05 襲撃
「サニラが聖者サイマの元に戻ったらしいな」
「あの魔女め、何を考えている」
王宮の一室。
真っ白な大理石の広間に秘密結社オルクスの幹部たちが数人集まっている。
魔道士たちの中央で豪壮な法衣を纏った老人が魔導士長のシークンだ。
金蘭のフードの下から木乃伊(ミイラ)の様な顔がわずかに見え、赤い瞳が光っている。赤い瞳は悪魔を憑依させているからだ。
その向かい合わせに数名、王宮の近衛の軍服を着た戦士がいる。その中央にいるのが軍団長ギンマだ。
黒い短髪で黒い眼帯をしている。いかにも歴戦の勇士の風格だが、やはり彼も片目が赤く光る。
その背後には軍服を着た数名の魔獣亜人が控えていた。
悪魔たちはすでに王宮を支配していたのだ。
魔導士長のシークンが語り始めた
「サニラは聖者サイマを復活させるつもりだろう」
軍団長ギンマが驚いた顔をして眉をしかめた。
「聖者サイマか…もう狂人となり果て地下墳墓に封印されたと聞いたが?」
魔導士長シークンの赤い瞳が光った。
「サニラは新たな聖者を手に入れたという事だろう。そして我々を捨てた」
「あのウルクか…何者だ?」
「分からない。街で捕まえた百姓の実験体だ。致死量の血液を与えていたのに、まさかそいつが成功してしまうとはな」
「サニラのしわざか?」
「それも分からない」
軍団長ギンマの脇に控えていたオロンが口を挟む「我々ニ協力するフリをして、あの魔女は自分の『素材』ヲ探し求めていたのは知っているゾ、とんだ茶番だナ」戦士オロンは目を互いちがいに動かし緑色の手足をゆすった。
魔導士長シークンは無表情に頷き赤い瞳を向けた。
「シンマよ、今すぐ使える『エリート』は何名いるか?」
「およそ3名。毒蛇のアリー、巨岩のサゼム、人魚のカタタだ」軍団長ギンマは即答した。
オロンは驚いて身体をゆすりながら言う。
「カタタは人魚ダ。地上では不向きダろう。俺とラッシュが行ってサニラのやつを連れ戻しテ来る」
ギンマはオロンの言葉を遮る。
「オロンよ提案は嬉しいが、迷宮のオロンと剣鬼ラッシュに城から離れられては困る。
それに未知の地下墳墓に攻め込む事を考えればカタタとアリーは偵察には適任者だ。
まずは情報収集が先決だろう」
「なルほど、道理だギギギギ…」オロンは緑の身体をゆすりながら口を閉ざした。
魔導士長シークンは手で遮ぎるジェスチャーをしながら問う
「お前の作戦なら抜かりはなかろう。だがもし聖者サイマが復活してしまったらその人数では危険ではないか?」
「なに心配はいらないさ魔導士長、その時は私が出向いてサイマを始末しよう」軍団長ギンマは片方だけの赤い瞳を光らせた。
背後から薄暗い悪魔の翼がゆらめき昇った。
修道院。
墓所の修道院に戻るとサニラがグラスに入れた生き血を差し出した。
「飲みなさい私の愛する息子たちよ」
「これは君の血なのか?サニラ」
「違うわ。あなたたち人間の治療に使うには私の血は強過ぎるもの。もっと弱い血よ」
サニラは機械のように微笑んだ。
サニラの血では無い…?ふと地下に居たあの貴婦人の顔がよぎった。
ガイムは血を飲みながら味付けがどうこうとブノウに注文をつけていたが、やはりあいつも地下の貴婦人を気になったようだ。
「おいサニラ、お前は地下墳墓のあの美人のお姉さんとどういう関係なんだ?」
サニラは微笑んだ
「私の娘よ」
ガイムは飲んでいた血を盛大に吹き出して咳込んでいる。目の前に居たブノウは血まみれで悲惨な姿になっていた。
まさか娘だったのか。そうすると聖者サイマの時代を考えるとサニラは数百歳という事になる。
サニラは続けた。
