第8話(最終話)

息を切らし、インターホンを押す。

反応がなかった。もう一度、押してみる。

やっぱり反応はなかった。俺は玄関の扉に背中を付けると、その場に、しゃがみ込んだ。膝を抱えて、寒い外の中、涙を流しながら、しばらく動けずにいた。

「もしかして、まだ被災地に駆り出されてるのかな…」

普通の会社員と違って、警察の仕事はかなり不規則で、一体、いつ中西さんがアパートにいるのか、全く予測できなかった。

「…一緒に住もうって、言ったのに。嘘つき」

あんなにお互いを想い合って、愛し合ったのに…。あれは夢だったのかと、そう錯覚してしまいそうなくらいだった。

「こんな寒い中で、何してるの?風邪引くよ」

声がして、俺の頭上に影ができ、俺は顔を上げた。

「中西さ…」

泣いていたせいで、うまく声が出ない。

手には大きなスーツケースと、そして、お弁当屋さんの袋を持っていた。

担いでいたリュックから、アパートの鍵を取り出し、扉を開ける。

「僕自身、今日、久しぶりに戻って来たんだ。埃だらけかもしれないけど、外よりはいいだろ?入ったら?」

そう言って、重そうな荷物を抱えて、中へと入る。

すぐに暖房を入れてくれたけれど、換気のため、部屋中の窓を開け、そして、床をクイックルワイパーで簡単に拭いたかと思うと、手際良く、全ての部屋に掃除機をかけ始めた。

「ごめんね、バタバタしてて。一ヶ月近く、家を空けてたもんだから…」

中西さんが、スーツケースから荷物を出す。

「地震のあった被災地に、長いこと手伝いに行ってたの?」

「よく知ってるね」

中西さんが窓を閉め始める。

「何回か、電話したんだけど…」

「え?あ…スマホ…どこやったっけ?」

慌てた様子で、リュックの中や、スーツケースの中を探す。

「あ…充電が切れてる。会社の携帯さえ持ってればいいかな、と思ってスーツケースの中に入れっぱなしだったの忘れてたよ」

「俺から連絡あるかも、とか思わなかったの?」

俺が言うと、中西さんは黙り込んだ。そして、スマホを充電し始めた。

「松島君のことは、考えないようにしてた。実際、被災地での毎日は本当に大変で、考える余裕もなかったんだけど…」

松島君…?いかにも他人行儀という感じで、距離を置かれたのが分かる。

「…俺、あのあと志望校の推薦もらえて、今日合格発表だったんだ」

「そっか…。その様子だと、受かったみたいだね」

「うん」

「おめでとう」

中西さんが、嬉しそうに、そしてどこか悲し気に微笑んだ。

「中西さん、疲れてる…?」

「え…?」

「顔色があまり良くないから…」

「そうだね。やっぱり、被災地へ行くのは精神的にもかなりしんどいから…。大事な家族やパートナーや友達を突然失った人たちも多くて、その悲しみや辛さなんて、想像もつかないくらい壮絶で…。住むところも失くして、それでもみんな頑張ってて…。自分がいかに恵まれた環境にいるのか、思い知らされるよ…」

中西さんが、めずらしく肩を落として俯いた。

俺はそんな中西さんに声を掛けられずにいた。

いくら手伝いとは言え、そんな想像を絶するような辛い現場にいる人たちの心は、きっと、強い痛みですり減って行くのが分かるから…。今ここで、俺がどんな言葉をかけたところで、励みになんてならない…。

「警察の仕事ってさ、本当に辛いことの方が多くて、たまに逃げ出したくなる時があるよ。実は、地方の駐在所勤務への希望を出してて。大学を卒業して初めての勤務地が、かなり田舎の駐在所だったんだけど、毎日が穏やかで、周りの人たちも親切で。小学校から帰る子供たちを見送ったり…。それでも刑事になりたくて、試験を受けたけど、今みたいな、気が重くなるようないざこざや喧騒ばかりの、殺伐とした環境から少しでも解放されたい、って、最近はいつも思ってる」

