第8話 灰髪の魔王の一日

 窓から差し込む光が、ゼオルトの目をまぶた越しに刺激する。

 忌々しいことに、今日もまた、朝が来てしまった。


「ぁ~……」


 薄く開いた口から、間延びした声が漏れる。

 それはゼオルト・グランの朝のルーティンである。起きたくないと思うことがだ。


 だが、時間は容赦なく過ぎていく。

 このまま寝たふりを決め込んだところで、もうすぐ侍従が起こしに来る。


「……起きるか」


 寝ぐせのついた濃い灰色の髪を掻きながら、ゼオルトはのっそりと身を起こす。

 すると、そこに見えるのは自分が寝起きしている部屋。


 石造りの、狭く、殺風景な部屋だった。

 あるのはベッドと机と、生活するために必要な最低限の家具だけ。


 装飾はほとんどなく、質素どころか、いっそ無機質とすらいえてしまいそうだ。

 無地とはいえ、壁紙が貼られているところがせめてもの救いか。


 見る者が見れば、この部屋を牢獄と勘違いするかもしれない。

 それくらいには何もない部屋で、だがそこが、魔王たるゼオルトの私室だった。


 こんな、何もない部屋が、今の彼の『自宅』というワケだ。

 とはいえ、ゼオルトが冷遇されているのかといえば、それは違っていた。


「やっぱ、落ち着くな……」


 自然と彼の唇から漏れる呟き。

 この部屋の有様は、ゼオルト自身の希望によるものだった。


 無駄に費用をかけた豪奢な内装など、目にうるさいだけで気が休まらない。

 二年前までただの兵士で、貴族王族の暮らしとは縁遠いところにいたのだから。


 自分でもどうかと思うが、気が休まるのはこうした狭苦しい部屋なのだ。

 ここは魔王城最上階の玉座の間の脇にある、本来は近衛兵の控室だった場所だ。


 先代までの魔王が使っていた私室はまた別にあるが、そこは広すぎる。

 内装もバッシバシのキラッキラで、いるだけでどんどんと気分がすさんでいく。


 だから、この部屋をわざわざ私室にさせた。

 上級魔族様の忠実な下僕である『灰髪の魔王』の数少ないわがままの一つだった。


「失礼いたします」


 ボーっとしていると、ほどなく着替えを持った女の侍従が入ってくる。

 ゼオルトがベッドを出ると、侍従達はただちに彼の着替えを始める。


 上級魔族達には当たり前のことなのかもしれないが、ゼオルトは違和感しかない。

 それでも魔王として受け入れるよう、ゼオルトは上級魔族より頼まれている。


 それはただの頼みであり、お願いでしかないが、指示であり、命令でもあった。

 内心にため息をつき、ゼオルトは無表情のまま着せ替え人形にされていく。


 着替えが進む間に、別の侍従が水が満たされた器を持って近寄ってくる。

 歯磨きと洗顔だ。

 これはさすがにゼオルト本人が行なうが、顔を拭くのは侍従の務めだ。


「それでは食堂にお越しくださいませ、陛下」


 一番年上の侍従がそう言って頭を下げ、ほかの侍従を伴って部屋を出ていく。

 あとには身なりをきっちり整えられたゼオルトが残された。


「毎日毎日、表情一つ変えずにご苦労さんだよね」


 二年前までは灰髪というだけで接する相手の誰もが顔をしかめていたものだ。

 それを考えると、眉一つ動かさず自分の世話をする彼女達は見上げたものだった。


 自室に二つある出入り口のうち、玉座に繋がる方ではない入り口から出る。

 華やかさなどない冷たい石造りの回廊を抜けて、食堂へ。


 そこにはいかにも貴族らしい、彩り豊かな料理の数々が並べられている。

 部屋はわがままが通ったが、食事はそうはいかなかった。


 現在、ゼオルトはこのヴァルデーミュでただ一人の『魔王伝承』の継承者だ。

 新たな継承者が見つかるまで、彼の健康状態を維持することは国策の一つだった。


