城郭研究者の書籍をたまに読んだりするのですが、古い山城などを含めるとコンビニの数より多いのが日本の城なんだそうです。
城というと歴史好きにはたまらない建築物だと思いますが、城の形をとどめているものはごく一部で、ほとんどは野山と一体化してしまった城跡・砦跡だったりして、見つけ出して図面に起こす(これを縄張り図というそうですが)作業は登山とほぼ変わらないということでした。
山城といっても補給や居住性の問題から、ふもとからせいぜい200メートルもあれば「高所」。関東では北条氏や武田氏、上杉氏、徳川・今川あたりの抗争の結果、1000メートルクラスの山城もあるそうで、そこに詰めていなければならなかった兵士たちの苦労を想像するとちょっとホラーだなと思います。
そして城は戦争のための拠点なので、戦争の形が変われば城の形も変わっていくのが当然で、北条氏の後期の城は鉄砲戦に特化した建築になっていて、我々が城と聞いて想像するようなものではなかったのだとか。
ひるがえって鎌倉時代やそれ以前のことを思えば、もっと狭い範囲での抗争に備えての城だったりするわけで、平地に構えた居館を簡易的な堀と塀で囲ったものも城と呼べるのではないか、とか。武田で有名な躑躅ヶ崎館なんかはまさにその巨大版といった感じです。そうなると寺社仏閣が厚い塀と堀を備えているのにも同じような意味があったのではないか、とか想像が膨らみます。
ちなみに山城は下克上系の大名、平城は守護系の大名に多いそうで、同じ大名でも考え方や性質に違いがあるのがわかります。
「城」目線で戦国物を書いたりするのも目新しいかもしれませんね。