「あの子の名はリーア。父親はサイマ。私はサイマに捧げられた生け贄だった。そう、あなた達のように」
「生け贄だって!」
「あの男は自分が強くなる事しか考えてないクズ野郎よ。だから私は人間どもの手に掛かり生け贄にされたの」
何という事だ、サニラは人の手によって地獄のような長い時間を生きてきたのか。
「オレス。あなたは戦ってくれるわ。
私にはわかるの。私の子供だから」
まさか聖者サイマがその様な罪深い非道を行っていたとは。
サニラが持つ深い悲しみがわずかに理解できた気がする。
俺は血の盃を飲み干した。
「ぐっ…」
サニラの血ほどではないが内臓が焼ける様だ。力が湧き、腕がみるみる再生して行く。
なるほど、これが聖者サイマを数百年生きながらえさせ、不死身の力を得た理由か。
「苦しいのね。お前にだけは私の血を全てあげる。だから…」
「サニラ、俺をリーアと聖者サイマに会わせてくれ」
サニラは冷たい機械の様に慈悲深く微笑んだ。
地底。
地下の泥の層をジワジワと掘り進む人影があった。
とてつもない土砂の圧力と空気も無い状況で生きられる人間は居ない。
だがその「人の様な生き物」は蠢(うご)めく様に這い進む。数百年の死臭を封じ込めたカタコンベ(地下墳墓)の臭いが近づいてきた。
その生き物はカビ臭い死臭に向かって行った。
カタコンベ。
あの薄暗い石階段を下った奥に地下墳墓カタコンベはあった。ブノウは灯明を照らすが俺たちには星明かりでも昼間の様に見える。
ブノウだって盲目なので明かりが必要なわけでは無い。
例の分厚い扉の前でブノウが祈祷を始めると、扉がゆっくりと開き中から若い男が現れた。
まだ二十歳ぐらいか。背は高く短い茶色の髪に青い瞳。聖者サイマが着ていた様な立派な赤いスカプラリオを着ている。
男は笑った。
「お前がオレスとガイムか、話は聞いている入れ」
いきなり若い男がこちらの名前を言ってきた。中に入るとあの貴婦人が寝ていた。目線だけをこちらに向けている。
(彼女がサニラの娘のリーアか)
「そいつは生まれつき動けねぇんだ。ウルクに変身しない限りは寝たきりさ」
彼女もウルクなのか。そうだ、あの時の金色のウルクはこのリーアだったのか。だから聖者サイマを助け、サニラを見て引き退がった。
ふとリーアを見れば、彼女と目が合った。冷たい瞳だった。
深い緑の瞳はサニラとよく似ている。
リーアはまた目線を虚空に戻した。
この娘は長い間、自分の父親の命をつなぎ、母親の怨みをつないで生きてきたのか。
この闇の中で。
若い男はリーアの脇を横切りズカズカと奥に入って長椅子に寝転がり足を投げ出しす。
「お前らもこっちに来て適当に座れ。久しぶりに起きたんでちょうど退屈していた」
ふざけた男だ。
「我々は聖者サイマに会いに来た。悪いが君には用が無い」
いきなり男は笑い出した。
「俺がサイマだ。聖者では無いけどな」
若い男は笑っている。
ガイムが怪訝な表情をする
「うっそだろ?聖者サイマは吸血鬼の爺さんだったぜ?」
「あの時はサニラに叩き起こされて復活したばかりだからな。身体もヨイヨイで意識も朦朧だった。あ、そういやお前たちにはだいぶ酷い借りがあったっけな」
サイマは不適な笑顔でこちらを見た。
「冗談だろ!こっちはアンタに殺される所だったんだぞ!」ガイムが膨れっ面をする。
「ははは、悪い悪い、あの時は寝起きでバカになってた所に食事の邪魔されて怒ってたんだ」
これが伝説の聖なる勇者なのか?
「サニラに起こされたとはどういう意味です?聖者サイマ」
またサイマは笑い出した。
「この奧の部屋にサニラが居たんだぜ、気付かなかったのか?お前ら」
何だって!あの時サニラがここに居たのか?
