エピローグ
船出から半年後、俺はジェイミーと共に歌を出した。
ジェイミーは、誰にも読み取られないだろう歌の意味、歌詞に最後までこだわっていた。
モデルとしてかなり知名度のあるジェイミーが歌という少数派の趣味に手を伸ばすのはそれなりに驚かれ、相手がぽっと出のほぼ一般人で、というか龍であったことはかなり騒がれた。
著名なアイドルが、曲芸をしながら無名の配信者とゲーム配信を決行した時よりも反響が大きかった。悪い意味でのだ。
カメラそのものがしばらくトラウマになった程度の騒がれ方だった。
家から出てレコーディングスタジオに向かうだけでニュースになったり、その日の昼食が中継されたりする経験なんてあったはずもない。二度とああなって欲しくも無い。
腹を括って飛び込んだにしろ不快なものは不快だ。
大体、俺が昼食に日替わりメニューのどちらを頼むのかだとか、休憩に紅茶とコーヒーとジュースのどれを飲むかという情報は一体どこへの需要だったのか未だに謎でしかない。
食堂の店員さんが気にしているなら、目の前にいる俺に直接明日はどうするのか尋ねて欲しい。
大騒ぎも、大騒ぎに伴った心労も、一年経てば懐かしい思い出として昇華されはじめている。
思い出したら腹が立って来た。それはさておき。
再び到来した夏空の下、道を歩く人達の背中には鱗が描かれている。
歌のヒットと共に、海辺の街では鱗を模したボディーペイントが流行っているのだ。
背中をざっくりと開けた服、オシャレとして付けられる派手な色のコンタクト。
軽度近視用の眼鏡とファッションの眼鏡や、ワイヤレスイヤホンと補聴器の区別が傍からはなかなか見分けられないように、サングラスやコンタクトが一部のヒトの趣味として、街に溶け込みつつある。
一部の地域の、一瞬の流行かもしれなくても、それが見られただけで良かったと思えた。
結局、俺はジェイミーの家に住みついていて、この変な同居人にも慣れつつあった。
慣れた頃が失敗しやすいんだったか。気の緩みで。つまりはそういうことだ。
「あれ? アイスが無い」
「あ、ごめん、ジェイミーのやつ食べた。買いに行ってくる」
「オレもついてく。新しい味がそろそろ発売だったはずだからそれも買いたい」
気が緩んでいたから、夜に買い物に出かけるなんて危険なことをしてしまったのだ。
その日泊まっていたホテルからしばらく歩いた所にはいわゆるヤバい薬を売る奴らの縄張りがあって、その周辺の店は、夜遅くまでやっていた。
つまりその辺りは治安だって決して良くないわけで、男二人とはいえ、その道に足を踏み入れた俺たちが馬鹿だった。
狙われていたのが俺だから、いつ出かけたとしてもそのうち同じ事件が起きていたかもしれないが、それは結果論だろう。
「ニコ、後ろに」
ジェイミーが片手でそう告げたのを辛うじて読み取ったのと、ナイフの反射光が見えたのはほぼ同時。後ろを見ずに下がろうとして、バランスを崩す。
サングラスが、地面に落ちた。
「死ね!」
と片手で明確に叫んでいる誰かは、ナイフでジェイミーの腹部を斬ると苛立たし気に舌打ちをし、ナイフをぐるりと回した。
「ジェイミーを返せ、汚らわしい龍が近寄るな!」
「汚いのはお前だ」
NGワードの中でも最も汚いジェスチャーなんて、生まれて初めて使ったかもしれない。
ねじ伏せてやる、自分で地面に頭でも打ち付けて死ね。
頭に血が登り切っていた。服を後ろからちょんちょんと引っ張られて、ジェイミーが俺を落ち着かせようとしていたことに気づいた。
「大丈夫、かすっただけだ、出血は多く見えるだけ。警察と救急車呼んでもらえる?」
「……分かった」
警察と救急車がサイレンを光らせて到着する直前、ジェイミーを斬った知らない奴は、地面に自分の頭を打ち付けて、額から血を流していた。
すっと、頭が冷えた。自分の顔を手で探って、道路に転がっていたサングラスを拾った。
ジェイミーが真顔で、彼を地面に叩きつけたのは自分だと、全てを握りつぶしていた。
「彼を傷つけられそうになったから」
龍である俺のことを庇ったのだと、ジェイミーがした説明に、俺以外の全員が顔を俺に向けた。
