ポンコツコンビの空き巣デビュー~Nとの遭遇~

椎菜田くと

ポンコツコンビの空き巣デビュー~Nとの遭遇~

 ひとりの男が慣れない手つきで家捜しをしていた。

 そこは閑静な住宅街にあり、ひと目で金持ちとわかるような立派な一軒家だった。駐車場では高級外車が、家のなかではいかにもお高そうな家具や美術品が存在感を放っていた。

 男はタンスを物色しているのだが、引き出しを上から順に開けては閉め、また開けては閉めてを繰り返していて、非常に手際がわるい。下から順に開けていけばいちいち閉める必要はないのだが、空き巣に入るのはこれが初めてだからしかたのないことだ。

「うわーっ! わわわーっ!」

 遠慮のない悲鳴が上がったあと、もうひとりの男がドタバタと階段を駆け下りてきた。

「バカやろう! 騒ぐんじゃねえよ!」

 一階でタンスの引き出しを漁っていた男が、さらに大きな声で怒鳴りつけた。

「た、た、大変なんだよ! あんちゃん!」

「だから静かにしろっつってんだろ!」

 言葉ではダメだと判断した兄貴分は取り乱す弟分のあたまをポカっと叩いて黙らせる。

「いてっ」

「よし、落ち着いたな。で、なにがどうしたって?」

「それが、とにかく大変なんだよ! 二階で物音が聞こえたんだ! きっとだれかいるんだよ!」

「あぁん? んなわけねえだろうが。いまこの家はもぬけの殻なんだよ。なんせ十年もかけて調べあげたんだからな。まちがいねえ」

「でもたしかに聞こえたんだよ! 二階の奥のほうから、ガタンっとか、パタパタっとか」

「空耳だろうよ。神経質になってるとよくあることだ。水音が人の声に聞こえたり、天井のシミが人の顔に見えたりな。どうせそんなところさ。気にすんな」

「そんなんじゃないって!」

「じゃあなんだってんだよ。おれたち以外の人間がいるってのか?」

「それは……」

「いるわけねえよなあ。ここの住人はみんな、親戚一同といっしょに年に一度の旅行中。最低でも三日、長けりゃ一週間は帰ってこねえ。全員が出発したことは確認済みで、引き返してきた気配もねえ。おれたち以外の人間なんざ、いるはずねえんだよ!」

「おいらたち以外の、人間……はっ! わかったよ!」

「ようやく理解したか。空耳だってことをよ」

「ちがうよ、あんちゃん。物音がするのにほかの人間がいないってことは、人間じゃないなにかが存在してるってことだよ!」

「なにかってなんだよ」

「それはもちろん、『呪い』に決まってるよ!」

「────はあ?」

 兄貴分はアゴが外れそうなほどにぽかんと口をあけた。

「なぞの呪いだよ、あんちゃん」

「なぞのののろい?」

「のがひとつ多いよ、あんちゃん」

「呪い……」

 こいつはいったいなにを言っているんだろうか。初仕事の緊張のあまりにおかしくなってしまったのではないだろうか。普段はもっと常識的なはずなのだが。兄貴分は弟分の思わぬ発言に困惑し、しばしのあいだ口がふさがらなかった。

