分割された心

第2話


冷たく乾いた風に、冬の足音を感じる夜だった。

空には月が煌々《こうこう》と輝いている。

アメリアはいつものようにシロを寝かしつけ、自室へ戻ってきたところだった。

窓辺の机の前に座り、ランプに明かりを灯す。

月の青白い光と、ランプのオレンジの明かりが机上《きじょう》で交差し穏やかに溶け合う色は、大聖堂のステンドグラスを思わせ心を落ち着かせる。

アメリアは引き出しから一冊の厚いノートを取り出した。

小さな鍵付きの美しい表装を施したそれはアメリアの日記帳。

彼女はベッドに入る前に必ず日記をつける。

これはアメリアが10歳のころ、ちょうど超自然エネルギーのコントロールトレーニングを開始したころからの習慣となっていた。

内容は日々の鍛錬に関することがほとんどで、私生活について触れたページはごくわずか。

日記につづることで、自身の経験や訓練内容を書き留めておけば、記憶が色あせることがない。

この夜も、彼女は風のコントロールについて試したいくつかの方法を記入して、ノートを閉じた。

そして小さな鍵をかけ、もとあった引き出しにそっと戻し、ランプの灯りを消した。


こうしてアメリアの1日が終わる。

そろそろ休もうとしたところで、ドアがノックされる音に気が付いた。

廊下にはメイドが立っていた。

「どうしたの?こんな時間に」

「お嬢様、失礼を承知で参りました。

たった今、お手紙が届きまして。

どうやらとても大事なもののようでしたので、急ぎ持ってまいりました。」

封書を手渡すと、メイドは軽く一礼をして去って行った。


封書の差出人は“王立騎士団士官育成大学校”。

アメリアの目指すアカデミーである。

彼女は封を開けると再び机に戻った。

ランプに火をともす時間が惜しくて、彼女は月明りを頼りに内容に目を通す。

――アメリア・メルカン殿

貴殿の王立騎士団士官育成アカデミーへの入学が認められました。――

アメリアは2、3度その通知書を見直した。

彼女がいぶかしがったのも無理はなく、本来これは入学試験を受けた合格者にのみ届く通知書であり、試験は今月末の予定。

つまり、試験を受けてさえいない彼女のもとへ、合格通知書が届いたのだ。

アメリアは、しばし窓辺に突っ立って手紙を睨んでいたが、ようやく事態が呑み込めてきた。

国家の上層部とも交友のある両親のこと。

おおかた彼らの手回しがあったに違いない、と推算した。

憧れの学校への入学はアメリアにとって、またとないニュースではあったが、これまで入学試験に向け、ひたむきに努力してきた苦労が水の泡になってしまったような気がして、とても複雑だった。

日々、鍛錬と勉強に勤しんだ、あの6年間は、なんだったのか。

それに、両親の力で入学を許されたというのは、いわば不正入学である。。

彼女は大いに苦悩していた。

「とくかく、お父様とお母様に確認しなくちゃ…。

今は、変なことで悩ませないでほしいのに。」

アメリアは合格通知書を机の引き出しにしまい、ベッドに横になった。

だが眠れない。

謎の合格通知も気になるが、彼女にはもう1つ気がかりがあった。

「もし、試験に合格して、私がアカデミーへ行くことになれば…。」

彼女の心配事、それはシロである。

王立のアカデミーは、国家機密的な訓練を行う場であるため、学生は全員卒業までの4年間を寮で生活することが義務付けられている。

つまり、この家を離れなくてはならないのだ。

両親不在の期間が長いこの家で、自分なくして彼はやっていけるだろうか。

もちろん食事など身の回りの世話は、使用人たちがいるので問題はないだろう。

だが、精神的な面で誰があの子を支えるのか。

そう考えた途端、重力が倍になったかのような重さを感じた。

天井には月光が映し出す窓辺の木の葉の影が、優雅にダンスを踊っている。

それをぼんやりと見つめるアメリアの脳裏に浮かぶのは、幼い日々の思い出だった。


子供のころの彼女は孤独だった。

多くの貴族の子女がそうであるように、アメリアもまた学校に通った経験がない。

というのも、上流階級によくあるように、アメリアにはメルカン家が用意した家庭教師がついているからである。

それは母親の意向であり、アメリアもそれが普通のことだと思って成長した。

何よりも事業優先の両親が家にいることは稀《まれ》で、とはいえ、身の回りのことは大勢の使用人がいたので困ることはなかったが、それゆえ彼女は寂しい幼少時代をおくった。