「…でも、地方に行ったら、原則そこに在住しなきゃいけないし、もう本当に会えなくなるんだよね…?」

「そうだね」

軽い返事…。痛みで胸がギュッと締め付けられる。

中西さんが時計を見る。

「帰らなくていいの?お母さんに怒られるよ」

「うん…」

中西さんには、もう俺を受け入れるつもりがないことが、身にしみて分かった。俺はゆっくりと立ち上がる。

「中に入れてくれて、ありがとう」

俺が言うと、中西さんが、黙ったまま俺を玄関まで見送ってくれる。

「こっちこそ、わざわざ報告に来てくれて、ありがとう」

中西さんが、優しい口調で言った。

「会いたかったから…」

「そっか…。気を付けて帰るんだよ」

「うん。お邪魔しました。ゆっくり休んでね」

「ありがとう」

そして、玄関の扉が閉じた。

って言うか、って言うかさ!

何だか物凄く腹が立ってきた俺は、ガチャン!と大きな音を立てて玄関の扉を開いた。そして、まだそこにいた中西さんと目が合った。

「な、何?」

驚きに目を見開く中西さんの体を押して、寝室へと連れ込むと、ベッドへと押し倒した。

「この、クソガキが!いい大人が、いつまでも意地張って、拗ねて、ふてくされて、マジで子供か!っつーの!!」

「…え?何?口が悪すぎ…」

言い掛ける中西さんの唇を俺は思いっ切り自分の唇で塞いだ。

「信じてたんだ。あの日、絶対に中西さんが助けてくれるって。きっと、何も言わなくても、分かってくれてるって。実際、教室に、前もって盗聴機、付けてたんでしょ?」

「また北山さんに聞いたの?」

「北山さんは、俺の裏の協力者だから」

「スパイみたいだね」

「あの日言ったこと、本当に後悔してる。ごめんなさい。あの時、俺もかなり動揺してたし、中西さんの気持ちも考えずに思わずキツイこと言ってしまって、反省もしてる。俺は、中西さん以外の人に触られると、鳥肌が立つし、気持ち悪くて吐きそうになるんだからな!俺の体をこんな風にしといて、別れるとか、絶対に許さないから!」

俺がキツイ口調で言うと、

「自信がないんだ…。君にはまだ未来がある。その未来を歳の離れた僕が奪っていいのかな、って。あの時に、そう思ったんだ」

「俺のこと、松島君とか、そういうこと言うのもガキくさ!って思うし、中西さんは、優しすぎるんだよ。もっと自分軸で物を考えてよ。俺のことは俺が決めるから。中西さんが、どうしたいのか、それを教えて欲しい」

「僕は…」

言いかけて、黙り込む中西さんに、

「俺は、中西さんとこの先も一緒にいたい。もう、明日からここに一緒に住みたいくらいだし、ずっとそばにいたい。もう離れたくない。その気持ちに変わりはないから…」

俺の涙が、中西さんの頬に落ちる。

「もう、あんな辛くて苦しい思いなんて、したくないよ…。会いたくてたまらなかった…」

言いながら、中西さんに抱き付いた。

「ごめん…」

中西さんが謝る。

俺の体が強張った。

やっぱり、もうダメなのかな…。別れる覚悟を決めるしか、道は残されてないのかもしれない…。

俺は体を起こし、中西さんから離れた。

「分かった…。俺の方こそ、勝手なこと言って、ごめんなさ…」

その体を勢い良く、抱き締められる。

「大人げないことして、ごめん。竜樹君に、全部言わせてごめん。本気で竜樹君のことが好きなんだ。考えないようにしてたけど、全然無理で。被災地に行って、いろんな人たちの話を聞いて、後悔したくないと思った。いつ、突然の別れが来るか分からないなら、好きな人には正直にならなきゃ…って。そう思ってたのに。会うと、どうしていいか分からなくなってしまって…」