「悪事を働くおいらたちに怒って、呪いをかけようとしてるんだ」

「だれが? ツタンカーメンか?」

「うーん……ここの家族のご先祖さま?」

「ほーん。で、その呪いとやらがただの物音ね。おお、なんと恐ろしい呪いなんだ。主よ、お守りください、ってか」

 わざとらしく言って、兄貴分は祈るふりをしてみせた。

「だったら、ポルターガイスト現象とか、ラップ音とか、なんでもいいよ。とにかく、この家はふつうじゃないんだ。ホラー映画にでてきそうな恐ろしい家なんだよ」

「はいはい、わかったわかった」

「ぜんぜんわかってないじゃない」

「おまえの与太話に付き合ってもムダだってことがわかったんだよ」

「むう。空耳じゃなかったらどうするんだい? 一大事だよ」

 まともに取り合ってくれない兄貴分に対し、弟分は不満そうにほおをふくらませた。

「そんときゃあれだ。きっと……『ネズミ』だ」

「ネズミ? こんな立派なお宅に出るかなあ?」

「出たっておかしくはねえだろうよ」

「うーん、ネズミにしては音が大きすぎるよ」

「だったら『野良ネコ』でどうだ」

「なんで野良なんだい? 家のなかなのに」

「バカやろう。このうちは十年のあいだ、一度もペットなんか飼ってねえだろうが。もしも動物がいたとしたら、どっかから入り込んだ野良しかいねえんだよ」

「あ、そっか。でもなあ、ネコもちがうような気がするなあ。ネコって忍者みたいに静かに行動しないかな? それに、ドアが閉まるようなバタンって音も聞こえたし」

「ドアが閉まる……はっ、わかったぞ!」

「ようやく理解してもらえたんだね、あんちゃん。怪奇現象だってことが」

「ちげえよ。まだそんなアホなこと言ってんのか。おまえの聞いた音ってのはな、呪いでもネズミでもネコでもねえ。同業者だったんだよ!」

「ど、同業者だって?」

「ああ、ちげえねえ」

「ということは……フリーターってことかい?」

「バカやろう、どうしてそうなる! なんで留守のお宅に見知らぬフリーターがいるってんだよ! おれたちがいまなにをしてんのか、よーく考えてみろ!」

「えーっと、おいらたちはお金や宝石を盗みに入っているから……あ、そっか、そういうことか! 音の主の正体は、おいらたちと同じ『盗っ人』だね!」

「ぬすっとお? 強盗と言え、強盗と。ったくよお。すっかり勤勉な労働者根性が染みついちまってる」

 少なくとも十年ものあいだフリーターとして働き続けてきたのだ。ムリもない。

「でもさあ、あんちゃん。おいらたちは強盗というより、盗っ人とか空き巣が正しいんじゃ──」

「いいんだよ。こういうのは気分が大切なんだよ、気分が。盗っ人や空き巣じゃ盛り上がんねえだろ? もっと大口叩いてモチベーションを上げていこうぜ」

「でも──」

「細けえことは気にすんな。そんなだからモテないんだよ、おまえは」

「あんちゃんだってひとのこと言えないくせに」

 弟分は聞こえないようにボソっとつぶやいた。どうせぶたれると分かっているのにわざわざ反論する必要はないのだ。

「なんか言ったか?」

「なんにも」

「そうか。じゃあ行くぞ」

「どこへ?」

「決まってんだろ。追い出してやるのさ。同業者をな」

「えぇーっ! そんなの危ないよ。ナイフとか持ってたらどうするのさ」

「知ったことか! おれたちは十年待ったんだ。どこの馬の骨ともわからんコソ泥なんぞに、大金持ちの夢をジャマされてたまるかってんだ!」

「どうしたんだい、あんちゃん? さっきからなんかへんだよ」

「なにがおかしいって?」

「いつものあんちゃんらしくないっていうか、なんというか」

「わけわからんこと言ってないで、二階に行くぞ! 不届き者をとっ捕まえてやる」

「あんちゃん……」

 弟分は心によぎった不安を振り払えないまま、先に階段をのぼっていく兄貴分の背中を追った。

 兄貴分の様子は明らかにおかしかった。空き巣の下見に十年もかけるほど慎重──ただただ臆病で実行力がないだけかもしれないが──な男が、弟分の聞いた物音を空耳だと笑い飛ばしたり、危険人物を捕まえに行こうとしたりするなど、とても正常な心理状態とは考え難い。

 おそらく初仕事の興奮と緊張が彼の心をたかぶらせているのだろう。ふだんはおとなしいのに車を運転すると自分が強くなったと錯覚して攻撃的になる人がいるように、彼もまた慎重さを失って大胆不敵になっている可能性がある。

 二階に上がったところで兄貴分がヒソヒソと言った。

「いいか、コソ泥やろうを見つけたら挟み込んで捕まえるんだ。なーに、心配はいらねえよ。こっちはふたりなんだ、余裕で勝てるさ」

「あんちゃん……」

 どうして相手がひとりだとわかるんだい。もしかしたらこっちよりも多いかもしれないのに。弟分はそう考えたが、ハイになっているいまの兄貴分にはなにを言ってもムダだろう。

 と、二階の奥の部屋からかすかな物音が聞こえた。そこは下見をしていた十年間に一度もカーテンが開かずに薄暗かった部屋で、おそらく物置として使っているのだろうとふたりは考えていた。

「物置か、なるほど。骨董品の壺やら掛け軸やらが眠ってそうじゃねえか」

「古いものはまずいよ、あんちゃん。いわくつきの品かもしれないし。掛け軸に封じ込められてた妖怪が出てきたのかもしれないよ」

「まだ言ってんのか、バカ。これはファンタジーじゃねえ。長きに渡る努力のすえに大成功を収める、地に足ついたサクセスストーリーなんだ。そこにオカルトめいた話は必要ねえ。そして最後に笑うのはもちろん、物語の主人公であるこのおれさまなんだよ!」

「ああっ! 待ってよ、あんちゃん!」

 勇ましく言い放った兄貴分はコソコソするのをやめた。足音も気にせずにズンズンと歩き、ライバルがいるであろう部屋のまえにふんぞり返って立ち、ドアノブをまわして勢いよく開け放つ。

「おらおら、コソ泥やろう! おとなしくお縄に、つ、け……」

「どうしたんだい? あん、ちゃ……」

 先ほどまでの威勢はどこへやら。兄貴分は部屋に一歩踏み込んだところで動きを止める。そのうしろから部屋のなかをのぞき込んだ弟分もまた同じ道をたどった。

 そこにいたのは唐草模様の風呂敷に盗品を包んだ盗っ人ではなかった。どこかから入り込んだネズミでも野良ネコでもなかった。ましてや呪いの類でもなかった。

 ふたりの目のまえにいるのは、人の形をした毛むくじゃらのなにかだった。

 顔中が体毛に覆われ、そのすき間に見える血走った瞳がふたりを見据えている。だぼついたボロっちい服を身にまとい、手には金属バット。いまにもふたりに襲い掛かろうとしているのか、息を荒らげて興奮気味のようだ。

