第14話


 珈琲という漢字の成り立ちは、女性のかんざしから来ているのだそうだ。


 これはコーヒーの実がかんざしに似ていることから、玉飾りの『珈』と紐飾りの『琲』を組み合わせて、宇田川榕庵という幕末の蘭学者が考えたのだけれど。なるほどたしかにそう言われてみると、どちらも宝石製品に関する『たまへん』が使われている。

 

 そんな理由もあって、バロンコーヒーの女性用の制服はハイカラな着物と、そして髪にはかんざしを刺すスタイルになっていた。店の雰囲気にもぴったりでお客さんからは大変好評。ただアキ姉ちゃんがバイトを辞めて着る人がいなくなってからは、代わりに僕が着てみてくれと言われることが多くなったので今では迷惑でしかないが。だれが着るか!


 まぁ、それはともかく。


 なぜこんな話をいきなりしたのかというと、こんどのゴールデンウィークにあるコーヒーイベントで、咲希と美玲をお手伝いとして雇おうとじいちゃんが言い出したから。華があって見栄えもいいし目立つしで、イベントでも着てもらうのだとか。二人とも可愛いからさぞ似合うだろう。目を引くこと間違いなしだ。正直に言えば僕も見てみたいという気持ちはある。


 けど、やっぱり友達を巻き込むのはなぁ……。

 

 本来であれば、このイベントには父さんと母さんが出るはずだったのだ。だがあいにく今回は帰国が梅雨明けくらいになるらしく不参加。父さんに至っては帰ってこないときた。


 となると、このままでは僕とじいちゃんの二人で何十、下手をすれば何百のお客さんの整列、接客、提供をしなければならないということで……無理だ。絶対に途中で手が回らなくなる。


 だから二人が手伝ってくれるのであれば僕としても助かるというのが本音なのだけれど、都合よく使っているみたいで心苦しい。


 それに、いかんせん当日まで一週間もないから無理だよと断られる可能性は非常に高い。ほぼぶっつけ本番だからな。僕なら気後れして「う~ん、ちょっと……」と断ると思う。

 

 しかし、じいちゃんに脅迫された翌日。学食のすみっこの方で昼食を囲んでいる際にダメ元で頼んでみたら、二人はあっさり了承してくれた。

 

「いいよ、なんか楽しそう!」とノリノリな美玲。お祭りかなにかと勘違いして……あいや、実際お祭りみたいなものか。


「わたしも、頑張る」咲希はやや不安げだが、やる気は十分そうだった。


「ほんとにいいの? 結構大変だよ?」

 

 あまりにも拍子抜けだったので、自分で頼んでおいて僕はそう聞き返した。美玲は遠慮しなくていいよと手をぱたぱたと振る。


「いつもお世話になってるからね。なにか出来ることあれば手伝いたいし」


「それならありがたいけど……でも咲希は? 人たくさん来るから、その……」


 初対面の人間とは挨拶を交わしただけで逃げ出すほど人見知りな咲希には、言っちゃ悪いが荷が重いと思うんだが。


 僕が言いにくそうにしていると、咲希は「大丈夫」と勇ましく握りこぶしを作った。


「いつまでもこのままじゃ、駄目だと思うし」


 昨日の一件でなにか心境の変化でもあったのか。なんにしてもよい傾向だ。


 と思っていたのだが、咲希はちらりとこちらを向くと、毅然とした様子から一転して頬を染め照れくさそうに言った。


「……それに。薫くんも、いるから」


「あ、うん。えっと……」


 頼られているのは嬉しいけど、昨夜のあれもあって絶妙に反応に困る台詞と仕草だな。

 

「そう、だね。一応、なにかあったら僕もフォローするし」


 なんだか僕も照れくさくなって逃げるように目を逸らせば、同席している美玲。そしてその横で惣菜パンを頬張ってばっかでさっきから物言わずの龍也が興味深々とこちらを見てきていた。いや、きみたちが想像してることなんてなにもないし見てるだけじゃなくてなにか言ってくれよ。普段はよけいなことしか言わないくせに。今は黙っていられるのが一番つらい。


「……まぁ、薫の話はわかったよ。たしかにあのイベントは人数必要だわな」

 

