選ばれたのは拳闘士でした~魔王の息子だけど絶縁宣言されたので、世話役メイドといっしょに異世界でアイドルのマネージャーをする~

龍威ユウ

第1話

 彼――リュカが真っ先に抱いたのは疑問だった。



(ここは、いったいどこなんだろう……?)



 彼にとってそこは、見知らぬ場所であった。

 清潔感あふれる白い壁と、必要最低限の家具のみがある。

 一言でいうなれば、なんとも殺風景極まりない。

 そんな世界に横たわっていたのだから、リュカが疑問を抱くのも無理もない。

 とにもかくにも、リュカはいたって冷静だった。

 常人ならば、突然見知らぬ場所で目が覚めたのである。

 激しく狼狽しようところを、眉一つ微動だにすることなく終始冷静だった。



(とりあえず、ここがどこか把握する必要があるな――)



 リュカはゆっくりと身体を起こして、はたと己を見やる。



「なんだ、この包帯は……?」



 上半身にぐるぐると巻かれた包帯が、視界に入った。

 次の瞬間、鋭い痛みによってリュカはその顔をひどく歪ませる。

 額にはじんわりと脂汗が滲み、呼吸も徐々に荒々しいものへと変わる。



(俺は、怪我をしたのか……? それでこの場所にいるのか? いや、運ばれたのか?)



 ならば病院の一室なのだろうか、とリュカは考察してすぐにその仮説を棄却した。

 仮に仮説どおりであるとするならば、室内はあまりにも設備が整っていない。

 薬品棚一つさえもなく、またナースコールらしきものも特に見当たらない。


 よっぽど古びた病院ならばいざ知らず、時代錯誤にも程があろう場所が近くにあったなどという記憶をリュカは持ちえていなかった。


 いずれにせよ、怪我をしたから治療のために自分はここにいる。

 それだけは覆しようのない事実だった。

 程なくしてリュカは、扉の方をハッと見やった。

 外からパタパタと足音が聞こえてきた。それもどんどん大きくなっていく。



「――、リュカ様! ご無事ですか!?」



 その入室者は、終始ひどく狼狽した様子だった。

 メイド服をばっちりと着こなし、右肩より下がった黒い三つ編みがよく似合う。


 おっとりとした雰囲気に相応しい温厚な顔立ちは、正しく美しい。この一言に尽きよう。


 ただし、その女性は頭部から二本の細く長い角を生やしていた。

 彼女は人間のようで、しかし人間に非ず。


 魔族――古来より、人類と相対する種族にして、高い知能のみならず魔力を有する。


 その魔族であるのが彼女――リリーナ。幼少期からリュカの世話役として働くメイドである。



「――、リリーナか。そんなに慌ててどうしたんだ?」


「あぁ、リュカ様……! ついさっきのことを憶えておられないほど重傷を……! このリリーナ、この場で腹を切ってお詫びしたいと思います!」


「は? いや、突然何をするつもりだ!?」



 ついさっきまで冷静だったリュカだが、目の前の光景にはぎょっと目を丸くした。

 突然――それも、何故かような場所に隠していたのだろうか。


 確かに、隠し場所としては的確と言えなくもないが……豊満な谷間より出した一本のナイフで、自らの腹部に突き立てようとしたのである。


 これに驚愕せず、冷静沈着でいられるほどリュカは冷酷な男ではない。

 すぐにナイフを取り上げるべく、リリーナへとリュカは掴みかかった。

 男性と女性だ。いかに魔族であろうと、根本的な身体能力は大きく差が生じる。

 とは言っても、現状の彼は万全とはお世辞にも言い難い。

 それ故に、激痛と戦うリュカは未だリリーナの手からナイフ一本奪えずにいた。



「ぐっ……! と、とにかく落ち着けリリーナ! 自害しようだなんて考えるな!」


「は、離してください! こうでもしないと私は私が許せません……!」


「ならばこれは俺からの命令だ! 命を粗末に扱うな――!」


「ッ……」



 リュカの力強い叫びに、ようやくリリーナの両腕からへなへなと力が抜けた。

 手からするりと滑り落ちたナイフが、床を軽く叩く。

 それを見届けたリュカはホッと安堵の息をもらすと共に、ハッとした。



(そうか……思い出しだぞ)