「ぎゃあーっ! 雪男!」

「うわあーっ! ビッグフット!」

 恥も外聞もない悲鳴を上げ、ふたりは一目散に逃げだした。がむしゃらに、やみくもに、ただ一刻も早くこの場を離れたい一心で走った。

 そこからどうやって逃げ帰ったのか、自宅にたどり着いたあとのふたりの記憶に一切残っていなかった。玄関から出たのか、窓から飛び出したのか。どんなルートを通ったのか。走り続けたのか、公共交通機関を使ったのか、タクシーをつかまえたのか。全然覚えていなかった。

 ひとつだけはっきりしていることは、初仕事が失敗に終わったということだ。やつに出くわすまでに集めた戦利品はみな、悲鳴を上げて走り出すときに落としてしまったようだった。

「あーあ、やってらんねえ。盗みに入った家が、まさか化け物屋敷だったなんてよ。十年も下調べをしたってのに、なんでわからなかったんだか。まったくついてねえぜ」

 ポンコツコンビが十年にもわたる壮大な計画を戦果ゼロで終わらせた記念すべき日から数日が経過した。兄貴分は公園のベンチに座ってたこ焼きをやけ食いの最中だ。

「なあ?」と弟分に同意を求めるが返事がない。隣に目をやると、弟分はなにやら真剣そうにスマホとにらめっこをしていた。

「うーん──あっ、あった! あったよ、あんちゃん!」

「ああ? なにが?」

「ほら、これ見てよ。おいらたちのことがのってるよ」

 弟分の見せてきたスマホ画面にはニュースアプリが表示されていた。そこには数日前に起こった窃盗未遂事件とマヌケな盗っ人ふたり組のことが書かれてある。

「んなもん見たくねえよ。自分の傷口に塩を塗ってどうする」

「そうじゃないよ。あの怪物の正体がわかったんだ!」

「なんだって? ほんとか!」

 その記事には怪物とか化け物とかいう類の言葉は一文字も書かれていなかった。ふたりの出会った怪物の正体、それはなんと──

「はあぁぁぁぁ! 引きこもりだってえぇぇぇぇ!」

 憩いの場に似つかわしくないバカでかい声が響き渡った。

「うん。十五年くらい一歩も外に出てないんだってさ」

「じゅ、じゅうごねん……」

 兄貴分は池の鯉のように口をパクパクさせた。

「同業者のフリーターじゃなくて、引きこもり『ニート』だったってわけだね。それだけ長いこと髪の毛もヒゲも伸ばしっぱなしだったから、薄暗い部屋では怪物に見えたんだ」

「そんな……大金を稼ぐチャンスが、おれたちの夢が、そんなやつにジャマされたってのか……」

 がっくりと肩を落とし燃え尽きる兄貴分。その手からたこ焼きの入っていた空箱がこぼれ落ちる。

 それを拾いながら弟分が言った。

「そんなにがっかりしないでよ、あんちゃん」

「十五年、か。負けたぜ……」

「元気出して。わるいことばっかりでもないみたいだよ、ほら」

「どこにいいことがあるってんだ? 金も宝石も落として、得たものは皆無。ただお尋ね者になっただけじゃねえか」

「そうでもないんだ。その引きこもりの人だけどね、空き巣を撃退したことで自信がついて就職活動を始めたんだってさ。社会復帰の第一歩だ」

「ああ、そうかい、そうかい。そいつはめでてえなあ」

「それでね、親御さんは息子を更生させてくれた空き巣に感謝してるんだって。それになにも盗られてないから被害届けを出してないみたい」

「マジかよ! そっちはほんとにめでてえなあ!」

「足を洗いなさいっていう、おいらたちへのメッセージかもしれないね」

「よーし、わかった!」

 兄貴分は落胆状態からあっさりと回復して立ち上がった。

「真っ当に働く気になったんだね、あんちゃん!」

「おれは今回のことで学んだ。慎重すぎてもダメだってことをな。だから今度は、大胆かつ合法的に大金を手に入れてみせる! おまえが稼いだ金を元手にして、おれが競馬でひと山あてる。どうだ、完璧な計画だろう!」

「はあ……」弟分は大きなため息をついてから言った。「おいらもひとつ学んだよ。あんちゃんの計画に従ってもダメだってことをね。おいらはマジメに働くから。というか、おいらはずっとバイトを頑張ってんだよ。あんちゃんはあんパン片手に張り込みとか言いいながら寝てばっかりだったし」

「そうだったか?」

「そうだよ。この十年、ふたりでちゃんと働いてればよかったんだ」

「おおい、どこ行くんだ」

「もうあんちゃんにはついていけないよ。それじゃあね」

「待ってくれよお! おれがわるかったから、ちゃんと働くから、置いてかないでくれえ!」

 スタスタと去っていく弟分と追いかける兄貴分。

 一世一代の茶番劇は幕を下ろした。下見に十年もかけたわりには一銭も稼ぐことができなかったポンコツコンビ。それでも、これからやり直そうとする彼らの表情は、雲ひとつなく晴ればれとしていた。

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