 龍也はたまごサンドを食べ終えると親指についたマヨネーズを舐めとってから口を開く。


「けど悪ぃ。泰三のじいさんが言うように、俺は自分とこの手伝いがあるからパスだ」


「ああ、うん。そうだとは思ってたから気にしないで」


「真澄くんちもなにかお店やってるの?」


 気になった美玲が気軽に尋ねた。龍也は大したものでもないと肩をすくめて答える。


「菓子屋をちょっとな」


「へぇ、お菓子屋さんなんだ。でもお手伝いって、もしかして今話してるイベントの?」


「ああ。コーヒー以外にもちらほら出店するんだよ」


「コーヒーのイベントなのに?」


「合わせるもんなきゃ口寂しいだろ」


「なるほどたしかに」


「ちなみに薫の店で出している菓子もうちで作ってるやつだぞ」


「あ、そうだったんだ。いつも美味しくいただいております」


「どういたしまして。まぁ作ってるのは親父だけどな。俺は妹たちといっしょに売り子してる」


「妹いるんだ」


「くそ生意気な双子がな」


「双子ちゃんかぁ。会ってみたいなぁ」


「ならこんど店に来てくれよ。ついでになんか買ってくれ。安くしとくから」


「ちゃっかりしてるなぁ。うん、そうさせてもらうね」


 めちゃくちゃフレンドリーに会話しているが、この二人今日が初対面である。どちらも気さくな性格だから心の壁というのがない。しれっと連絡先まで交換してるし。


「これからもやり取りあるだろうし、いっそもうこの四人でグループ作っちまうか」


 画面をぼんやり見ながら龍也がなんの気なしに言った。僕と美玲はべつにいいのだけれど……。


 視線が咲希に集中する。


「え、えっと……」


 咲希は僕と龍也の間で不安そうに視線を巡らせる。まぁそうなるよな。なんどか店で会ってるとはいえ、話したことはないし。


 主に咲希が逃げるから。


 でも、いい機会だから仲良くとはいかないまでも、話をできるくらいにはなってもらいたい。僕は大丈夫だよと頷く。


「口は悪いけど、こう見えていい奴だから」


「こう見えてってどういう意味だコラ」


「そういうところだよ」


 龍也のよけいなひとことで臆してしまったが、わずかに天秤がこちらに傾いたのか躊躇いながらも咲希は連絡先を交換した。四人のグループを作ると、新しいコミュニティができて浮足立つ空気のなか、真っ先に画面から視線を外した龍也が切り出した。


「で、話を戻すとだ。二人が手伝ってくれるってのはいいとして……どうすんだ。今週末だろイベント。あと何日もないぞ」


「だからさっそく今日すこし練習しようかと。ちょうど休みというか焙煎日で店閉めてるし」


「付け焼刃もいいとこだけどな」


 龍也は呆れたように苦笑するが、もうほんとにその通りだ。これから準備をはじめて果たして間に合うのだろうかという不安が拭いきれない。今更だけど、ここまで振り回してくれたじいちゃんに腹が立ってきた。人様にまで迷惑かけやがって。傍若無人にも程があるだろ。

 

「仕方ねぇな。俺も今日は暇だし、客役くらいなら協力してやるよ」


「ほんと助かるよ」

 

 やれやれとため息を吐くも、なんだかんだで面倒見のいい友人にお礼を言ってから、僕は咲希と美玲に向き直った。


「そういうわけなんだけど、二人は今日の放課後大丈夫?」


「うん。いつも行ってるから」


 毎日来てるんだから当然とばかりの咲希。


「わたしも大丈夫だよ。着物も着てみたいし」


 わくわくと瞳を躍らせて美玲が続く。

 

「じゃあわたしも行こっかな」


 そこで終わると思って僕は「三人とも、ありがとう」というお礼の言葉を用意していたのだけれど、ひとこと目を発する直前。突如として背中にたしかな重みと感触が襲い掛かり、そんな第三者の声がすぐ耳元で聞こえた。