友人と呼べる人物はおらず、心底甘えられる大人もいない。

そうするうちに子供らしい感情を表に出すことを忘れていった。

そんな彼女の孤独に終止符を打つ出来事こそが、シロの誕生であった。

9歳年下の赤ん坊を、アメリアは溺愛した。

誰よりも多くの時間を弟と過ごした。

こうして氷に閉ざされていた彼女の感情が徐々に溶けだし溢れた。

やがて彼女は弟には自分と同じ寂しい思いはさせまいと考えるようになり、彼の望むことは極力叶えてやろうと努力した。

いつしかアメリアとシロは、お互いに無償の愛情と慈《いつく》しみを与えあう、強い魂の絆で結ばれていった。


天井を見つめながら、いずれ訪れる未来についてアメリアは考えた。

自身の夢を叶えるため、王都へ行くか。

もしくはここに残って、弟を守るか。

答えは決まっているはずなのに…。


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南からの冷たい風が川面《かわも》を撫でている。

木々からは、ひなびた枯れ葉がハラハラと地面に舞い落ちる。

季節は秋から冬へと移ろっていた。

昼下がり、図書室で勉強をしていた2人のもとに、メイドが小走りで駆け寄ってきた。

挨拶もそこそこに「旦那様と奥様が、ただいまお戻りですよ。」と笑顔で告げる。

「ほんとうに!?」

シロは興奮を抑えきれない様子でペンを机に放りだすと、エントランスへと走った。

午後の柔らかな日の光が差し込む広いホールに、父と母の姿があった。

周りでは、使用人たちが馬車から降ろした荷物を運んでいる。

「パパ、ママ、おかえり!」

シロは彼の声に気づいて振り返った父親の胸に飛びついた。

後から階段を下りてきたアメリアは、母親に会釈をして、

「おかえりなさい。お父様とお母様が無事に戻ってこられたことを神様に感謝します。」

と慣習的な挨拶を交わしたあと、両親と軽くハグを交わした。

「長い期間留守にして悪かったな。元気にしていたかい?

