いをすれば、一瞬にして立場を失うリスクがあると思うのだが、あの男にはそんな心配は毛ほどもないらしい。
いや、あの男に限らない。
脚本家は非常に弱い立場にある。あの男に限らず、プロデューサーと名乗る人間は自分の好きなように話し、好きなように文句を言う。私たちがどう思っているかなんて、考えたことがないだろう。興味もないに違いない。
まあ、もうあきらめている。わかってくれとも思わない。それは、ぜいたくな望みだ。
せめて、しっかり金さえ払ってくれればいい。
どんな仕事でも、ないよりはましだ。この業界にかじりつきたい私のような人間にとっては、特に。
「何かとっかかりを探すか」
机にラップトップを広げると、私はウエブブラウザを立ち上げた。
そして検索欄に「西島法子」と入力していく。
主演を張るようなキャリアだけあり、ウィキペディアがでてきた。
リンクをクリックすると、簡単な紹介文が表示される。
西島法子(1990-2015)は伊豆大島生まれのアイドル、女優。大学一年のとき国民的アイドルグループのオーディションに合格。アイドル活動のかたわら、テレビドラマや映画を中心に活躍していたが、2015年、初主演ホラーの撮影中に自殺した。理由は明らかになっていない。なお本作は撮影を中断し、現在にいたるまで完成していない。
「自殺……」
自然と目が脚本に向いた。
几帳面にひかれた黄色いマーカー。途切れたその直線。
何を思ってペンを止めたのだろう。
私は思考を止め、マウスのホイールをクルクルと回す。
ウィキペディアのページが下にスクロールして顔写真が表示された。
アイドル出身らしい、清楚な顔立ちだった。
しかし、それ以外に特徴はなかった。どこにでもいそうな顔。切れ長の目に、薄い唇。長い黒髪を耳にかけているが、前髪が額を隠しているせいか、少し陰鬱に感じられる。
集合写真と見比べてみた。
集合写真の法子は赤いワンピースを着て笑っていた。
「…初主演なのに、なにがあったの」
誰に言うでもなく、つぶやいた。
と、背後に気配を感じた。
背中に寒気が走り、毛が立った。
ハッとして振り返る。
視界に、赤い服の女が横切ったように見えた。
「ひっ! 誰!?」
思わず身をこわばらせて叫んだ。
視界には誰の姿もなかった。
すぐに気づいた。勘違いだ。部屋の隅に吊るされた、赤い
胸を押さえ、息を整える。そして部屋のスイッチを押して、天井の蛍光灯を
なぜかその一張羅は小さく揺れていた。
でも私は気にしないことにした。
きっと風のせいだ。
どこからか風が吹き込んでいるのだ。どこからかはわからないが。そうに違いないのだから。
高橋から電話があったのは、それから三十分ほどたった後だった。
見間違いとはいえ、気が滅入りそうになっていた私は、その電話をありがたく思った。
簡単なあいさつを交わし、私は言った。
「コピーでいいんで、あれじゃないのにしてもらえませんか」
「――気持ち悪い?」
「だって…」
「自殺したから?」
「……ですし、血みたいのもついてるし」
「愛子ちゃんの気持ちもわかるけどさ。人はいつか死ぬんだよ。どういう形であれ」
「死に方の問題があるやないですか」
「じゃあ自然死だったらいいの?」
「そういうことを言ってるんじゃ…」
「なになに。要するに、書きたくないってこと?」
「……」
「別にいいよ。いつまでもバイトしながら書いてればいいじゃん。でも専業の脚本家になって、西澤愛子の名前で月9書くのが夢だったんだよね?」
「……そういう言い方はずるいですよ」
「思い出させてるんだろ? 考えてみてよ。撮影が頓挫したホラーのリメイクなんて、新人にとっちゃラッキーな仕事じゃん。元はできてるんだから」
「わかってますよ、それくらい。でも…」
「でも、なに。まさか西島法子の幽霊でも見た?」
いや、あれは見間違いだ。
「ええ? うそでしょ?」
「…いや、さすがに見間違いだと思ってます。でも、なんていうか…誰かがいる感じはあって…」
「…気のせいだよ、そんなの」
「……」
「この地球上で一日何人が自殺してると思ってんの? それがいちいち幽霊になるわけないじゃん」
「…でも、なんか私と名前も似てるし、気持ち悪くて…」
「自意識過剰なんじゃないの。もういいから。初稿だけでも書いてよ。三日あげるから。いい?」
「…わかりました」
腹立たしい気持ちを隠して、私は通話を切った。
三日といわず、今日中に書き上げてやろう。
そして残りの二日は、寝て過ごしてやる。
私はラップトップのスリープを解除しようと、画面を見た。
暗くなり、反射する画面に、何かが映っていた。
それは、私の背後にいた。
切れ長の細い目と薄い唇の女が、赤いワンピースを着て、立っていた。