 出されるメニューはただ豪華なだけではなく、栄養面も考え抜かれたものばかり。

 どれも極上の素材を最上の腕前で仕上げた品ばかりで、味も栄養も完璧だ。


 おかげで、この二年ですっかりゼオルトの舌も肥えてしまった。

 それでもまだ安酒安飯を美味いと思えるので取り返しはつく。そう思いたい。


 食事を終えたのち、自分の部屋へと戻る。

 壁にかけられている時計がボーンボーンと鳴って、ゼオルトに現時刻を伝える。


「……はぁ」


 一人だけの部屋で、彼はこれ見よがしにため息を漏らしてしまう。

 朝から色々気だるかったが、それがついに頂点に達して何もかもが億劫になる。


「お勤めの時間だ。行くかぁ~……」


 肩をがっくり落としたまま、ゼオルトは玉座の間へと出て行った。

 そこは、広かった。ただただ広かった。


 そしてさっきまでいた場所とはまるで別の世界だった。

 絢爛という言葉をそのまま形にしたかの如き、白と金色に満ちた煌びやかな空間。


 壁も床も天井も白く、どこを見ても豪勢な装飾が施されている。

 そして、その部屋の最奥に自分が座るべき場所。即ち、玉座が置かれている。


 いかにも大きく、重く、だが全てが金色で染め上げられたオリハルコン製の椅子。

 即位時、その玉座こそが魔王の権勢を示すものだと説明された。


 だがゼオルトは思う。

 魔王にそんな権勢、あったっけ?


 二年間の魔王生活を通して、その疑問はただただ強まるばかりだった。

 この国における魔王とは、民衆にとっての英雄で、上級魔族にとっての飼い犬だ。


「……つまりここは犬小屋ってことか?」


 大きくゴツく硬いばかりの玉座に腰を下ろし、ゼオルトが鼻で笑う。

 とんだ自嘲だが、今の立場を考えればあながち間違っていないのが救えない。


 広すぎる玉座の間に一人でいると、寒々しさを感じてたまらない。

 だが、だからといってこの部屋を出ることもできない。


 少し経つと、玉座の遥か向かい側にある大扉が開かれる。

 その向こうに、扉を開けた二人の近衛兵と、そのほかに二つの人影が見えた。


「おはようございます、魔王陛下!」


 玉座まで伸びる赤いカーペットの上を歩きながら、男は朗々たる声で挨拶をする。

 低いながらもよく通る声で、離れていてもゼオルトにはうるさく聞こえた。


 声の主は、白髪交じりの黒髪をオールバックにしている初老の紳士だった。

 ピシッと背筋を伸ばした背の高い男で、引き締まった身を黒の礼服で包んでいる。


 細い眉にすっと通った鼻梁、顔の輪郭はシャープでどの角度から見ても二枚目だ。

 右目にモノクルをかけたその顔は完成された芸術品のようでもある。


 だがその端正な顔立ちよりも瞳に宿る力強い輝きの方が、遥かに印象深い。

 その瞳に宿るものは情熱か、覇気か、それとも狂気か。それほどに鋭い輝きだ。


 ただし、顔は明るく笑っている。

 瞳の輝きにその笑顔が加わり、男の纏う雰囲気は何とも形容しがたい。


 こいつは得体が知れない。

 見る者にそんな感想を抱かせるのに十分な底知れなさを、男は醸し出していた。


「……おはようさん、ソロモン卿」


 ゼオルトはうんざりしながらも一応そう返しておく。

 傍らに若い女性の秘書官を侍らせた男の名は、ザレム・ギュスト・ソロモン。


 ヴァルデーミュを牛耳る上級貴族の筆頭である公爵であり、宰相でもある。

 つまりは、この国の実質的なトップであった。


「いや~、今日もよき朝でございますなぁ、魔王陛下! そうそう、聞いてくださいませ。昨日、私の屋敷に士官学校の学生達が社会見学に来たのですよ。皆、将来は魔王陛下のもとで軍の一員として活躍したいと申しておりました。さすがは魔王陛下。我らが国の英雄たるあなたの御威光は、あまねく人民に届いておりますぞ!」