お前たちと会えない間、私がどれほどお前たちを恋しいと思ったか。」

父、バルトロは、腕に抱いたシロのプニプニのほっぺたに頬ずりした。

「パパ、ヒゲがくすぐったいよ。」

はしゃぐシロをさらに強く抱きしめバルトロは笑った。

「そうかそうか。母さまも同じことを言って嫌がるんだよ。

だからあまりくっついてくるなとさ。」

元を正せば貴族の血筋を持つ一族の長でありながら、彼の性格は温厚で人懐こい。

社交界においても、ビジネスにおいても、それは彼の強力な武器である。

母親のセリーナは、バルトロをチラと横目で睨みつけ、すぐに視線をアメリアに戻す。

「私たちが留守の間、あなたがメルカン家の名に恥じない振る舞いをしたと信じていますよ。」

コートのボタンを外しながら、威厳に満ちた口調で言った。

セリーナの美しい顔は彫刻のように固く、ほころぶことはない。

彼女の勝気で高圧的な性格がうかがい知れる。

「ええ、もちろんです。」

アメリアは母の気にさわらない言葉を選び、貴人らしい一礼をして見せた。


メルカン家の財を支えるのは、かぎりなくオリジン・エレメントに近いとされる元素結晶、スーパー・クリスタルである。

メルカン家の先祖がこの土地に定着したおよそ500年前から、ここでは特殊な鉱物が産出されており、彼らはそれの重要性を知っていた。

そこで彼らはその鉱物の採掘を行い、交易を始めたことで、莫大な富を築いていく。

バルトロの3代前の当主が、この鉱物をさらに精錬し、人工的に再結晶化する方法を発見したが、これはあくまで理論上でのことであった。

世間の反応は夢物語だとして冷ややかであったが、バルトロはこの机上の空論を実現させることに成功したのだった。

これこそが、メルカン社が誇る“スーパー・クリスタル”であり、現在では医療の分野から家電まで、さまざまな用途に使用されている。

その製法は極秘とされ、レシピは同社の金庫にある1部のみだという。

それゆえにメルカン家は、ゆるぎなき財界のトップたる地位を確立し今に至っているのだ。

メルカン社はこの度、海を渡った遠い外国、アルディの水源のない土地に、水のスーパー・クリスタルで稼働する飲料水供給プラント建設の契約を締結してきたところである。。

バルトロは、時には非合法な手で商談を成立させることもあるとも言われているが、そんな彼も、息子の温もりを感じれば1人の優しい父親の表情になる。

他愛のない会話にすら安らぎを感じた。

「ねえ、僕もパパみたいに立派なヒゲが生えるかな?」

「ああ、そうとも。お前が大人になったらね。

賢い大人になって、この事業をもっともっと拡大してくれよ?」

バルトロはシロを床に降ろすと、赤い柔らかな息子の髪をわしゃわしゃと撫でた。

「アメリア、シロ、私たちがいない間、どうしていたか教えてください。

特にシロ。あなたは勉強をおろそかにしていないでしょうね?

もうすぐ休暇が終わって学校が始まります。

クラスメートより良い成績を取れそうですか?」

父子のじゃれあいに水を差したのは母セリーナだった。

「…学校なんて行きたくない。

どうして僕だけ学校に行かせるの?お姉ちゃんは違ったんでしょう?」

シロは口を尖らせた。

「なぜ学校が嫌なんだい?」

バルトロが心配そうに息子の顔を覗き込んだ。

「”お前の親は敵国と取引してるんだろ?”って言われた…。」

その言葉に両親は黙って顔を見合わせた。

ヴェントゥム王国は、同盟国である火王朝かおうちょう帝国以外の国との交わりを極力避ける傾向がある。

過去に戦火を交え、一時国交が断絶した時代もあったが、それはあくまで昔の話。

現在は個人的な交流やビジネスに制限はない。

とはいえ、未だに多くの国民が西大陸の2国を嫌悪しているのも、また事実である。

「ああ、そんなことか。」

バルトロは言い、シロの前に膝をついて、息子と目線を合わせ、

「いいかいシロ、ヴェントゥムの偉い人たちの中には、友好的な関係じゃない国の人と我々が商売することを良く思わない者がいるんだよ。

だがね、外国の困っている人たちを私たちは放ってはおかない。

私たちの商品で多くの国や地域が豊かになることは素晴らしいことだと思うだろう?

