#9 利用

 それからはお互いに何も話さず、俺は小船を進め続けた。

 星空の下、波は黒く、視界は悪い。

 地図はジェイミーが見ているが、それを実際の視界と照らし合わせるのは俺だ。

 頼りになるのは方位磁石と灯台の光、後は自分の勘だけ。

 黒く塗りつぶされた世界に、自分たち以外誰も居ないような心地にすらなる。

 波の高さと比べれば、この船のどれだけ小さなことか。

 

 進路を変え、隣の港に小船を停めた。

 この港を選んだ理由は、近くに灯台があるから。

 あまり使われておらず、出入り口の鍵が壊れている灯台だ。

 その上、よろしくない取引などに使われている様子があって、ヒトは滅多に近寄ろうとしない。

 俺も今まで入ったことは無かったが、場所だけは把握していた。

「高いところから探そう」

 別の、明白な理由は伏せたまま、ジェイミーにはそう伝えた。

 ぶら下がったままの錠前を押し、一見鍵がかかっているように見える扉を開ける。

 上に繋がる階段には、濡れた靴によって足跡が続いていた。

 俺よりも小さなサイズの靴が、ひとりぶん。多分、いきなり大当たりだ。

 背筋がざわめく。頭が内側から殴られているようだ。

 慟哭か、恨みつらみか。意味は理解出来ないけれど、感情を肌で受けた。


 話を出来ない、お互いの顔も手の動きも一切見えないほど暗い階段を駆け上がり、屋上階の扉を開ける。

 周辺を見渡せる、灯台の天辺。そこに、アルバ少年は居た。

 俺は建物とトランクケースの影に隠れたが、ジェイミーは迷うことなく、彼の方へ歩いていった。

「迎えに来たんだ」

 船から逃げた相手に向かって、それから始まるのは正直どうかと思う。

「ここは龍のアジトだ。ヒトの分際で入るな」

「落ち着いてくれ、騒ぎになる前に戻ろう」

 話し合いになっているようには見えない。

「邪魔をするな、あんな風になるなら、死んだ方がマシだ!」

 アルバの返事を見て、ジェイミーは動きを止めた。

 彼はジェイミーの目を見つめた。ああ、やるだろうとは思った。

 目が合っただけで龍に惚れるというのはどういうことか。

 龍に痴漢したヒトが無罪になったのはどういった理由か。

 好きになるという表現は真実を回りくどく捻じ曲げたものに過ぎない。

 テレパシーを龍特有の器官から発し、ヒトの脳に直接命令を下す。

 命令を下し、ヒトの意思を捻じ曲げるのが、龍の能力、龍の歌なのだ。

 ジェイミーの腕が脱力する。膝を折る。

 少年から見るとジェイミーの後ろに隠れていた俺は、トランクケースの向こう側から顔を出し、少年と目を合わせた。

 少年は俺の方を見ると目を見開き、こちらへ走ってきて俺にナイフを向けた。

 まるで翡翠を削り出したかのような見た目の、殺傷能力の低そうなナイフだ。

 ただ、それが少年の力を増幅させているのだろうという確信めいたものがあった。

「何でお前が、龍が、ヒトと一緒にいるんだよ!」

 片手だけで訴えられた叫びは、怒りに満ちていた。

「君が何をどこまで知っていて、誰に何を吹き込まれたのか知らないけど。信じる方を間違ってると思うよ。ここに居たって、君が海へ呼んだヒトに見つかったら殺されるだけだ」