怪訝そうな顔、驚愕、おぞましいものを見るような目。
怪我人の友人に向けるものとは到底思えない拒絶が、そこにはあった。
俺は、サングラスをかけることを辞めた。
「どうして裁判しないの」
病室でそう問いかけた俺に、ジェイミーはあっさりと答えた。
「ニコロの能力が、格闘家の過剰防衛と同じ扱いになったら困る。まだ上の世代の感覚が龍に不利すぎるから、悪い判例を増やしたくない」
「ああ……」
龍を痴漢したヒトが無罪になったのだって、ほんの一年前の話だ。
ジェイミーのそれを手放しに良いことだとは到底称賛出来ないが、強く否定も出来ない。
世の中、金があれば随分と生きやすくなるものだ。
色んな地域の情報を得られるようになって、こんな状態にあるこの国は長くなさそうだとは思うようにはなったが。
「機会があればニコを引き摺り下ろしたいってひがんでいる奴なんて山ほどいるしな」
「殺したいって思われる程度には?」
ジェイミーが入院している病室でこれを話している時点で、笑いごとではない。
そもそも、標的は俺で、犯人はジェイミーの狂信的なファンだったのだから。
「ニコって、パートナー候補はいないよな?」
ジェイミーが窓の方を見ながらそんなことを話し始めたから、俺は思わずカーテンを閉め直した。
空調が急に肌寒くなったような気さえした。
「急に何、いないよ。ジェイミーまでそんな話」
定期的に取材で質問される話題ではあった。
俺よりも、ジェイミーの方がよく尋ねられている。
「うんざりだよな。というわけで」
彼はそう指で話し、そして、ベッド脇の小さなテーブルの引き出しから指輪のケースを取り出して俺に向けて開いた。
「何?」
「偽装結婚のお誘い。いや、書類や手続きは実際にやるから、周囲への偽装結婚か」
「俺にそんなの提案するほど、ジェイミーの周囲は面倒なの?」
「いや、ニコとは仕事上の付き合いだけで、龍とプライベートを共にすることはないんだろうって意見が寄せられたから」
「だから実践してアピール? 馬鹿じゃないの」
知識の有無とは別で、頭が悪いんじゃないかと心から思う。
「後はまあ、ヘイト逸らし? オレがニコに執着している体の方が、ニコへの僻みを減らせるかと。実際に、その通りでもある」
「……事件の時に目が合ってたんだな、効果が切れるまで頭冷やしとけ」
支配している感覚は無い。けれど、そうである可能性が怖すぎた。
逆に支配出来ていたとしたら、今すぐに前言撤回するようにこれほど強く祈っているのだから、違うのだろう。
ひとまず、奇人の提案に追いつくための時間が欲しかった。
「効果時間からして、絶対に現時点で龍の能力にはかかってない! 結婚を前提に婚約会見してください」
「頭も診てもらえよ」
「倒れた時に打ってる可能性もあったからCTは撮ってる。異常なし」
「今のは皮肉だよ!」
「まあまあ、ニコがどうかはさておいて、オレが惚れてるって広めればニコを守れるだろ」
「俺がジェイミーのお気に入りだから安全ってだけじゃ意味ないんだけど」
強い誰かのものだから手を出さないのでは、俺個人への態度しか変わらない。
そうじゃない。俺が求めているのはそれじゃない。
「もちろんそれが理想だけれど、このままだと道半ばでどちらか死にそう」
ジェイミーはそう話しながら、自分の腹部をなぞった。
今回の怪我で中身が入れ替わったんだったか。
医療に関しては俺が完全に素人の上に、ジェイミーが専門家だから、詳しい話は知らない。実は医師免許を持っている、元から金持ちのモデルとか、多少性格に難があることを除いても恵まれすぎていて気持ちが悪い。
「臓器を取り換えてからそれを話されると説得力があるな。いいよ、怪我の責任は取ろう」
放っておくと突っ走ってお前が先に死にそうだから、という理由は話さないことにした。
俺も彼も幸運だ。黙ることを選ばず、それどころか波風の立つ方法ばかり選んだ上で生き延びているのだから。
願わくは、これが脳缶の見る夢ではないことを。
龍を怪物にしないで。 小述トオリ @9nove_street
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