我々はこれからもその信念を貫く。

法に触れることは何ひとつやっていないんだからね。」

と、穏やかな声で言い聞かせた。

すかさずセリーナが口をはさむ。

「子供は誤解しがちですが、私たちは私たちの善意のままに行動しているのです。

さ、勉強の途中だったのでしょう?図書室へ戻って、続きをなさい。」

母親が手で合図を送ると、現れたメイドがシロの手を取って図書室へ連れて行った。

「さて…」

シロが去り、静かになったホールで、セリーナは含みのある笑顔を娘に向けた。

「アメリア、あなたは私たちに伝えるべきニュースがあるはずですが?」

アメリアは母のこの問いに、自身の仮説が間違いではなかったと確信を持った。

「ええ。そうですね、お母様。

王立騎士団士官候補育成アカデミーへの入学許可証を頂きました。

でも不可解なことに、私は試験を受けていません。

この意味はお母様、あなたがよくご存じのはずです。」

アメリアの口調は自然と侮蔑ぶべつのこもったものとなった。

セリーナは目を細め、珍しく反抗的な娘を見つめ返すと、嘲笑的に唇の端を歪め、

「そうね。でもこんなところでする話ではないでしょう。

続きは書斎で。」

言い終える前にきびすを返し、執事にお茶の支度をするよう命じて、大階段を上がって行った。


書斎は館の2階にあり、図書室とは階段上の大きな吹き抜けを挟む位置にある。

オークの太い柱と梁、大きな暖炉が印象的な部屋で、絢爛豪華な他の部屋とは違い、重厚なイメージを与える造りとなっている。

東に面した大きな3つの窓からは初冬の陽光が差し込んでおり、両親と娘は革張りの大きなソファに座り、先ほどの話を続けた。

「お父様、お母様のお力添えには感謝しています。

でも、私は私の実力で入学資格を得たかった…。」

「あなた、なにか誤解しているんじゃなくって?

私たちが不正をしたとでも思ってるのね?

いいこと?メルカン家は人に恥じるような事をしません。

これまでも、これからもです。」

セリーナは、冷たい視線で娘を見つめたまま答えた。

「そうだよ、アメリア。母様の言うとおりだ。

お前には伝えるまでもないと思って話さなかったが、実はアカデミーの総裁より直々のお申し出があったんだよ。

お前を特待生として迎えたいとね。

君はきっと騎士として活躍するだろう。

そしてお前が我々一族の誇りとなってくれると信じているよ。」

バルトロは娘の目を覗き込みながら、穏やかに微笑んで見せた。

「そうですか…。そんな大切なこと、どうして…。」

テーブルにティーカップをそっと置き、嘆息をもらす娘に対し母親は、

「忘れないで、アメリア。

あなたはメルカンの家名を背負っているの。

あなたの成すこと全てがメルカンを表し、メルカンの名を傷つけることがあってはならないのです。」

と、まるで命令するように告げた。

高圧的で感情の無い母の声色は、アメリアをひどく失望させた。

―この人は母親でありながら、娘の未来ではなくメルカン家の栄光しか見えていない。―

しかし、この母親に対して反論したところで、何も生み出すことはない。

ただ溝が深まることを熟知しているアメリアは、

「はい。」

と、一言返答するにとどめた。

「誤解が解けて何よりだ。

さて、アメリア。アカデミーへ旅立つ前に、何か必要なものがあるなら言いなさい。」

父親の言葉にアメリアは顔を上げ、居住まいを正した。

「では、お父様、お母様、お願いがあります。

今後、シロが独り立ちするまで、交易の旅に必ずあの子を連れて行ってほしいのです。」

「何を言い出すかと思えば、バカなことを言わないでちょうだい。」

セリーナはテーブルの上にカップを乱暴に置き、口早に続けた。

「私たちは遊びで旅をしているのではないのですよ。

大切なビジネスのための旅なのです。

子供を同伴するなんてあり得ない。

少し考えればわかるでしょう?」

父は苛立つ妻を手で静かに制し、

「そうだね。だいたい、交易の旅がいつも安全とは限らない。

治安の悪い町や、風紀の乱れた地域を越えて行くことだってあるんだ。

子供の教育に良い環境だとは思わないがね。」

バルトロはアメリアを見つめながら落ち着いた口調で語った。

膝の上で手を組み、少し前かがみの姿勢は威厳に満ちており、これは家庭内でもビジネスでも、相手を穏やかに屈服させる彼の常套手段である。

「良く分かっています。でも、両親のいない環境で育つことが、どれほど心細いかを私は知っているの。

長い孤独はいずれ心を蝕むわ。

私はあの子に私と同じ悲しみを背負ってほしくないの!

お母様、私は怖いの。

私がアカデミーへ旅立ってしまったら、私はもうあの子を守ってやれない…。」

感極まったアメリアは両手で顔を覆った。

セリーナは、娘の様子をただ冷たく見つめていた。

その時、書斎の扉が大きな音を立てて開き、シロが飛び込んできた。

「なんで!?なんで黙っていたの?

