あなたには幸せになってほしい

 守れなかった元カノの優希と同じ名前の人が書いた本ってどんなのだろう。

 俺はぱらっとページをめくった。


『ふと気が付いたら、大学の同じ学部の同じゼミのあなたが好きになってた。全然タイプじゃないのにね』


 そんな出だしの物語。

 なんだ、優希あいつが言ってたのと同じだな。

 俺はふふっと笑って、続きを読む。


『好きなんだよねー。

 そんな言葉が出てくるのに、二か月もかかっちゃった。

 あなたがあっさり、俺もだよ、って言ってくれてうれしかったし、なんだ、ためらう必要なんてなかったんだってちょっと後悔した』


『あなたはおもしろくて、やさしくて、頭がよくて、一緒にいてちょっと話をするだけで楽しくて。

 おたがいお金がなくて家でダラダラデートとかでも楽しかった』


『付き合い始めて初めての誕生日で、ネックレスくれたの、びっくりした。お金ないって言ってたのにどうしたの? って尋ねたら、実は親から借りたって恥ずかしそうに笑ってたのがかわいらしかった。かわいいなんて言ったらスネちゃうから言わなかったけど』


 ……なんだ、これ?

 俺と優希との思い出の話ばかりじゃないか。


 まさか、優希が書いてた? 同人誌?

 でもこんなシンプルな装丁の同人誌ってあんまりないよな。

 じゃあ、自費出版?


「お気に召していただけましたかな?」


 後ろから声がかかって、飛び上がるくらい驚いた。

 振り返ると、店主だろうか、優しそうな笑顔のおじいさんがそこにいた。


「この本屋は、作者が伝えたい思いを相手に伝えるために、その相手の前に現れる本屋、記憶堂です。どんな思いを受け取るかは、その人次第だけれどね」


 それじゃ、本当にこの本は優希の……。


「この本、買います」

「はい、ありがとうございます」


 おじいさんがにっこり笑うと、本がほのかに光って、景色が表紙と同じクリーム色になった。


 ページがぱらぱらと自然にめくれる。

 そのたびに、優希との思い出が周りに浮かび上がる。


 クリスマス、年末年始を一緒に過ごしたこと。

 初めてしたくだらない喧嘩と、仲直り。

 就職が決まってお祝いをしたときのことも。


「わたし、すごく幸せだった。だから、あなたも幸せになってほしい。わたしのこと忘れてほしくないけど、わたしに縛られてほしくないよ」


 懐かしい、優希の声。

 そちらを見ると、あの事件の日の服装の優希がいたずらっぽい笑いを浮かべていた。


「そんな、優希。俺は君を守れなかったのに」


 思わず声が漏れた。


「通り魔、ボコボコにしたじゃん。それで十分だよ」


 優希が笑う。


「告白してくれた人、すごいいい人だよきっと。付き合っちゃいなよ」


 優希が、笑顔で手を振る。


「それじゃあね。わたしは行くよ。わたしの本音はちゃんと伝えたからね」


 俺に背を向けて、優希は行ってしまう。


「ごめん、ありがとう、優希」


 彼女の背中に、精一杯声をかけた。



 気が付いたら、景色はもとに戻ってた。

 ……いや、あの本屋がない。やっぱりここは駐車場だった。


 本もない。けれど、あれは確かに実際にあったことだ。

 そう思える。


 ありがとう。

 もう一度心の中で優希にお礼を言って、家に帰る。


 明日、亜弥さんに返事をしよう。

 優希とのこともきちんと話して、それでもいいって言ってくれるなら。

 きっと大丈夫だよ、って優希の声が聞こえた気がした。



(了)

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記憶堂 空からの願い事 御剣ひかる @miturugihikaru

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