第3話 秘密
ノア坊ちゃまの「ケイコウ」という単語が頭から離れなくなり、
坊ちゃまの急な声変わりもそれを加速させました。13の少年の、まるで別人になってしまわれた低い声が、「ジェニー」と呼んでみたり、例の「ケイコウ」と囁いてみたりして、私の頭の中をぐるぐる回るのです。
私は「歯車」としての仕事が難しくなってゆきました。疑問を持たず、決められた手順に従って、ただ動くだけのことが出来なくなっていくのです。
お姉様達は相変わらず真面目に機敏に働いていらして、歯車のように働けないのは私だけになってしまいました。
このときの私は自分の不真面目さに――後から、それは不真面目などではないと気づくことになるのですが――泣きたくなるほどでした。なぜうまくいかないのか。今まで滞りのなかったものがどうしてこんなことになってしまうのか。
手を止めてしまってぼうっとする私を、あの執事頭チャールズが見て、通り過ぎていきました。以前はその刺すような視線も気にならなかったのに、びくびくとおびえてしまいます。こんなのは、もはや「歯車」ではありません。
全ては坊ちゃまとお話したあの日からでした。そこにようやく行き着いた私は、思い切って、坊ちゃまを観察することにいたしました。「歯車」でいられない原因を突き止めようと思ったのでございます。それが、最も「歯車」から遠い行いであることに気づかずに!
そのときの
3月15日
あたしは疑っている、ぼっちゃまが何か魔法を使ったに違いない。あとをこっそりおいかける。ぼっちゃまはいつも昼食をたべない。決まって奥の、開かずの部屋へ行く。あたしは扉の前までしか追いかけることができない。鍵がかかっている。
3月18日
ぼっちゃまをこっそり見ていたらチャールズに見つかって、仕事をいいつけられる。窓を拭けですって、このまえピカピカにみがいたばかりなのに!
3月20日
チャールズがあやしい。開かずの部屋に入っていった。いつも決まった時間にチャールズは部屋に入ってゆき、そのあとぼっちゃまがおなじように入っていく。これはなにかがある。チャールズが、あやしい。
そしてその「あやしい」という私の所見は間違っていなかったのでございます。チャールズが部屋に入り、その後坊ちゃまが入室なさり――私は注意深くあたりを見回して、お姉様や、チャールズの腰巾着の執事達、それから旦那様や奥様の居ないのを確認してから、ゆっくり、細く、その部屋のドアノブに手を掛けました。
チャールズとノア坊ちゃまが何をなさっておいでなのか――私はもはや本来の目的を忘れておりました。謎を解き明かす快感に飲み込まれてしまい、「歯車」のことも仕事のことも忘れておりました。そしてそれが、今思えば、ジェニーという娘の本性なのでした。
そして私は目撃するのでございます。チャールズが坊ちゃまに何をしているか。
チャールズはうなだれた坊ちゃまの首筋へ何かを挿して、そこから緑色の液体をゆっくりと注ぎ入れておりました。
部屋は暗く明かりを落としてありましたが、坊ちゃまの座る椅子と、チャールズの立つその場所だけは、かっと太陽のように明かりをともしてあり、そこだけが輝いているように見えました。
執事服をきっちりと着こなした男は、額の汗も拭わず、一心不乱に、その液体を坊ちゃまの中へ流し込んでいきます。
ノア坊ちゃまは目を伏せていらっしゃいました。私は先日触れられた首筋に今一度自分の手を這わせながら、坊ちゃまの言葉の意味について考えて、考えて、……しかし、いまいち分かりませんでした。
今でしたら分かります。坊ちゃまの
ノア坊ちゃま――今では旦那様でございますが――は、首からお食事をなさるのです。
予想もしていなかったその光景に、私は扉を細く開けるのを忘れてしまいました。開かれた扉から廊下の陽光が差し込み、気づいたチャールズは跳ねるように振り向きました。坊ちゃまの首筋から一筋、液体がこぼれ出ました。
「誰だ!」
私は脱兎のごとく駆け出しました。
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