ねえ、どこにも行かないで。

置いて行かないでよ…!」

ドアノブに取りすがっているシロは、まぶたを真っ赤に腫らしている。

大きな目に涙がうっすらと浮かんでいた。

「シロ、盗み聞きなんて、お行儀が悪い子ね。

今、私たちは大切な話をしているの。

さあ、あなたは図書室に戻りなさい。」

セリーナは立ち上がって厳しくシロに命令した。

しかし、シロの眼中に母親の姿などない。

姉のもとに駆け寄ると、その膝にかじりついた。

「置いていかないで!

僕が悪い事をしたのなら謝るよ。

もうクッキーも独り占めなんかしないから。

ねえ…だから…置いて行くなんて言わないで…。

僕も連れて行って…」

「そんなことできるわけがないでしょう。」

セリーナは大泣きする息子の腕を引き、立ち上がらせようとしたが、シロはその手を振りほどいた。

癇癪を起した幼な子にキツくものを言ってもらちが明かないことを心得ている母親は、今度は彼の隣に膝をつき、優しく髪を撫でながら甘い声色を使って息子に語りかけた。

「シロ、あなたはとても賢い子よ。

だからこそ私たちはあなたに言うのです。

あなたにも、アメリアにも未来があるのだと。

その未来は決して同じ方向にはありません。

いつしかお互いの未来を追って道を分かつときが来るのです。

でもそれは今ではない。

大丈夫。アメリアはお勉強が終われば戻って来ます。

今回のお別れはほんの少しの間だけ。」

「ほんとう?」

頬の涙を拭いながらシロは姉の顔を見つめた。

「本当よ。卒業したら戻ってくるし、学校がお休みに入ったら、きっと遊びに来るわ。」

実際はそうもいかないことを彼女は知っている。

アカデミーに入れば、4年間の訓練期間はわずかな例外を除いて、親元に帰ることは許されないということを。

アメリアはひどいウソをついていることに良心の呵責を覚えたが、それでも最高の笑顔でシロを見つめた。

「アメリアは強い騎士になるための勉強をしに行くんだぞ。

お前がそれを邪魔しちゃいけないな。」

父の言葉にシロは目を輝かせ、「うん!」と元気よく答えた。

バルトロは顎に手を当て、しばらく思案したのち、軽く膝を打って立ち上がった。

「アメリア、お前の希望は聞き入れよう。

シロのことは我々に任せなさい。」

それだけを言い残し、彼は部屋を出ていった。

「お父様…ありがとう!」

アメリアの頬に赤みがさした。

母親は難色を示したが、バルトロの決定に反対できる空気でもないことを悟り、何も言わなかった。


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薄雲に覆われ、夜空の月がおぼろげに輝いている。

夫妻の寝室で、バルトロは備え付けの大きな書棚の前に立ったまま、1冊の雑誌を熟読していた。

部屋に入って来たセリーナは、夫の様子を横目でチラとうかがい、ベッドに腰を掛けた。

「あなた、なぜアメリアの要望を許可なさったの?」

妻の質問にバルトロは本から目を離すことなく答える。

「セリーナ、この記事を見たかい?

新たな通信技術の研究はこんなにも進んでいるんだ。

間もなく世界に通信技術の大革命が起きる。

声だけじゃなく、映像を送ることができる。

ホログラムジェクターのように一方通行じゃなく、お互いに顔を見ながら話ができるんだ。

伝導性結晶産業に限界がないということだよ。

我々は、この技術革新に参入するべきだろうね。」

「話しを反らさないで。」

淡々とした声ではあるが、顔を見ずとも20年近く連れ添った妻の感情は読み取れる。

バルトロはため息をつき、雑誌を本棚に戻して妻に向き直った。

「アメリアの言ったことを聞いたかい?…あの子の言う通りだと考えさせられたよ。

我々は事業のことばかりで子供たちとの時間をないがしろにしすぎていた。

子供はすぐに成長する。

一緒に過ごせる時間なんて、ごくわずかだ。」

セリーナの美しい表情は相変わらず彫刻のように冷たいままだ。

「セリーナ、親として恥ずべきことだが、私はアメリアのことを良く知らない。

娘なのに、だ。」

「それで?