私は動けなかった。
* * *
オートロックのインターフォンを鳴らすと、ただガチャッと音がして、エントランスのドアが開いた。
何か返事くらいしろよ、ったく。
俺は苛ついて頭をかきつつ、エレベーターのボタンを押した。
できたのなら、メールで送ればいいものを、わざわざ「来てくれ」とは。
プロデューサーを何だと思っているんだ、あの女は。
俺は愛子の顔を思い返して、また頭をかいた。
あの暗い、鬱陶しい女。大した才能もないくせに、俺の上司と一度寝たことで仕事を得ている。くだらない話だ。まあ、上司を追い詰めるネタだと思えば、悪くない話ではあるが。
部屋の前につき、もう一度インターフォンを押す。
やはりなんの返事もなく、ドアが薄く開いた。
「やあ、愛子ちゃん。早いね、助かるよ」
俺は努めて明るく言った。
ドアの隙間から蚊の鳴くような声が聞こえる。
「すみません、わざわざ」
「いいよいいよ、こっち来る用事あったし」
ツーンと変なにおいのするワンルームに入る。
愛子はさっさと仕事机のほうへ行ってしまい、ちゃんと出迎えもしなかった。
どうもこいつは、俺のことをバカにしている気がする。
確かに俺は、若い女に好かれるタイプの人間ではないが、この女の態度はそういう感じではなかった。たぶん、愛人の部下だからと、適当に扱っているに違いない。
「適当に座ってください」
椅子に腰掛けると、愛子はうつむいて言った。
抑揚のない、妙な発声だった。
座るも何も、この部屋には椅子などない。だからいつもベッドに腰を下ろしていたが、上司とよろしくやっているであろう場所に座るのは本当は嫌だった。
それに、今日はにおいがきつかった。
「ここでいいよ、すぐ行くし」
俺は苛つきを押さえながら、声を絞り出した。
「でも書けたんならメールでくれればいいのに」
「壊れちゃって」
やはり抑揚のない声だった。
相変わらずうつむいているし、少し不気味だった。
俺は、さっさと原稿を受け取って帰ろうと思った。
「…そう、なんだ。で、どれ?」
「……」
「…愛子ちゃん?」
とうとう、何も答えなくなってしまった。
俺は仕方なく、愛子に近づいた。
その瞬間、においが強くなる。
「なに、これ…?」
鼻を押さえて愛子に尋ねた。
愛子はうつむいたまま、何も答えない。
「ねえ、愛子ちゃん。おいって!」
肩をつかんでゆすった。
愛子が顔を上げて俺を見た。
俺は硬直して目を見開いた。
「…お、おまえ…いったい…」
知らない女だった。
切れ長の目と薄い唇。かわいいと言えばかわいいが、取り立てて特徴のない、どこにでもいる顔だった。
その女が、血の気を失った真っ白な顔色で笑みを浮かべていた。
「誰だ、おまえ……」
思わず後ずさった。
すると、なにかに蹴つまずいて、ひっくり返った。
「いてっ」
足元に目をやると、大きな黒い塊が倒れていた。
それは人だった。
見覚えのある顔。愛子だった。
「ひっ、ひいいい!」
なんだ、いったい何が起きてる?
俺は逃げようとして起き上がった。
その眼前に、切れ長の目をした女がヌッと顔を突き出した。
そこで、俺の記憶は途絶えている。
結論から言えば、俺は死んではいない。
だからこうして、この出来事を書き残せている。
そう、これは俺が経験した妙な出来事を、ホラー小説風に書いたものだ。
愛子の視点で描いた部分は、実際は何が起こったのかわからないから、想像で書いた。愛子の感情や思考は俺の妄想だ。だから出来事自体は実話だが、半実話という風にしておく。俺としてはたぶん、感受性の強い愛子が、脚本を読むうちに死にたくなったんじゃないかと思っているが、だとしても俺が見たあの切れ長の女――法子が現れたことの説明はつかない。まあ、超常現象に説明なんか野暮とも言えるが、その判断は読者のみんなに任せることにする。もちろん、愛子という名前や法子という女優名、それに映画のタイトルは偽名だぞ。まあ、わかっていると思うが。
そうそう、それでいうと、この出来事の後日談として一つだけはっきりと言えることがある。それは、俺のくそ上司のことだ。奴は愛子との関係が会社にばれてクビになった。警察にだいぶ疑われて、会社に言わざるを得なかったらしい。ざまあみろだよな。まあ警察の読み通り、上司が愛子を殺したのだとしたら話は簡単なんだが、上司にはアリバイがあったらしく、犯行は不可能だったそうだ。
そんな感じかな。
どうだろう、興味があったら、また思い出してみるよ。
じゃあな。
【リライト -幕-】
リライト 病因 @yamakiyo
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