第3話

 箍が外れたように、わたしも春に狂いました。桜が咲いている間、ゆぅらり、ゆらり散っていく間、新芽がでて枯れていく間……。教諭だけではありません。町に出て、声をかける男の手を取り、スカートを捲くれば、彼等はわたしの狂気に惑い、蹂躙し、罵り、嘲り、時には張型を押し込み、やがては、固い肉を貪って、果てました。一夜の契りは心を凍らせていきます。唯一、定期的に会うのはあの教諭で、日頃のストレスをぶつけるように、いたぶるのが常でした。

 時には女とも、体を重ねました。寂しさを埋めようと手を引く学友たちは男よりも儚く、繊細でした。唇は男の唇より甘く、陰核を撫でる指は優しく、滴る蜜を啜る舌は尖って、朽ちた花に潤む花を押し当てると、いずれ満たされぬままに息耐える。寂しさを紛らわせるために、渇いていく矛盾を抱えたまま、息吹を奪いました。

 誰と体を重ねても、胸の空洞は埋まりません。その誰かとの情交の中で、わたしはどこまでも一人なのです。叔父の顔を、姿を重ねられないのです。叔父の指を思い出すことは叶いませんでした。それが、罪悪であると本能が理解しておりました。ほんのひと時でも叔父に見えたなら、誰かをわたしは愛することが出来るのに、わたしはわたしにそれを赦すことが出来できませんでした。

 いっそ、叔父がわたしを孕んでくれたら幸せだと思うほどに叔父を求めました。その胸の奥にわたしを孕み、わたしを愛し、憎みながらわたしを貫いてくれたなら、楽園へと行けるのにと、枕を濡らしました。

 彼は連絡をしなくても、気にも留めないひとなのです。気付けば気付くほど、縛られて泥濘へ落ちていきます。叔父様、叔父様。この時からあなたの雛鳥はもう、羽なんてなかったのです。


 「雛鳥」


 叔父が来たのは、桜が散り、若葉は青々と日射しを遮る頃でした。床に転がり、流れる空だけをただ、眺めていました。扉を開き、ゆらりと部屋に来たのです。一週間ほど、学校を無断で休んだからでしょう。叔父の顔は険しく、怒っているようでもありました。


 「叔父様」

 「……」

 「叔父様」

 「……」

 「叔父様」

 「……」


 そのお顔で、彼が全てを知っているのだと、悟りました。


 「雛鳥のお腹、ぐるぐるとどろどろとした真っ黒なものになってしまいました」

 「それは君のせいだろう」

 「叔父様」

 「僕は君を助けないよ」


 今、初めてわたしを見る、叔父。叔父の、取り繕わない本当の、内側。


 「叔父様、綺麗に、してください」


 実際、今にも死にそうで、床材の冷たく硬い感覚が背から全身に駆け巡り、酷い気分でした。どこもかしこも血を流し、血だまりに体を埋めていると錯覚するほどに。


 「自分で責任をとりなさい」

 「叔父様が!」


 あなたが、あの春の日にわたしを連れ出さなければ。あなたが連れてきたのに、あなたのせいで汚くなったのに! 叶うなら、子供のままでいたかった、老いる前に死にたかったわたしを生かしたのは叔父の癖に! 呪詛は胸に渦巻く。涙は頬を伝い落ちて、床に、散る。