あの子たちとの時間を持つために新しい通信産業に参画して、家にいながら会議や商談をするの?

でもそれでは相手への印象は薄いでしょうね。

実際顔を合わせて交渉し、握手を交わしてこそ相手に大きなインパクトを与えることができるはずよ。」

「そんなことじゃない。

技術は日々、進歩しているんだ。

シロには、もっと多くのことを学ばせたい。

そして何より、あの子との時間を大切にしたいんだよ。」

バルトロはサイドテーブルの上に置かれたフォトフレームを手に取った。

屈託のない子供たちの笑顔を見つめる父の目は、どこか悲しげだった。


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アメリアは家を出るまでの限りある日数を弟のために費やした。

シロのために自ら食事を作り、本を読み、勉強を見て、風呂にも入れてやった。

両親から禁止されているエネルギーコントロールについても簡単な知識を授けた。

ビジネスの後継者として武術は不要、というのが両親の意向であったので、

「お父様とお母様には内緒ね。」

そう口留めして、いくつかの戦闘の型や護身術を弟に教えてやった。

もちろん、実際技が繰り出せるわけではないが、シロはじゅうぶん”パラディンになった”気分を味わうことができた。


月日はあっという間に流れ、いよいよアメリアの旅立ちの日が訪れた。

日の出を待って、館の前に2頭立ての馬車が用意された。

馬はエレメントクリスタルから創造された人工的な生物であり、エレメンタル産業では最もポピュラーな製品である。

これらは”ゴーレム”と呼ばれ世界中に普及しており、メルカン社の品は精度の高さ、扱いの良さから特急品として特に上流階級層で流通していた。

馬車の脇ではアメリア専属の御者が、いつでも出発できるよう入念に点検を行っている。

エントランスから、バルトロが娘をエスコートして現れた。

黒のタイトな上下の衣装の上に紺色のコートをまとったアメリアの姿は、上流階級の男子の正装スタイルである。

それは“お嬢様”ではなく、騎士としての第一歩を歩みだした彼女の決意の表れでもあった。

「アメリア、いつどこにいても、私たちは君を愛しているよ。」

「私もです。お父様。」

父娘は別れを惜しむハグを交わした。

「私たちはあなたを誇りに思います。」

「ありがとうございます。お母様、どうかお元気で。」

母親に”良家の令嬢”として一礼をした。

静かに姉のもとに歩み寄ってきたシロは涙をこらえきれずにいた。

「お姉ちゃん、ぜったい僕のことを忘れないで。」

嗚咽《おえつ》まじりの声がアメリアの心を締め付ける。

娘の動揺を感じたセリーナが介入し、シロの肩に手を置いた。

「アメリアのためにも、あなたが強くあらなくては。ね?」

「うん…そうだった。僕もお姉ちゃんに負けないくらい強いんだから。」

無理に笑顔を作って涙を拭いながら、シロはポケットから何かを取り出し、アメリアの手に握らせた。

それは羊毛の紐と素焼き粘土でできた手作りのブレスレット。

いびつな円形の粘土板には姉弟の頭文字であるAとCが記されている。

アメリアはシロの前に膝をついて、腕にそれを巻くと、誇らしげに弟に見せた。

「ありがとう。大切にするね。」

そう言うと姉弟は固くハグを交わした。

アメリアはシロの耳元でそっと囁く。

「シロ、あなたとのお別れはとても寂しい。

ねえ、約束してくれる?そして忘れないでほしいの。

この先あなたに何があろうとも、いずもずっとあなたの正しい心を輝かせ続けるって。」

シロは姉の言葉の真意を理解できようはずもないが、ただ何度も無言でうなずいた。

「さあ、そろそろ行かなくては。」

父に促され、アメリアは立ち上がると、馬車へ向かった。

乗り込む前に振り返り、もう戻ることのないであろう館と、愛しい家族の姿を目に焼き付けるように眺め、

「また会いましょう。」

慣習的なセリフを力強く述べた。

それは祈りにも似た言葉であった。


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王都へ向かう馬車に揺られるアメリアは、車窓に流れる黒い森をぼんやりと眺めていた。

