雨に降られてみるのもよいかもしれない

海堂 岬

雨に降られてみるのもよいかもしれない

「大変だ! 」

「なんということだ。まさか、まさか全知全能システムが停止するなんて、どういうことだ」

「技術者を呼べ! 」

蜂の巣を突いたような騒ぎと先祖たちの言い回しにあったが、これがそうなのだろう。物陰に身を潜めていた男は、慌てふためく人々に紛れて外へ出た。


 青空には見慣れない白いものが浮かんでいた。

「あれが雲か」

生まれて初めてそれを見た男の言葉に、周囲の人々がまた空を見上げて、空に浮かう白いものに驚き、慄き、悲鳴が響いた。この先、天候はあるがままに変化するだろう。雨に降られてみるのもよいかもしれない。


 人類がこの惑星に住み着き、長い年月が流れた。はるか昔にこの星を開拓した先祖は、完璧な人工知能である全知全能システムを構築した。全ての事象を把握し全ての情報から正しい答えを導き出す全知全能システムの決定がこの星の絶対となった。


 人は全知全能システムの命じる通りに生き、家庭をもち、子孫を遺して死んだ。誰も何も疑うことはなかった。男の胸の内にいるあの人以外は。

「人は変化するわ。相性といってもその時のものでしょうし。一緒にいて幸せだったら、幸せが続くように行動すると思うわ」


 柔らかい声が今も男の耳を打つ。


「私はあなたと居たいわ」

男はその言葉を心から喜んだのに。全知全能システムは、男の最善は別の女と家庭をもつことだと結論を出した。

「そう」

全知全能システムは絶対だ。男はあの頃はそれを信じていた。

「仕方ないわね」

男が出した結論に、あの人は微笑んだだけだった。


 あの頃も今も、誰が正しく誰が間違えていたのかわからない。男は年月を経て変わり共に家庭を築いたはずの妻も変わってしまった。それだけだ。


「一緒にいて幸せだったら、幸せが続くように行動すると思うわ」

あの人のあの言葉が忘れられない。あのとき男が別の選択をしていたら、今とは違う人生を歩んでいただろう。全知全能システムが止まった今、人は全てを自分で決めなくてはならない。

「そっか」

他人を巻き込む必要などなかったと男は気づいたが、今更どうにもならない。男は壊し方を編み出しただけで、直し方など知らない。


「幸せが続くように、か」

何がおこっているのだと慌てふためく人々を尻目に、男は目的地へと急いだ。手放してしまった幸せを、もう一度手に入れて、続けるために。

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