 自分で伝えていて何だが、吹き込まれるという単語には語弊があるのかもしれない。

 だって、自分がああなることを先に知ってしまったら、俺だって嫌だ。

 安楽死の道が存在しないのなら、船から逃げ出して自殺しようとだって、するかもしれない。

 もしくは、自棄になって、誰かを殺そうとだって、するかもしれない。

「お前から先に殺してやるよ」

「殺せるものなら殺してみろよ」

 ナイフを持っていた手を蹴り上げる。彼はナイフを落とした。さっさと捕まえないと。

 腕を掴むと、頭突きのような勢いで腹を殴られる。

 その衝撃で俺の手は緩み、彼はその隙に抜け出してしまう。

 振り向きざまに放たれた足を、構えた腕で受け止める。

 ジェイミーの様子を確認すれば、アルバの肩越しに彼と目があった。

 動かないだろう腕をなんとか持ち上げようとし、顔だけはこちらに向けている。

 凄まじい精神力。

 翡翠色の目がこちらを見ている。

 やけに、片時も視線をそらさずに、俺の方を見ている。

 そういえば、俺はサングラスを外していた。

 起きてから、それを着けていない。

 右目には、コンタクトもサングラスもない。どうして今まで気づかなかったのだろう。

 まさか、こんなことをやらかすなんて。

 幼少期から刷り込まれた掟を破ったこと、同時にいつも俺を守っているものが無いのだと実感したことで、その場で吐いてしまいそうだった。

 けれど、同時に、この状況を打開する解決策がひとつ浮上した。それは俺が決心すれば済む話だ。

 今、魅了を上書きすればいい。

 龍であることが嫌いだった。だから、使おうとしたことも無かった。

 操り人形にしたいわけじゃない。龍の能力には龍の能力を、それだけだ。

 目を逸らさないで、怖がらないで。

 ジェイミーの緑を見つめながら、思考が高速で変わっていった。

 途中からはただの懺悔だった。

 ごめんなさい。許して。嫌わないで。

 伝承上の生物であるメデューサが友人と目を合わせてしまった絵本を思い出した。

 違うんだ、石にしたいわけじゃない。


 ジェイミーは驚いたような顔をして、立ち上がって、こちらへ向けて走ってくる。

 そして、アルバに一本背負いをきめた。

 倒れたアルバの目を黒い布で覆い、手は後ろで捻り上げてガムテープで拘束する。

 そういえばあんな施設を管理しているくらいなんだから、龍相手の荒事には手慣れているに決まっていた。アルバは気絶したようだ。

「ニコ、平気? ごめん、油断した」

 アルバがトランクケースの中に仕舞われるまで、ほんの数秒にも感じられた。

 話し合いをしたいなんて間の抜けたことを提案していた彼と同一人物には見えなかった。

 いや、むしろ逆なのだろう。

 武力で制圧出来ると自覚しているから、話し合いを提案する余裕が出るのだ。

「平気、生きてる」

「そうじゃなかったらニコが幽霊になっちゃうだろ。怪我はない?」

「それは確かに。ないよ、無傷」

 後は小船に引き返して、船に戻らなければならない。

 警察をはじめとする捜索隊の使っている灯りが、怖くて仕方が無かった。

 彼らが明確に龍の味方だったことはそうないが、少なくとも今は自分たちにとって明確に敵なのだ。

 小船に戻り、トランクケースを積み込んだところで身体が恐怖で震えはじめ、それを誤魔化したくて、操縦しながらジェイミーに話しかけた。

 片手運転は危ないって? どの道震えて使い物にならないんだから同じだ。

「この子さ、脳缶になるんだよね」

「そうだよ」

「戻れるの?」

「戻すよ。その為に、薬の開発をしているんだから」

「早く出来上がらないかなあ」

「今回の件で少しは予算増えるかも。龍を何とかしてって騒ぎは残るだろうからさ」

 それまでに龍がどれだけ死んでいたって、自分自身の命が脅かされてようやく騒ぐヒトがほとんどだ。

 ほんの少し、ざまあみろという気持ちにもなる。

「改めて、ニコ、オレと組んでよ」

「たった今、協力してただろ」

「これから、歌での話。俺の歌、そんなに音痴だった?」

「……俺よりは下手」

 声量が俺以下だった。俺より大柄のくせに。