 「綺麗に、してください……。苦しくて、苦しくて、どうにか、なってしまいそうなんです。わたし、わたし、壊れてしまいそうなんです」

 「……」

 「助けて、助けて下さい、ねえ……助けて。苦しいの、痛いの、どうしたらいいかもわからないの、叔父様……」


 自分で選んだのに、理解しているのに、理解出来ない。灰色の目は、わたしを見つめ、やがて、そっと膝をつきました。


 「君が十六になったら、籍をいれよう。だから、もうこんなことはやめなさい」

 「……え?」

 「綺麗にしてほしいというなら、綺麗にしてあげよう。けれど、僕は君と性交はしない」

 「それでは」

 「意味がない? 言い方が悪かったね。僕は、勃たないんだ」

 「……そんな」

 「使い物にならないから、君にはいれられない。そして、君がいつか他の誰かの許へいけるように、舌だけしか、使わない」

 「なんで」

 「それが、君が望む、僕という男だよ。さァ、雛鳥。欲しければ服をお脱ぎ」

 「……」

 「出来ないならば、この話はここでお終いだ。もう一度云うよ。服を、脱ぎなさい、雛鳥」


 指先は、ひとつひとつボタンをはずしました。スカートのホックを落としても、まだ叔父は手を出しません。羞恥に震え、脱いだ下着には、既に染みが生まれていました。


 「叔父様……」

 「そこの椅子に座って、僕に全てを晒して見せるんだ」


 肘掛けに脚を乗せれば、ぴたりと閉じる性器はひくり、ひくつきました。叔父に手を伸ばすと、彼は漸く近付いて、囁くのです。


 「よくできたね、雛鳥」


 唇がそっと耳を食みました。耳朶から首筋へ、ぬらりとした生温かな舌先がなぞり、降りて、鎖骨の窪みを舐めます。

 ああ、と吐息が溢れました。

 叔父の舌先は汗ばむ肌を食し、胸の狭間にある臓器を求めます。高鳴る心臓の音を求め、懇願を求め、執拗に、執拗に。けれど、一番に触れて欲しい場所には触れません。赤く腫れた乳首は刺激を求め、疼きます。白い肌にぽつんと咲く姿は、卑しさを象徴するようで、より、いきり立つ。


 「……触れて欲しい場所があるなら、言いなさい」

 「乳首、を」

 「乳首? どうされたい? 噛んで欲しい? きつく吸って欲しい? 舐めて欲しい?」

 「さわ、って……」

 「全部だね」


 こくりと頷いたのが先か、叔父が舌でつついたのが先か。暖かな口腔に導かれ、吸われ、噛まれ、わたしは果てました。どろりとした液体に体が変わっていくような、無限の快楽でした。果ててもお構いなしに叔父の舌は乳首を愛するのです。乳首をつついたと思えば、乳輪を舐り、離れ、鎖骨を食む。

 そこから先は、無音の交尾でした。

 散々弄られる中で幾度、痙攣したのかわかりません。臀から静かに伝い落ちる液体は椅子の座面を穢していきました。すっかり唇を開いた花に唇をつけられた時、初めて、心が震えたのです。むわりと漂い広がるわたしの水面。美しい男の顔が水源に口付けた快楽は代えがたく甘い。

 開いたままの脚の間からは生温かなものが後から後から滴って、全てを呑み干そうと舌先は奥へ奥へと伸びていきます。啜る音は鳴りやまず、鼻先が陰核を押しつぶし、白く光が溢れていく。


 「叔父様、叔父様ぁ」


 子宮が、泣いている。わたしの隙間が泣いている。埋まっているのに、埋まらない。荒くなる呼気は二人分で、滴る音は一人分で、わたしの体は水へと変わり、叔父の中を彷徨っている。大きく震え、叫んで、漸く唇は離されたのです。


 「雛鳥、……そうじゃない」

 「……え?」

 「ゆかりと、呼んでくれるかい。君のことを、正しく愛せるように、僕の名前を呼んでくれるかい」

 「ゆかり、ゆかり、もっと、してください」

 「望みのままに」


 幾度も追いやられ、目覚めたのは明け方でした。わたしの体は液体から固体へと戻り、ぎこちない抱擁をする腕の強さに現実かを暫し疑いました。瞳を閉じたゆかりは若く、まるで、老いを忘れたかのようで、妙に泣きたくなったのです。

 十六の春、学校を辞め、わたしはゆかりと結婚しました。籍をいれただけで関係が変わったわけではありません。ただ夜毎、彼が求めるままに身を委ねました。

 シーツを握り、舌先に溺れるのです。くしゃくしゃに皺が寄ったシーツを見て、夜が終わらないことだけを願いました。形を失い、水となり、再び体を取り戻すまで、抱きしめてくれる腕が、ずっとこうしていることだけを、願いました。

 美しい指を唇に含むことが、唯一赦された愛撫でした。口腔に招き入れ、指の造形をなぞり、爪を撫でるたび、一番深い場所が泣きました。この美しい指が欲しい。卑しく一人で慰めても、飢えは満たされません。疼きは春を過ぎ、夏から秋へ、白い雪が世界を覆う冬になっても、消えません。必死に隠し、その胸元で瞼を閉じながら、思う。どうしてゆかりは、わたしを、……本当の名前で呼ばないのでしょう。わたしは、雛鳥と云う名前の女を知りません。かといって、もう、本当の名前は遥か遠くなっていて、今はもう、そのわたしですらない。わたしは一体何なのでしょう。

 ゆかりはどんどんと透き通っていきました。雪に埋もれ、姿が薄れ、穢れを脱ぎ捨てるように。誰も彼もがゆかりを見るのです。少しも着飾っていないからこそ、ゆかりは美しくありました。けれど長い睫毛を濡らす一粒の水滴すら、彼を融かしていきました。


 その余りに儚い美に、不安ばかりが膨らんでいったのです。


 これが、最期でした。


 ゆかりは、春に喰われてしまいました。静かに、桜の下で息絶えていたのです。

 世界で一番、残酷な男はわたしの手から離れました。嗚呼、でも、未だ生きているのです。残された、彼の日記の中で。


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