「やれやれ、お前たちは戦士として未熟者だ。俺が鍛えてやる。ありがたく思え」
「鍛えるってレスリングでもやるのかい?」
ガイムも椅子に腰掛けながら言う。
「今から実戦だ。その灯明の芯が一皿燃え尽きた頃に始まる」サイマはニヤリと笑った。
「実戦?どういう意味です?」
「敵がすぐそこまで近づいて来ている。そいつらを倒せ」
「オルクスの連中かよ!」
ガイムは身構える。
「待てガイム。聖者サイマの言う灯芯が燃え尽きるまでまだ時間がある。それまでに迎撃の準備をしよう」
「どうするんだ?相手の人数も目的もわからないんだせ?」
聖者サイマが手を挙げてガイムを制した。
「オレスの言う通りだ。冷静に相手の立場になって考えろ『相手の目的』は何だね?ガイムくん」
「知るかよ!」ガイムが切れる。
そうか聖者サイマの教育はもう始まっているのか。
「相手の目的は…サニラの奪還でしょう?」
「ほう、それから?」
「それから……俺たちの抹殺」
「優先順位は?」
「サニラです」
「……」聖者サイマは何か含みのある表情でこちらを見ている。
「…そうか!目的はサニラだけど優先順位では俺たちの抹殺の方が先だ。サニラは逃げられないから」
「まぁよろしい。合格だ」
「ガイム、地上の敵をこちらから先手で迎え撃とう。ブノワあなたはサニラを連れてここに避難するんだ」
聖者サイマは大げさなジェスチャーで呼び止めた。
「おいおい相手は地下から来るかもしれないよ」
「地下にはあなた達が居るからだいじょうぶです」
俺とガイムは石段を駆け上がった。
さすがのサイマも少し呆れた顔をし、やがて笑い出した。
「サニラも面白いヤツを見つけたもんだ」
俺は走りながら気力を全身に込める。血が逆流し呼吸が炎を呼ぶ。
「行くぞ!目を覚ませ悪魔の力!」
全身から無数の巨大な牙が現れて修道服を突き破る。
身体は獣身に変わる。全身の牙が閉じて鎧になる。
「つかまれ!オレス!」
狼のガイムに飛び乗ると、すさまじいスピードで地下通路から修道院に飛び出た。
「表に出ようガイム!ヤツらを迎え打とう!」
「どこに居るんだ?」
「分からない。だがヤツらの目的は俺たちの抹殺だ」
「なるほど勝手に出てきてくれるワケね!」
風のようにガイムは院の外へ走り出した。
地下カタコンベ
「ようサニラ、こうやって親子三人水入らずってのもいいもんだよな」
テーブルを囲んで聖者サイマが一人で喋っている。サニラたちは無反応だ。
地下室の壁が崩れ始めた。
ドロドロの粘膜にまみれた紫色の怪物が這い出てきた。人魚カタタである。
二本の腕で這い歩き足は無い。顔には大きな口が開き目は無い。
横からブノワが大斧を叩き付けるが、粘膜に巻き取られてしまい、動けない。
紫色の怪物が尻尾を振り回すとブノワは弾き飛ばされて壁に叩き付けられた。
「家族団欒を邪魔するとは無粋なヤツだな」
聖者サイマはニヤリと笑った。
カタタは粘膜のまとわり付いた口を開くと無数の細い牙が光る。サニラを見つけると、素早く床を滑った。
「おいサニラ、お客さんだぞ」
サイマは椅子に寄りかかりながらつぶやく。
「始末しなさいサイマ」
「やなこった」
「お前を先に殺したいわ」サニラは赤く光る瞳で聖者サイマを睨むと爆炎がカタコンベの奧に広がって地下を焼き尽くした。
跡形もなくカタタは燃え尽きてしまった。
修道院の周囲は森に囲まれている。
「おいオレス、相手はどこに居るんだ?」
「近いはずだ。油断するな」
その時、高速のムチが森の中から飛んで来た。
「危ねぇ!」とっさにガイムは俺を振り落とす。ムチが顔前を掠め刺激臭がした。顔の「兜」が溶けている。
(これは毒蛇のアリーか!)
