第4話

 ゆかりは、今は顔も思い出せない両親の一番の親友だったそうです。彼は、わたしの母を、そして何よりも父を深く愛していました。ふたりの交際を喜びながらもゆかりは、愛して欲しいと乞うことをやめられなかった。行き場のない恋慕はゆかりの体を貪って、彼の周囲から人を奪いました。それでも幸せだったのです。わたしの父母さえ幸せなら、幸せだと信じていられたのです。

 学生時代から続く歪な恋愛感情は、最悪の形で実を結びます。

 ゆかりが前を向こうとした頃、父はゆかりの体を犯しました。母がわたしを身籠ってすぐのことです。ゆかりは献身的に父に仕えました。奴隷のように。いずれ報われるのだと信じていたのです。

 それに気がついたのは母でした。父を奪われると思ったのか、はたまた自分を犠牲にしたいと思ったのか、今ではどちらでもいいことでしょう。月に一度、密かに彼らは逢瀬を重ねておりました。こんなことをしていれば、狭い田舎町では生きにくかったでしょう。誰が云わずとも、皆が皆、察してしまうのですから。

 けれど、関係は続きます。父も母もゆかりも、互いに互いを失いたくなかったのです。父はゆかりを支配したく、ゆかりは父を愛したく、母はふたりを愛したかった。

 ゆかりが部屋で母の体を愛し、舌先で開く間、父はその光景を眺め、股間を膨らませ、ぎらついた目で見続けていたのでしょう。屹立した陰茎をそっと挿しこみ揺さぶれば母は、はしたなく乱れたに相違ありません。夫へ詫びながら、狂おしく乱れたのに違いないのです。

 体が落ちるのが先か、心が落ちるのが先か。ゆかりは父への恋と芽生えた母への恋の狭間で気が狂うほど煩悶しておりました。

 ふたつの感情に挟まれたのはひとりでなかったのが、不幸でした。母はあの事故の日。ひとりきりで、ゆかりの家に行きました。そうして、父もまた、ゆかりの家に行った。見ているなんて知らないで、母はゆかりに愛を告白したのです。父は怒り狂いました。自分が招いた事だと云うのに、ゆかりをなじり、母を連れて帰ったのです。

 荒れた運転は、事故を招き、ふたりは死にました。

 以降、ゆかりの網膜にはふたりの顔が焼きついて、離れなくなったのです。春になり、桜が舞えば、ふたりとの日々が蘇る。消したくても、その姿は褪せることなく、より、鮮明になっていったのでしょう。

 わたしは結局のところ、代用品でした。愛していた、懐かしい場所の為だけに、贖罪の為だけに愛され続けた器。満たされぬ飢えを満たす為の何か。全て、全てゆかりの思うがままの、玩具だったのです。ゆかりが愛する為だけの小鳥。雛。小鳥の名前は、ゆかりという鳥かごに入れた、単なる言葉に過ぎませんでした。特別な呼び方でも何でもない、形容のための名前。

 ゆかりはわたしに縋りながら、そして旅立ちを願いながら離せなかっただけなのです。ゆかりの目の奥にわたしが居ないことはとっくの昔に気付いてはいました。わたしは、ゆかりが完成するためだけの器でしかなかったのです。

 桜の木の下には死体が埋まっていました。かつて存在した、ゆかりと云う男の死体が。小さな箱に、学生姿の三人の写真を収めて、想い出を収めて、しまいこまれていたのです。


 ねえ、ゆかり。わたしはあなたのことを赦せないでしょう。ひとりでも生きていける資産など、いりませんでした。あなたに愛されたかっただけなのです。せめて、愛する真似事をしないでくれたら、恨まずに済んだのに。わたしを少しでも見てくれたなら、わたしはいずれ、平凡な幸せを築き、死ぬことが出来たのに。けれど、あなたはあなただけを愛した。わたしを愛するふりをして、誰も見てやいなかった。ずっと、ずっと前から気付いていました。

 今、わたしの肉は固まっています。そして、あなたと同じよう、これから先、誰かを愛することも叶わない。憎む程に激しくあなたを愛してしまったのです。あなたが消えた今でも、あなたのことばかり思うのです。一体、それだけの愛を誰に捧げることが出来るんでしょう。あなたの体は今、土の下で静かに静かに眠っています。わたしもいつか同じ場所に眠る。

 春が来れば、桜が咲けば、舞い落ちればわたしはあなたを思うでしょう。鏡を見れば、あなたに哀しいほど、よく似た顔が見つめています。今、漸くあなたを見つけたのです。あなたとわたしは、やっと一つになれたのです。


 ゆかり、ゆかり……。わたしの、美しい叔父様。


 あの日、あなたの陰茎を膣に導き、幾度なく射精をさせて、穢したことを、未だ怒っているでしょうか。あなたが悪いのです。勃起しないなど、嘘を吐いたから。気付かないと思っていたなんて、なんてばかな男。はちきれんばかりに膨れ上がり、わたしを貫いたあなたの陰茎は年不相応に逞しく、どれだけわたしを満たしたことでしょう。そして、どれほどまでに渇きを与えたのでしょう。

 あなたが、ふたりの名前さえ呼ばなければ、こんな日記、小説だと思って忘れていてあげたのに。わたしに触れながら、別の名前を呼んだあなたを赦せなかったのです。


 あなたはわたしに汚されて、月夜に落花しました。それをただ窓越しに見ていたわたしは何の罪も犯していない。そういうことになるなんて、奇妙な話で笑えてきます。

 嗚呼……。あなたになってしまったわたしは、もう、誰に触れられても何も感じません。あなたの舌で水になった体は、今はもう、何にもなることが無く、凍っていくだけです。形を持つ肉体に触れられることに耐えられやしないのです。


 「お母さん」


 裾を引く気配。振りかえれば灰色の目でいとしい雛鳥がじっと見つめておりました。たったひとつ、ゆかりと繋がった証が。


 「なあに?」

 「いつも桜を見ているけれど、桜が好きなの?」

 「いいえ」


 風が吹きます。叔父のように、幹を幾度となく撫でて、唇を落とし、桜に流れる赤き血潮を思います。


 この枝を切れば、かつて人だったとでもいうように、血が流れてくるのでしょうか。わたしの顔を赤い血で汚すのでしょうか。幹に押し当てた掌からどくり、どくりと鼓動がするようです。わたしから命を吸い取ろうとして。

 離れ、そっと笑うのです。記憶に、わたしに、この子に降り注ぐ花弁に向けて。あなたに向けて。


 「大嫌いよ」













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花散らし 水城みと @mzsr310

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