最終話 ジェニー

  チャールズがことあるごとにあたしを呼ぶようになったのはそれから直ぐのことでございました。

 チャールズはあるのために私を利用しようとしたのですが、そのときの私は愚かで無知で、信じることしか知らない小娘でしたので、チャールズの言われるがままでした。


――つつみ隠さず簡潔に申し上げましょう。チャールズはノア坊ちゃまを外に逃がそうとしていたのでございます。あの貴種、本物の貴族きぞくに外の世界を見せようと、そしてこの窮屈な鳥かごのような屋敷から解き放とうと、チャールズは画策していたようなのです。

 私は全てが終わってしまってからそれを知りました。


 ですから、私のこの記述ノートには私の憶測も入ってしまっていることをご承知おきください。


 そのときのチャールズは常に部屋の前に私を立たせ、中でを行いました。私は棒のように立ち、つとめて部品パーツのように振る舞い、さもそこで高貴で大事な仕事をしているかのように目を光らせました。

 お姉様達は、そんな私を気に掛けず、見ても気にもしないで、普段通り仕事を続けていました。これぞ「歯車」なのだと、そのときの私は思ったものです。


 「歯車」は「歯車」を回し、またあらたな「歯車」を産むのです。お姉様達が私に施した教育や奥様の最初の予定表などを思い出してみるに、この家こそが機械なのです。


 私はを回す側になってしみじみとこの時のことを思い返します。チャールズは。

 チャールズはどんな思いで、最後の体調管理メンテナンスを行ったのでしょう。


 私の背後では、チャールズが執事服を脱ぎ捨てて、坊ちゃまの整備を行っておりました。チャールズはおそらく飲まず食わず、坊ちゃまの身体を磨き、あるいは改造を施し、あるいは細かい機構の調整などをして、三日三晩こもり続けていました。

 チャールズに見張りとしてされたことを憎んではおりませんし、後悔もしておりません。

 そして今の立場に不満もなければ特別な感情も抱いてはいないのです。



 「ノア坊ちゃま」が旅立たれた日のことを今でも覚えています。あの、出会った頃の、幼い8歳のお姿をした坊ちゃまに、薄汚れたチャールズがすがりついて、慟哭しておりました。


「坊ちゃま。ノア様。車に轢かれぬように。オイル切れに気をつけて。どうしようもなくなったらこの老いぼれにどうかご連絡を。貴方を死なすつもりはありません、ありませんとも、……」


 坊ちゃまは青い瞳をきらめかして微笑まれました。天使のようでございました。


「ありがとう。チャールズ。ありがとう」

「坊ちゃま」

 滂沱の涙を流しながら、チャールズは坊ちゃまの手を握りました。

「どうぞ健やかに」



 坊ちゃまが雑踏の中へ旅立たれたそのあと、すぐにチャールズの姿は見えなくなりました。

 

 そして私は、を目の当たりにしました。ノア坊ちゃまと姿形が変わらない、新しい坊ちゃまは、決まった動きを繰り返し、まだ学習の真っ最中といった具合で、ノア坊ちゃまのように私を見分けることができませんでした。奥様がつきっきりになって坊ちゃまの世話をしましたが……やはりチャールズも、チャールズのような技師執事も現れることなく、今に至ります。


 いま、私の隣にはがいらっしゃいますが、数十年前から動かなくなってしまわれました。今は冷たい機械のむくろとして寝台の上の置物です。チャールズは……やはりチャールズの行方はわかりません。


 あたしの肩書は、今じゃ屋敷の「大奥様」です。重い病の息子ノアを持ち、老い先幾許いくばくもない、持病の黒灰煙はい病が悪化すれば今にも死んでしまいそうな枯れ枝のような女です。

 ……最初、私は坊ちゃまの配偶者として据え置かれたのでしたが、私も人間ですから、老いには勝てないのでございます。気づいたら母子というになっておりました。奥様が死の間際に残されたそのは今も私を縛っています。


 歩くことを忘れた足はすっかり邪魔な棒になってしまいました。私は一人では歩けません。ご覧の通りです。自働車椅子オートリールは便利ですが、使う余地はありません。その必要がないのです。


 私の下では、たくさんの若いメイド歯車たちが動き、そのメイドを執事たちが切り回し……黙っていれば食事が出る、呼びつければ下の世話をし、私の手足のように振る舞い……ああ私は何もする必要がないのだと、そう思い知らされます。毎日、毎日、毎日……。




 この手記を読むあなたに、お尋ねしたいことがございます。機械とは、機構とはなんなのでしょう? 欲望という名の目的に従って動く人間すら、機械なのかもしれないと、私は考えてしまうのでございます。


 ノア坊ちゃまだけが。そう、チャールズが言ったように、ノア坊ちゃまだけが、真の人間で、貴種でいらして、あたしはただのパーツに過ぎないのではないかと。沢山ある歯車のてっぺんに据えられたただの部品なんじゃないかと……。




 手が疲れてまいりました。とても眠く、ひどく疲れているようです。

 この手記を読むあなたへ、




 私の本当の名は、ジェニーといいます。

 もうこの名を呼ぶ人は誰もいないのです。

 ですからお願いがございます。一言でよろしいのです。ジェニーと。


 そうおっしゃっていただければ、幸いです。


 それから。

 どこかで小さな男の子を見かけたら、それがノア坊ちゃまかどうかを、確かめてください。

 8歳くらいの男の子です。青い目の、金髪の、美しい男の子です……」


 


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MAN/MADE 紫陽_凛 @syw_rin

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