第7話

 元からこの部屋にあった埃を被っていたクローゼットは綺麗に拭かれて、まだ使えそうだ。

 不要な物をどかし、埃が消えた部屋に必要な家具を置いていくと数時間前とは大違いの立派な部屋が誕生した。


「ここが今日からリュカの部屋だよ!」


 綺麗になった部屋を自慢気にリュカに見せて、サイは笑顔を浮かべた。

 居候にしてはじゅうぶんな広さがある部屋で、日当たりも悪くなさそうだ。こんなにもいい部屋を貸してもらえるとは思っていなかったので、リュカは素直に嬉しいと思った。


「じゃあ、そろそろ俺は帰るよ」

「えー、もう帰っちゃうの?」

「時間が時間だからね」

「そっかー。バイバイ、ノル!」

「お気をつけて」

「あっ、その、色々とありがとう」


 時刻は夕暮れを過ぎている。ノルは帰らなければいけない時間らしく、手を振って家を出た。

 リュカがなんとかその後ろ姿に礼を言うと、ノルは笑顔を見せて帰っていった。


「では私は夕食の準備をしますね」

「僕も手伝う!」

「あっ、じゃあ私も」

「だめ! リュカは今度こそ座って待ってて!」


 リュカはこの家に居候させてもらう身だ。なにかしら手伝いをしたかったのだが、サイに止められておとなしく椅子に腰掛けた。


「困ったわね……落ち着かない」


 アトスたちはリュカに居場所を与えくれた。しかしそれでもここが他所の家であることに変わりはない。

 リュカは落ち着きなく周囲を見渡す。

 全体的に掃除の行き届いた綺麗な家だ。アトスは掃除が得意なのだろう。


「……」


 ぼぅっとアトスたちの後ろ姿を眺めながらリュカは考える。

 リュカは、この世に希望を見出せなくなって逃げ出そうとした。それを引き留めたのは小さな手だった。

 振り解こうと思えば簡単にふり解けた小さな弱々しいその手を、リュカは払いのけることができなかった。

 だから今ここにいる。

 この選択が正しかったのか、そもそもどこで道を間違えたのかわからない。考えれば考えるほどまったく、わからない。けれど。


「リュカ!」

 嬉しそうにリュカの名を呼ぶ声。


「リュカ」

 優しく気遣いを持った声。


「リュカちゃん」

 初めて会ったリュカを娘のように接してくれた声。

 そのどれもがリュカの心をほぐしてくれる、優しい音色だった。


「……我ながら現金ね」


 感傷的になって、瞳から涙がこぼそうになったのを笑いながら拭った。

 一日前まではあんなにも絶望の淵にいたというのに、この村のみんなに優しくしてもらったことで、まだ生きていてもいいんじゃないかと思えてしまう。なんて流されやすい性格なのだろうと自嘲して、それでもいいかとリュカはぐるぐる巡る思考を放棄した。

 たまには、なにも考えない時間があってもいいだろう。


 ただぼーっと暗くなっていく景色を眺めているとアトスたちが食事をテーブルに並べ始めた。

 準備が終わると三人で料理を囲んで夕食をとる。

 気を遣ってくれたのか、リュカにはポタージュが用意されていた。固形のものより食べやすく、味も良い。

 食事中、楽しそうにリュカに声をかけるサイの姿を、アトスは微笑ましそうに見つめていた。

 みんなが笑顔を浮かべているので、リュカの口も自然と弧を描いていた。

 冷めていない温かな食事。それをみんなで食べられることが嬉しい。


「リュカが喜んでくれたみたいでよかった!」


 そう言って嬉しそうに笑うサイの姿を見て、リュカは胸がいっぱいになった。



 

