【ショートストーリー】クジラは逆さ碁盤で、雲の上の方程式の夢を見る

藍埜佑(あいのたすく)

【ショートストーリー】クジラは逆さ碁盤で、雲の上の方程式の夢を見る

 その日、街は不規則なビートを刻んでいた。

 午後三時五十五分と五十七秒、大気がわずかに震え、ひとりの少年が空を見上げた。

 空にはクジラが浮かび、逆さまになった碁盤に鮮やかな手筋が打たれていった。

 雨は降ることを忘れ、時折、曇り空からグラフ用紙のように点線の光が降り注いだ。

 光は、濡れたアスファルトに方程式を描き出す。

 少年はその方程式をスマホで撮影し、帰宅後、壁一面のモニターに映し出した。

「なんなのこれ?」

 おかあさんの声が裏返る。

「非線形の象徴だよ」と少年は答えた。

 彼の名前はポート。ポートの親友は、いつものように壁の中から顔を出してきて、微笑んだ。

 彼の名前はインターフェイスといった。

 街々では、戸籍に名前ではなく関数を登録することが流行っていた。

 ポートは独学でプログラミングを学び、インターフェイスと仮想世界を彷徨うのを日課にしていた。

「おかあさん、今日は雲からプロットされたデータを持ってきたよ。この点線、なんか特別なんだ」

 おかあさんは紙とペンを手に方程式を描き始めた。

 彼女は元数学者で、いつも笑顔は少なかったが、不連続なベクトルのように、急激に方向を変えることができた。

「見て、この式……」

 彼女の声が途切れる。

 屈折した光が紙の上でひとつのメッセージを形作り始めた。

 その夜、ポートはベッドの中で壁に映った星空を数えながら考えた。

 ビートを刻む街、さまようクジラ、そしてプロットされたデータ。

 全てがリンクしている感覚に捉われた彼は、インターフェイスと手を繋ぎ、夢の中へダイブした。

 夢の中では、彼は言葉よりも早く物語を生み出すことができた。 彼は夢の中で、天使と悪魔が一緒にお茶を飲んでいるのを見た。

 彼らは、現実と虚構を行き来しながら、運命を綴っていると言った。

「散文と詩の境界を超えたら、お前さんは何を書く?」悪魔が問いかける。

「継ぎ接ぎの記憶の断片を、一瞬の閃光に変えるだろうね」と天使が応える。

 ポートは、眠りから目覚めた時、一篇の物語が自分の中に宿りつつあるのを感じていた。

 そして翌朝、クジラは天に消え、雨はまた降り始め、街のビートはいつものリズムを取り戻していた。

 しかしポートは知っていた。

 彼の心の中では、新しい物語が無限大のページを広げ始めていることを。


(了)


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【ショートストーリー】クジラは逆さ碁盤で、雲の上の方程式の夢を見る 藍埜佑(あいのたすく) @shirosagi_kurousagi

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