「練習するよ。ニコの歌に惚れ込んだんだ」

「さあ、どうだか。俺に魅了されているだけかもしれないだろ」

「あんなに謝り続ける魅了ってあるのかな。怖がってもないし、助かった」

「謝り……続ける……」

 魅了の最中、考えていることは相手に伝わるのか。それは知らなかった。

「ごめんなさい。許して。嫌わないで。あと何だったかな、メデューサ?」

「もう何も話すな」

 いつの間にか、船の灯りが見えるほど近づいていた。身体の震えは止まっていた。

 どうやって戻ろうかと考えていたが、船は港に停泊し、舷門にタラップがかけられていた。見張りの姿も見えない。

 分かることはひとつ、ジェイミーがこの船でそれなりに権力を持っていることくらいだ。

 いつ連絡したのかは知らないが。


「せえの」

 同時に、トランクケースをそれぞれ反対側から持ちあげた。

 タラップを昇り、船内に足を着ける。

「こっち」

 ジェイミーは俺にそれだけを告げて、トランクケースを抱えた。

 静かに、しかし走るとは呼ばないギリギリの早足で、その場を離れる。

 向かう先に見えるのは、さっき俺がトランクケースの中から見た景色だ。

 水槽のある空間まで来たところで、一度顔を見られた。

「ああうん、待ってるよ」

 何故か、ここに居てと伝えられたような気がしたのだ。

 ジェイミーだけが、さらに奥へと向かう。

 目の前の水槽にひとつの筒がゆっくりと落ちてくるまで、怪我をした友人が病院から出てくるのを待っているような心地だった。

 アルバは友人ではないし、しばらくこの筒から出てくることもないのだけれど。

 目の前で筒の中に入った彼と、今の自分は、どうしてここまで立場が変わってしまったのだろう。

 アルバが不運だったのか、俺が幸運だったのか。

 ふと、チケットを買った時のことを思い出した。

 今思うと、やけに大袈裟な話し方をした店員さんだった。

 ジェイミーに目をつけられたことを指して、幸運だと評していたとしたら?

 ただの勘だ。けれど、ジェイミーが船の運営側ならば、あり得る話だ。

 戻ってきたジェイミーは、トランクケースを中身ごとどこかへ置いてきたらしく手ぶらだった。

「ジェイミー、俺はお前の人気を利用するつもりしかないけど」

 今まで見た中で、ジェイミーが一番落ち込んでいたから。

 筒の中にいる大勢の龍にも、この話を見ていて欲しいと思ったから。

 正義感という大それたものではなく、ただこの場に俺が居て、彼が俺を望んだのなら。

 なんとなく、こいつを放っておくとそのうち大怪我でもしそうだから。

 こじつけた理由をいくつも頭の中に浮かべてから、俺は彼の手を取った。

「組もう」

「やったー!」

 彼の笑顔はどこか泣き顔を我慢しているようでもあって、なんだか痛々しかった。

「この前置きで喜ぶなよ……あ、あと、コンビ組むなら一個条件がある」

「何?」

「龍であることを隠す気はない。よって、俺に命の危険があるから、セキュリティのしっかりした場所に引っ越したい」

「ようこそ我が家へ」

「ジェイミーの家以外の選択肢は無いんだな」

「金で雇った相手が密かに差別心を抱いているかどうかは調べられないからな。それなら同居の方が俺は安心」

 よく考えてみれば、本当にそれが妥当な気がしてくる。

 内情が同居するだけなのだから、就職したての貧乏な若者が友人とルームシェアするのはよくある話だ。

「残念なことに一理ある」

「まあな、実に残念だ」

 龍であることを隠すつもりは無い。

 むしろ、それを公表しなければ意味がない。知られることが目的なのだから。

 この世界が弱者の椅子取りゲームになっているのなら、俺はそのゲームに参加しよう。

 弱者であることを認識・担保されることでようやく保護を得て、這い上がることが出来るのは、随分と不条理な気がしなくもないが、世界がそんな仕組みならば仕方がない。

 龍は強いじゃないかって? さあ、どうだろう。

 ヒトだって武器を持てば、映画の中の化け物と同じ人数を殺害出来るじゃないか。

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