 リュカは意識を過去へと遡らせた。

 今から数時間前のことである。

 リュカは魔王である父親から後継者として相応しいか、その試練を受けていた。


 彼には他に三人の兄弟が存在して、いずれも後継者の座を争ういわば好敵手である。


 リュカは特に後継者について、興味のない男だった。

 魔王ともなれば、当然のごとくそれを討伐しに勇者がやってくる。

 それらの相手をしなければならないと考えると、平穏など夢のまた夢だろう。

 リュカはどうしても、それが許せなかった。

 よって手を抜いて誰よりも先に脱落することを考えた。



「――、そうだった。あのクソ親父め、俺が真剣にやってないとわかると、お前に向かって攻撃したんだったな……」


「お、思い出されたのですね……!?」


「あぁ、たった今だがな……あいつめ。昔からロクでもない奴だとは思っていたが、ここまで地に落ちたか」



 忌々し気にそう語るリュカだが、同時に仕方がないと納得も示していた。

 魔王……もとい、魔族とは古くより皆そういった輩ばかりである。

 下手に強大な力を保有するがために、高慢な性格になりやすい。


 魔族であろうともっと謙虚に生きるべきだ、とこうすこぶる本気で思うリュカは紛れもなく魔族らしからぬ思考の持ち主だ。



「――、あの時。私がリュカ様の活躍を見届けるために、あの場にいなければこんなことには……」


「いや、これについてはリリーナ。お前には一切非はない。悪いのはすべて、あのクソ親父だ」


「ですが……」


「とりあえず、俺は今からクソ親父のところに行ってくる。今回の一件は、さすがに物申さなければ俺の気がすまん」



 明確な怒りを露わにして、リュカはその場を後にする。

 当然、彼が向かった先は一つしかない。


 長い廊下を渡り、それまでに数多くの部下から身を案じられながらもリュカが着いたのは玉座の間であった。


 玉座がある場所とだけあって、室内はどこよりもずっと広々としている。

 同時に、黄金や宝石によって装飾が施されたそこは正に豪華絢爛と断言できよう。


 相変わらずここは落ち着かない場所だ、と内心でそうもそりと呟くリュカに、その大男が静かに口火を切る。


 巨大な玉座に腰を下ろし、他者を見下す存在こそ、父にして魔王――アスタロッテだった。


 2mは優にあろう長身に加え、鍛えられた肉体はまるで鋼の鎧のよう。


 おどろおどろしい顔立ちは、相対しただけで恐怖を心に芽生えさせ戦意をたちまち喪失させる。


 全身より発する禍々しい雰囲気は、魔王と呼ぶに相応しかろう。



「――、ふん。目が覚めたようだなリュカよ」


「おかげ様でな。何故俺がここにきたのか、その理由がわからないはずもあるまい」


「あぁ、わかっているとも――あの役立たずのメイドに身を挺するだけの価値があるのか?」


「抜かせ、彼女は俺の専属メイドだ。いくら貴様が父親だろうと、勝手に手を出すことは許さん」


「……相変わらず、この我を父とも思わぬその言動。貴様が息子でなければ今頃くびり殺していたところだ」


「ふん、俺はお前を父親だと思ったことは一度もないがな。そしてその台詞、そっくりそのまま貴様に返してやる」



 リュカとアスタロッテーー血肉を分けていながら、実はこの親子。飛び切り仲が悪いことで有名である。


 何故こうも両者の関係がこじれているのか。

 その真の理由について知る者は、当人を除いて誰一人として存在しない。


 とにもかくにも険悪な関係で、不幸にも現場に居合わせてしまった配下は激しい胃痛に悩まされる。


 不幸中の幸いか、両者が物理的に衝突したことはまだ起こっていない。

 配下からすれば、それだけが救いだった。



「――、まぁよい。リュカよ、我も貴様に告げることがあるのだ。ちょうどいいだろう」


「貴様が俺にいったい何を言いたいことがあるんだ?」


「なに、知れたことよ」



 にしゃり、とアスタロッテが嗤った。

 対するリュカは、鋭い眼光をアスタロッテへと返す。

 大方ロクでもないことだろう。


 そう予感した彼だが、見事に的中してしまった時は思わず鼻で一笑に伏してしまった。


 腐っても親子である。何を考えているか想像するのは容易い。



「――、リュカよ。貴様はこの我、アスタロッテの息子でありながら度重なる反抗に加え敬おうともしなかった。挙句、此度の後継者争奪戦においては無様な醜態を晒した――」


「御託はいい。結論をさっさと話せ」


「……リュカよ。貴様は本日をもって絶縁とする」


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