気が付けば外は土砂降りの雨。

大きな雨粒が天井を打つ音と、水を撥ねるゴーレムのギャロップがキャビン内に響いている。

ふと、鬱蒼とした木々の間を並走している騎馬の姿を見つけ、目を凝らした。

ただでさえ走りにくい大雨の中、木々生い茂る道なき道を疾走するその騎馬はフードを被ってはいるが、一目で男と分かる体躯たいくをしている。

その一寸前にはもう一騎の影。

やや華奢きゃしゃなそちらは、しきりに後ろを気にしながら馬にむちを打つその様子から、フードの男に追われているのだろう。

アメリアは救援に向かうべきだと判断し、御者にルート変更を命じようとして窓から目を離した一瞬の間に、その2つの影はさらに森の奥深くに消えていった。

もはや2頭立ての馬車が入りこめる場所ではない。

アメリアはただ後方に霞んでいく、2人が消えた黒い森を見つめることしかできなかった。


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雨はいつの間にかやんでいた。

木が複雑に生い茂る森の中をゴーレムで駆け抜けることが容易ではないことを悟った若い男は、馬から飛び降りると、そのまま走って逃げ続けた。

周りの風景はどこも同じで、今自分がどの方角に走っているのかも分からなくなる。

幸い、静まり返った森の中に追跡者の足音は聞こえない。

助かったか…。そう思った瞬間、背後から低い声がとどろいた。

「どうした?若造。追いかけっこはおしまいか?」

靄《もや》のかかる木々の間から姿を現した追跡者はニヤリと猟奇的な笑みを浮かべた。

褐色の肌に短い顎鬚あごひげ、右目には型の古いモノクルが装着されている。

「お前のエネルギーの痕跡はコレで見えている。

分かるだろう?俺から逃れることは不可能なんだよ。

さあ、奪ったモノを返してもらおうか。」

追跡者はゆっくりと近づいた。

若い男の顔は恐怖にひきつる。

「こ…これは…この本は我々教団のものだ…!」

距離を取ろうと後ずさる足元で爆音とともに白煙が上がり、その衝撃で青年は木の根元に倒れこんだ。

「言っただろう?俺からは逃げられない。

…終わりだ、小僧。」

追跡者は人差し指と中指を青年の頭に向ける。

腕にスカイブルーのサーキットが浮かび上がった。

エレメンタル・エネルギーの使い手である。

逃げ切れないと悟った若者は、気が触れたようにケタケタと笑い、

「あの女が我々を裏切ったんだ…!

我々はこの本を誰にも渡さない!」

そう叫ぶと、上着のボタンを引きちぎった。

あらわになったその胸元には、深く埋め込まれたこぶし大の赤い結晶の球体が不気味な光を放っている。

「これを奪われるぐらいなら、本もろとも、お前も吹き飛きとばすまで!」

わめく青年を冷静に見下ろし、追跡者は腕を伸ばすとエネルギーをチャージする。

「ならば死ね。ただし本は置いて行けよ…。」

半狂乱の男のひたいめがけて指先から風の弾丸を撃ち込んだ。

胸の結晶体は光を失い、青年は目を見開いたままこと切れた。

死んだ男のだらりと垂らされた手の先、血だまりの中の本を拾い上げた追跡者は、その血と土と雨に汚れた黒皮の表紙の本を感慨深げに見つめた。

「…ダリア、ずいぶん待たせて悪かった。

だが、ようやく取り戻せたよ…。」

切なげな声でそうひとちると、木漏れ日の降り注ぐ森の中に消えた。


                           第2話 おわり

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災難の騎士: アエヴィテルヌスの系譜 @Absalon

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