 というかアキ姉ちゃんの声だった。気づかぬ内に近づいてきていて、後ろから腕を首に回してしなだれかかってきたのだ。ほとんど抱きつくような体勢に学食にいた生徒たちがにわかに色めき立つ。僕はあわてて振りほどき体を後ろに向けた。


「やっぱりアキ姉ちゃんかよ!」


 いたずらっぽい笑みを浮かべて悪びれなく手を振るアキ姉ちゃんがそこにいた。


「やっほ。お昼食べに来たらいたから声かけちゃった」


「普通にかければいいだろ! 緒方先生に節度守れって言われてんだからいい加減こういうのやめてくんない⁉」


「ごめんごめん。驚かせようかと思って」


 ええ、たしかに心臓が飛び跳ねるほど驚きましたよ。いたずらが成功してよかったなちくしょう。


「それで、みんなそろってなんの話してるのかな? ていうかたっちゃんがこの三人に混ざってるの珍しいね」


「成り行きでな」

 

「あ、そうだ。龍也おまえ僕の目の前にいるんだからアキ姉ちゃん来てたの気づいてただろ。なんで教えてくんないんだよ」


「面白くなりそうだったから黙ってた」そうだ。こういう奴だった。「あと薫。おまえいつもの呼び方が出てんぞ」


「え? あ、ほんとだ……」


「今更なんだからいいんじゃないべつに。わたしも薫くんって呼んでるし」


「あんたは教師なんだからもっと自重しろ」


「まぁ俺も普通にアキちゃんって呼んでるからな」


「おまえも気にしろよ!」


「ちょっと薫くん。みんなご飯食べてる最中なんだから静かにしなきゃ駄目だよ」


「だれのせいだと思ってんだ!」


 声を張り上げありったけの正論をぶつけるけれど、こんな怒涛のツッコみの連続ではたしかにうるさい。というかもう疲れた。僕はぐったりと背もたれに寄りかかる。


「ありゃりゃ。もう終わっちゃった」


 美玲が物足りなさそうに言う。面白がらないでください。


「あはは。ほんと薫くんって反応面白いから揶揄いがいあるよね。それでえっと……なんの話してたんだっけ?」


「自分で聞いといてなんで忘れるんだよ。僕たちがなんの話してるのかでしょ」


「あ、そうだそうだ。それで、みんなでなんの話してたの?」


「ほら、ゴールデンウィークに毎年やってるイベントあるでしょ。父さんと母さんが出れなくなったんだけど、咲希と美玲がお手伝いで来てくれることになったから、今日ちょっと接客の練習しようって話してて」


「そういえばもうそんな時期かぁ。そっかそっか、そういうこと。あのイベント去年までわたしもお手伝いしてたんだけど、大変だったけど毎年楽しかったんだよね。また参加したいなぁ」


「……なんかわざとらしい口調だな。なにが言いたいんだよ」


「また参加したいなぁ」


 アキ姉ちゃんは期待の眼差しを向けてくる。ここまで来れば僕もなにが言いたいのかわからないわけではないけれど。


「……いや、だって教師なんだからまずいんじゃ……」


「また参加したいなっ」


 くそっ、これ誘うまで諦めないやつだ。

 

「もう、薫くん。女の人がこうやってアピールしてるんだから、男の子ならそこは迷わず誘わなきゃ駄目だよ」


「なんの話してんだよ!」


「それにどうせ泰三さんからも誘っておけって言われてるんでしょ?」


「なんでわかんのっ?」


「わたしが何年あそこで働いてたと思ってんのさ」


 じいちゃんの傍若無人っぷりを知ってるのは僕だけじゃないということか。


「くっ……ああもうわかったよ誘うよ! でもどうなっても知らないからね!」


 結局根負けして、半ば無理やり頭を縦に振らされることになった。


 それでも、先ずは学校側に許可を取らねばならないだろう。わりと手こずるどころか、すげなく却下されるんじゃないか? そう淡く期待を抱いていたが、放課後。


「手伝いだけならいいってさ。あと何名かの先生は来てくれるって」


 教師からの人気も高いアキ姉ちゃんはすんなりとお許しをもらってきた。「じゃあこの後お店行くからね」とうきうき顔で言われてしまえば、僕が断る理由はなくなってしまった。

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