「だいじょうぶかオレス!」
「かろうじてな!」
足元を見ると毒蛇が這い回って来る。
「ガイム!蛇だ!」
「うぎゃあ!俺ヘビ嫌いなんだよ!」
足から牙を出して切り払ったが、そこにムチが飛んで来る。
(いったいどっか撃ってくるんだ?)
「くっそ、こう毒蛇だらけじゃ身動き取れねえし、あのムチを食らったら終わりだ」
「ガイム、森のそばではだめだ。カタコンベの隧道に誘い込もう」
「そうか!あそこならムチを振り回せない!」
俺たちは修道院の中に逃げ込みカタコンベのトンネルに走った。
隧道の中ではムチは使えないと考えてはいたが、毒蛇の大群が先に侵入して来た。
このような大量の毒蛇は、どうやって防げば良いのだ。
「オラあ!」と叫びながらガイムが超高速で竜巻のようにトンネル内を走りまわると毒蛇は粉々にちぎれ飛んだ。
上手い、アリーが来る前にコイツらを片付けないと。
「しまった!やられた!」ガイムが転がり込んで来た。
「噛まれたのか!」
「違う、牙を踏み付けた。右後ろだ!早く!」
俺は右腕の牙を伸ばし、ガイムの足を刎ねる。
血が吹き出たが毒も排出できるはずだ。
「ガイム退がれ!後は任せろ!」
「すまねぇオレス、すまねぇ」
「早くサニラの元に行くんだガイム!」
ガイムは跳ねる様にサニラの居る奧の間に入って行った。
なんとしても俺が食い止めねば。
必死で手足の牙を振り回して毒蛇の群れを切り払うが、数が多すぎる。
ジワジワと毒蛇の群れに押されてきた。
気づくと隧道の闇の奧から白いドレスを纏ったアリーが、ゆっくり歩いて来るのが見えた。
細身の身体にウェーブがかかった長い髪。
胸元まで露出した妖艶な美女だ。
アリーは紅い唇をニヤリと微笑むと細い腕がしなってムチが飛んで来る。
「しまった!」
身構えた瞬間、黄金色の光線が伸びてムチをバラバラに切断した。
?…何が起きた?
「こんな雑魚に苦戦するなよ」
振り返ると聖者サイマが背後に居た。
サイマが全身に炎をまとった様に見えた時には、もう赤いウルクに変身している。
変身が驚くほど早くて自然だ。
「サニラはただのエルフじゃない。炎の精霊を宿すエレメンタラーだ。だからお前もこの魔法が使えるはずだ、よく見て覚えろ」
サイマは口から炎を吐き出した。
赤いウルクの出す炎に焼かれ毒蛇はのたうち回りながら次々と焼かれて死んでいく。
凄い!こんな事が俺にもできるのか?
毒蛇が焼かれている炎の中を平然とアリーが歩いて来る。全く効いている様子が無い。
やはりこの程度の炎では効かないのか…
アリーは再びムチを取り出した。
至近距離で毒のムチを浴びせるつもりだ!
「俺が飛び込みます!」
「やめとけ」サイマは片手で俺を制しながら炎を浴びせ続ける。
赤いウルクの炎の息吹が甲高い音に変わった。
炎の光は強くなり耳鳴りがした。
次第に炎は収束され最後には細い光の筋となったかに見えた。
細い熱線の筋はアリーの腕ごと毒のムチを熱で切り裂く。
たまらずアリーは逃げ出した。
(これはカエル亜人が使っていた高圧圧縮か?)
だがサイマの高圧圧縮は次元が違っていた。
赤いウルクが一瞬ボン!と爆炎をまとったかに見えたその瞬間、輝く光弾が発射された。
真っ暗な隧道の中を光の砲弾が飛んで行き、アリーは一瞬で蒸発する。
光の砲弾はさらに修道院の壁を突き抜け空に飛び去った。
遠くに青空が見える。
隧道の中にはもう毒蛇やアリーの影すら残っていない。臭いすらしない。全てが燃え尽きていた。
これが聖者サイマの力……
俺はあまりの実力差に呆然とした。
「あ、いけねぇ。またサニラとブノワに怒られるな」
いつの間にかサイマは人間に戻って大笑いをしていた。
ウルクライダー 矢門寺幽太 @Yamonji
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