 「帰る部屋があるのってこんなに幸せなことだったのね」


 楽しい夕食が終わると、部屋に戻ってベッドに潜り込む。

 結局後片付けもサイたちにまかせきりにしてしまった。


「こんなにお腹いっぱい食べられたのはいつぶりだろう。あの二人にも……食べてほしかった。幸せになってほしかったな」


 頭まで布団を被さって、つぶやくように吐き捨てる。

 リュカが思い浮かべる二人の顔とは、もう二度と会うことはない。


「……」


 この村はリュカが昔住んでいた街と比べると、とても小さい。しかし小さいからこそ住民同士の距離が近くて、良好な関係を築いているように見えた。

 こんな小さくても幸せな村なら、きっと彼女たちも――とそこまで考えて、思考を止めた。もう絶対にあり得ないもしもの話なんてただ悲しくなるだけだ。


「んん……眠れない」


 体は疲れているはずなのに、色々と考え事をしてしまったせいか、変に目が冴えてしまった。

 布団の中で何度か寝返りを打つ。しかし一向に眠気が襲ってこない。

 しかたがない、とリュカはベッドから抜け出して静まり返った家の中を移動すると玄関と扉を開けて外に出た。

 気分転換に夜風にでもあたろうと思ったのだ。


「はぁ……」


 リュカは冷たい空気を肌で感じながら、ため息をついて軒先にある花壇の縁に腰掛けた。

 黄色の小さなこの花はスニーの家の花壇にも咲いていた花だ。もしかしたらスニー宅から分けてもらった花なのかもしれない。


「おや、眠れませんか?」

「っ! アトスさん⁉︎ すみません、起こしてしまいましたか?」


 ただ呆然と風に揺られる花を見ていると、背後から急に声をかけられて慌てて振り返るとそこにはアトスの姿があった。

 音を立てないようにと気をつけてはいたが、家を出た時に物音をたてて起こしてしまったのかもしれないと思い、リュカは申し訳なさそうに頭を下げた。


「いやいや、お気になさらず。お隣、よろしいですか?」

「あっ、はい。もちろんです」


 ここはアトスの家の敷地内だというのに、アトスは律儀にリュカの許可を取ってからその隣に腰掛けた。

 なにかを言うでもなく、互いに口を閉じたまましばらくの間沈黙が続いた。

 なにか話題を振るべきだろうかとリュカが思考を巡らせていると、アトスがすっと空を指さした。


「この村はね、晴れた日は星が綺麗に見えるんですよ」


 アトスの指先を追うように、リュカの視線が上を向く。

 その言葉通り、雲ひとつない空にはきらきらと無数の星が煌めいていた。


「わぁ、本当。綺麗……」

「ずっと俯いていては星は見えませんから」


 夜空を見上げて感嘆の息を漏らすリュカにアトスは優しく微笑んでそうつぶやく。


「そう、ですね」


 たしかに言われてみれば空を見上げることなんて久しくしていなかったような気がする。

 ずっと俯いてばかりで、未来そらではなく過去ばかりを見つめていた。

 星はいつだって誰にでも平等に輝きを見せてくれているのに、余裕のなかったリュカにはその光すら届いていなかった。

 上を見上げれば光がある。そんな当たり前のことをすっかり忘れてしまっていた。


「……これは、今のあなたに言うべきことか迷ったのですが」


 そう一言おいて、アトスは顔を夜空に向けた。月明かりに照らされるその瞳は波打つ水面のように揺れているように見える。


「実はね、サイの両親はもう亡くなっているんですよ」


 アトスは煌めく星々を誰かと重ねているのか、眩しそうに、でも愛おしそうに目を細めて言葉をこぼした。


「二年前のことです。サイの母親、つまり私の娘の夫が病気で亡くなったんです。娘は彼のことを心から愛していました。だから……彼の死に耐えられなかったのでしょう」


 深く息を吐き、そっと瞼を伏せる。そしてアトスは言葉を続けた。


「あの子は息子サイを置いて夫のあとを自らの意思で追ってしまったんです」

「っ!」

「あなたは娘に似ている。だからサイも懐いているのでしょう」


 そう言ってアトスは瞼を上げると、ゆっくりと視線をリュカに向けた。その表情は陰になっていて見にくいが、悲しみで溢れているようだった。


「……私がサイの母親に似ている、ですか」

「ええ、顔立ちなどではなく、雰囲気がね。きっとあなたも素敵な女性なんでしょう」


 すっと微笑むアトスの瞳から悲しみの色は消えていない。リュカはどう返事をするべきか悩んで、口ごもってしまった。


「ですが、打たれ弱い。あなたも私の娘のような悲惨な最期を遂げないか心配なんです」


 リュカに向けられた、アトスの眉尻の下がった表情はサイによく似ている。血が繋がっているのだから当然ではあるのだけれど。


「ご心配、ありがとうございます」


 リュカはサイの母親に会ったことはない。だから自身が彼女に似ているかなど、到底わかりはしないのだが、本来人見知りであるサイがリュカに懐いたのはアトスが言ったように雰囲気が似ていたからだといわれると納得がいった。

 子供ながらも、いや子供だからこその感性で母親とリュカの類似点を感じ取ったのかもしれない。


「さて、少しおしゃべりが過ぎたことですし、そろそろ寝ましょうか。このまま外にいては風邪を引きますよ」

「は、はい」


 ふぅと息を吐いて、アトスはもう一度だけ夜空を見上げると部屋に戻るように促した。

 リュカは小走りで家に戻り、アトスと別れると部屋に戻った。

 アトスはリュカのことを心配してくれた。

 とっさのことで礼を言うことしかできなかったリュカだったが、誰かに気にかけてもらえたのは申し訳なさを感じながらも、どこか嬉しい気持ちもあった。

 毛布の中で、ほんのりと温かい感情を胸に抱いてそっと瞼を閉じれば、リュカの意識はそのまま夢の中へと落ちていった。

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裏切られた令嬢のセカンドライフ 西條 ヰ乙 @saijou

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