第4話 貴種

 の覗き魔があたしだとバレたのはすぐのことでございました。私はチャールズに呼びつけられ、あれこれと訊かれました。私はびくびくしていましたから、彼の静かな、感情を押し殺したような問いに正直に答えました、


「あたし、あの、坊ちゃまが変に大きくなったように見えたのです。それで気になって、その……」


「見たんだな、あの部屋の中を」


 私はおずおずと頷いて、「申し訳ございません」と言い添えました。しかしチャールズにとってそんなことはどうでもよかったのです。


「ここまで来たら隠し切れないか」


 そしてチャールズは私をあの、奥の部屋へと招いたのでございます。


「他言無用、お前の魂に刻んでくれ」この言葉とともに。



「この屋敷にはお子がいらっしゃらない。旦那様が無精子症と分かってから、家の跡継ぎの問題が持ち上がった。これが十年前のことだ」


 奥の部屋には、汚らしい、油で汚れた布ですとか、何に使うか判らないような道具ですとか――今ならそれが色んな螺子ねじを締めたり緩めたりするためのドライバーやスパナの類を詰めたチャールズの工具箱であることが分かるのですが――とにかくその時の私にとっては、汚くて油くさく、お掃除の必要な部屋にしか思われませんでした。床も壁も汚れきって黒く、そしてお屋敷の他の部屋に比べて異様に殺風景でした。


「旦那様も奥様も、家の維持ということについて深慮なさり、その末にノア坊ちゃまが購入された。私はその、整備士だ。表向き執事頭ということになってはいるが」


「整備士?」

体調管理メンテナンス食事補給を行ってきた。この9年」


 それこそチャールズは滑らかに喋りました。こんなに多弁な執事頭を、誰が見たことがあったでしょう? 

 私は――やはり「今となっては」の枕詞を付けねばならないのですが──チャールズが無口で機械じみて見えたのは、抱えた秘密の大きさのせいだったのかもしれない、とも思います。

 

「家の維持のための心臓コア、それがノア坊ちゃまだ。坊ちゃまがいる限り、この家は安泰だ。坊ちゃまを中心に家が限り」


 その時の私には、チャールズの言葉を充分に理解するだけの頭がありませんでした。しかし、それが重大な秘密なことは分かりましたから、わかったふうに頷いて、それからこう聞きました。


「あ、あたし以外の誰も、このことを知らないのですか」

「むろん」


 チャールズはそれきり口を閉ざしました。

 私は思い切って、ない頭をぎゅっと絞るようにして、尋ねました。


「貴方は、MMエムツーですか?」

「いや、人間だとも。MMは、おなじ機械人形アンドロイドの整備をするようにはできていない。人の手を掛けて、磨いて、整備して、ようやくあのようなになる。……私が機械だと思うかね、

「……ちょっとだけ、思っていました。今は違います」

「そうか」


 チャールズは遠い目をしました。汚れた部屋の隅や、油で汚れた工具箱や、何かの代替品スペアらしい部品パーツなどを見ました。しかし、彼の眼はそこになく、もっと遠いところに像を結んでいるようでした。


「坊ちゃまは新しい貴種きしゅだ。繊細なだ。花を育てるように手を掛けて、人を育てるように世話しなければ、いずれは朽ちて壊れる。……そのために私がいる」


 チャールズはこうも言いました。


「しかし、分からない。分からなくなってきた。私にも。機械とは何なのか、人間とはなんなのか。家とは、人の血筋とは、そのようにしてまで守らなければならないものなのか。……私は、いったい何なのだろうか、とも」


 綺麗な執事服にその部屋はあまりに不釣り合いでした。執事であり整備士、なのではなく、この部屋においてチャールズは整備士なのだと考えれば、チャールズはきっと執事服を着せられていたにすぎないのだと思いました。――やはり、随分後になってから。


「坊ちゃまはこの家でいちばん人間らしい人間だ、そう思うようになった」


「人間らしい……」


 私にも心当たりがあります。「歯車」のこと。お姉様達のこと……。そして「外へ出たい」と仰ったときの坊ちゃまの輝く瞳などを思い出しました。


「ああ、そうだ、あの方は人間のように有機的ではない。確かに合金や人工皮膚で出来た、……その辺の使い捨ての安いMMと同じ工場で作られた、たまたまこの家にやってきた一台にすぎん。だが……坊ちゃまは、こんな私をいつも、ねぎらってくださる。ありがとう、調子がいい、よくやってくれたと」


 そしてチャールズは、その場にしゃがみ込んで顔を覆いました。工具も部品も彼の部屋も、細い明かりの中で静かに息を潜めていました。整備する機械が帰ってくるのを待つかのように。


「もう私にはわからなくなってきたのです、旦那様、奥様……」


 私は、黙ってそれを聞いているほかなかったのです。



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