 毎度毎度、朝から元気だな、この人。

 オペラ歌手もかくやという声量を叩き出すザレムに対し、思うのはそれだけ。


 ただ、魔王の威光という言葉は少しだけ面白かった。

 国内の魔族に対しそれを喧伝しているのはほかでもない、ザレム達上級魔族だ。


 つまり、今の言葉はゼオルトを誉めているようだが実際はただの自慢だ。

 この国を牽引しているのは自分なのだと、わざわざ朝から言ってきたワケである。


 二年前なら少しなりとも腹が立ったが、今となっては聞き流して終わりだ。

 そんなに念を押さないでも、ゼオルトは自分の立場を理解している。


「それでは魔王陛下、まずは国内情勢についてのご報告でございます!」


 ザレムが元気よくそれを宣言する。

 これが、魔王ゼオルト・グランの一日の仕事の一つめ。


 だがそれは形式的なものでしかない。

 ゼオルトは実権を何も持っていないし、政治は門外漢なので全然わからない。


「ウィノナ君、資料を」

「はい、閣下」


 ザレムが秘書官から受け取った書類を読み上げる。

 それは、昨日までにあった国内の主な出来事に関する報告書だった。


 もちろん、それを聞かされてもゼオルトにはどうしようもない。

 聞いていてわかるのは、ヴァルデーミュはとても豊かであるということくらいだ。


 報告はさらに続く。

 ゼオルトはそのほとんどをいつも通りに聞き流していた。しかし、


「――で、ありまして需要の増大を受けて、来週よりさらなる増産を決定し」

「ん? ソロモン卿?」


 それまで何も反応を示さずにいたゼオルトが、そこでザレムに待ったをかける。


「増産? また? 先々週もそんなこと言ってなかったっけ?」

「はい、喜ばしいことに魔素鉱石マナタイトの需要は日に日に高まっておりまして、現状でも生産が追いつかないほどでございまして。このままいきますと、今年度は産出量、輸出量、共に過去最高を更新する勢いでございます!」


 魔素鉱石。

 それは、魔法の効果を持った物品を製造する場合に必要となる希少な鉱石をいう。

 現代世界におけるレアメタルの役割を担うもの、と思ってもらえばよい。


 この世界において、魔素鉱石が産出されるのはたった二国。

 魔族の国ヴァルデーミュと、人類の国エストバーグだけだった。


「これも全ては魔王陛下が前線にてあの忌まわしき『赤き傷口スカーレッド』と渡り合い、兵達を守ってくれているからこそでございます。ありがたいことですなぁ!」


 笑顔のザレムが深々と頭を下げる。

 それはおべんちゃらでも何でもなく、純然たる事実だった。


「……そっか、わかったよ」


 ゼオルトはうなずいただけで話を終わらせた。

 しかし、玉座の肘かけを掴む手には、筋が浮き出るくらいに力が込められている。


「報告は以上となります。こののち、対エストバーグ王国攻略作戦会議がございますので、魔王陛下は大会議室の方のお越しくださるようお願いいたします」


 再び、ザレムが恭しく頭を下げる。

 すると、彼の後ろに控えてていた女性秘書官の姿が、ゼオルトの視界に入る。


 黒縁の眼鏡をかけた、銀髪を綺麗にまとめ上げた女性――、いや、少女だった。

 身長は低くないが、飾り気のない服を纏うその身は随分と華奢だ。


 年齢は十代半ば~後半ほどで、右手にザレムから返された資料を抱えている。

 その顔は無表情というか不愛想で、ゼオルトに対し冷たいまなざしを向けている。


 だがそれも一瞬のことで、秘書官もザレムにならってすぐに頭を下げる。

 ゼオルトは、玉座に座ったまま、それをただ眺めるしかなかった。


「それでは私共はこれにて失礼をば――」


 と、ザレムが面を上げようとした、そのときだった。


「失礼いたします!」


 一人の兵士が玉座の間に飛び込んできた。

 ああ、来たか。と、ゼオルトは特に驚きもせずにその兵士の言葉を待つ。


「北部、ヴェッティア地方国境線にて、戦闘発生との報告がッ!」


 それはやっぱり、本日のお仕事の始まりを告げる合図だった。


「エストバーグの侵略者共に魔王陛下のお力を見せつけてやってくださいませ!」

「へいへい、行ってきますよ、っと……」


 騒ぎ出すザレムに生返事をして、ゼオルトは魔王城上空に転移する。

 吹きつける風は冷たかったが、玉座に座ったままよりは千倍も万倍もマシだった。


「それじゃあ、今日もはりきってお仕事しますかねぇ~」


 全然はりきってない声を出しつつ、彼は戦場となった場所目指して飛翔する。


「……早く夜になんないかな」


 この先、戦場でまみえるであろう赤い髪の女勇者を思い返して、彼はそう零す。

 今日は週に一度の逢瀬の日だった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

魔王様は勇者とセフレになりました 楽市 @hanpen_thiyo

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