掌編小説・『ピーターパン』

夢美瑠瑠

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掌編小説・『ピーターパン』


 ~Ray Bradburyへのオマージュとして~


 幼少期が黄金時代だ、という発想は普遍的でもあって、ノスタルジーの世界にのみ生きている、思い出の世界にだけ自分の本当の居場所を見いだせる、そうした人物がそこかしこに存在するであろうことは想像に難くない。

 老人一般が追憶や郷愁にのみ慰安を見いだせる、それは自然だが、人格類型として現実に生きることが非常に苦痛というか、何かに依存したり逃避的に何かにすがらざるを得ないという、そういう弱さがある人だと、いつも過去の思い出を理想化して、とりわけ子供時代の楽しかった思い出や感覚に浸っているかもしれない。そうした幼児人格的退行傾向?が文学的に昇華されると、童話やメルヘン、美しいイメージのいろいろな芸術として結晶するのだろうか?


 僕も逃避的な性向の人格であり、いわゆる「発達障害」?なのかとも疑っている。で、アルコールや薬物に依存したり、ゲームや不純異性交遊の中毒になっていたこともあり、社会からはもう長年の間ほぼ逸脱している。

 

 社会から逸脱、あるいは社会に背馳?している感じの詩人とか文学者というのはしかしまあ枚挙に遑が無くて、むしろ何らかの社会への違和感が詩とか文学とかを愛好し、指向する動機になる場合が、寧ろ多いのではないか?

 

 孤独だから、孤独になりたいから本を読む機会が多くなり、やがて自分でも何か書いたりするようになる。ひとりで物を考えているだけというのが稀少価値になり、一種の得難い自分の個性となって自己実現につながっていく…つまり「そうなるしかしょうがないから」作家とか詩人になる。それしかできないから文章をものして口を糊している、そういう人の方が本来的な文学者の在り方なのではないか?


 社会と個人は二律背反であって、そこのところに苦しむのが人間の運命、生まれいずる悩みであって、そういう普遍的な悩みを典型的に悩む、カートヴォネガットの言う「坑内カナリア」、詩人とかのレーゾンデトルはそこかと思う。弱いがゆえに「坑内カナリア」が珍重される。芥川龍之介は戦争への予兆を逸早く「漠然とした不安」と感じ取ったがゆえに命を絶ったのだろう。


 「ピーターパン」の映画や物語を僕はよく知らないですが、ああいうディズニーのフェアリーテイルだののファンタジックなアニメーションの感じとか童心に訴える夢のある雰囲気とかにはやはり独特のノスタルジックな感懐を覚える。全世界の子供に共通する独特の懐かしい記憶や愛着を持っている。なにかふと心が折れたり、寂しさや虚しさを覚えたり、迷いを持ったりしたときに、精神が逃避的に退行して、気が付くとそうした子供時代の楽しかった記憶の断片とかをぼんやり夢想していたりするのは誰にもあることと思う。その記憶は甘くて、優しい。そこには妖精や天使や女神や悪魔や、人魚姫や白雪姫や、そうして「永遠の少年」、黄金の少年時代の象徴としての「ピーターパン」や「ティンカーベル」も存在しているのだ。人間にはそういう心のふるさとが必要で、現実とは違う何か、今ここにないもの、今、ここでないもの、そうした理想?への希求が、人間の尊いところ、向上心や創造力、想像力、未来に向かって生きていく、現実に立ち向かってさらにそれを凌駕していくエネルギーの源泉になるのだ。「人生に必要なのは、夢と勇気とちょっぴりのお金」、そう言ったのは、まさにウォルトディズニーその人である…


 「ピーターパンシンドローム」、「シンデレラコンプレックス」、「ロリータコンプレックス」、「マゾヒズム」、「サディズム」、「不思議の国のアリス症候群」、「エディップスコンプレックス」、「エレクトラコンプレックス」、「阿闍世コンプレックス」、etc…

 精神医学や精神分析の用語には文学やお伽噺のイメージや登場人物が頻出する。

 文学やそうしてメルヘンやお伽噺が描いている世界、その題材はつまり一種の異常な心理や精神で、しょせん「今、ここにある現実」ではない「別の何物か」なのかもしれない。

 それは常識や現実という観点から見るとただの病気、そういう側面が確かにあることの、こうした精神病理のネーミングはその証左かもしれない。


 だから幼稚な錯乱や錯誤と非現実性の表れとして、それらを否定するのは簡単なことで、「ネヴァーランド」はつまり「ありうべからざる世界」そう捨象するのはたやすい。

 が、本当にそれだけなのだろうか?

 夢やポエムや、フェアリーテイルやディズニーアニメ、SFもファンタジーゲームも文学も、すべての空想的で非現実的なものが駆逐されて存在しえない世界というのはずいぶん味気ない散文的な世界に違いない。

 すべての人類が人間疎外な労働から解放されて、真の意味でのルネサンスが再び訪れる…夢が寧ろ現実を凌駕するような、それが新しくて来るべき、「真実の世界」…僕は寧ろそうあるべきだと思うのだ。今の不条理な世界こそが「NEVER LAND」になるべきだとおれは思うのだ。


<了>


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