俺を抱き締める腕に力がこもる。

「竜樹君を失いたくない。だけど…こんな僕なんかで、本当にいいの?」

「こんな僕じゃないと、俺は無理なんだよ…?中西さんのこと、もうどう証明していいか分からないくらい大好きでどうしようもなくて、ずっとずっとその顔を見ていたい…」

「竜樹…」

頭を抱えられ、唇を奪われる。その激しく熱いキスに、俺は興奮を覚えた。

「めちゃくちゃにしてよ…。離れてた時間も…埋めるくらい」

「そんなこと言うと、理性が飛ぶよ…?」

「飛んでよ…。俺、早く会いたくて、受験までの間、ものすごく頑張ったんだからな…」

俺は、中西さんの眼鏡を外した。中西さんは、スイッチが入ると、俺の名前を呼び捨てにする。そんなところも、すごく魅力的に感じた。

「竜樹…。俺ともう一度、やり直してくれる?」

「当たり前だろ…?そのために、会いに来たんだから…」

服を脱がされ、露になった肌に、中西さんが激しく吸い付く。お互いの息遣いが、激しくなる。

「竜樹、愛してる。もう、誰にも触れさせたくない」

囁きが、体の芯まで響き渡る。

いつも以上の激しい愛撫に、俺は感じるままに、身を委ねた。会えなかった時間を取り戻すかのように、お互いに我を忘れるくらい夢中になって、肌を重ね合わせた。


結局、あまりにも問題を起こしすぎてたこともあり、母からの許可が降りず、卒業式が終わるまで、中西さんと会うことも連絡を取り合うことも禁止されたまま、三ヶ月が過ぎた。俺は、あまりにも待ちきれなくて、卒業式を終えたその当日に、家を出ることを決めていた。

「あんまり迷惑かけちゃダメよ?たまには家にも帰ってきなさいね」

「分かってるよ」

母に見送られながら、荷物を抱えて家を出る。息が弾む。そして、これからの生活を思って、つい顔がニヤけてしまう。


「おい、中西!顔がニヤけてるぞ」

北山が、中西の頭を書類で軽く小突く。

「すみません。大事な会議でしたね」

中西は言うが、顔がしまらない。

「中西さん、どうしたんですか?」

野口が北山に尋ねた。

「今日から、あの松島竜樹と一緒に住むらしい。あいつん家、姉貴しかいないから、弟が出来るみたいで嬉しいんだろ」

「ああ。あの妙に魅力的で綺麗な男の子とですか?まあ、あんな綺麗な子と毎日一緒にいられるとなると、何となく嬉しくなる気持ちも分かりますけど、いつも真面目で難しい顔ばかりしている中西さんのあんな顔、初めて見ましたよ」

野口が呆れ気味に言った。

会議が終わり、中西は、そそくさと席を立った。

「じゃあ、お先に失礼します」

そう言って、中西は急いで会議室をあとにした。


「中西さん!」

三ヶ月ぶりの再会に心が弾む。好きな人と会う、このドキドキ感が、たまらなく心地いい。

「竜樹君!ごめん、待った?」

「ううん。俺も今来たところ」

中西さんが、黙ったまま、俺を見つめた。

「どうしたの?」

「いや…何か、前よりも、もっと綺麗になったね。その白いセーターも、すごく良く似合ってる」

中西さんの一言で、全身にカッと血が巡り、一気に自分の顔が赤くなったのが分かった。そして、中西さんの顔も赤い。

「合鍵作ってあるから、あとで渡すよ」

そして、懐かしいアパートに足を踏み入れ、荷物を玄関へと置く。

「中西さんが異動にならなくて、本当に良かった」

「まあ、毎年申請はしてるけど、なかなか希望通りにはいかないよ。これでもまだ若い方だし、コキ使いやすいから、なかなか手離してくれないだろうな、とは思ってる。でも、次年度からは『現状維持』で申請するつもりでいるよ。異動願の方は、北山さんが出さずにいてくれたみたいで…」

「北山さんて、いつも、助け船を出すかのように動いてくれて、なかなか粋なことするよね」

「そうだね。本当に、いつも何だかんだ言いながら助けてくれてるよね…。年も年だし、これからはもっと労って大事にするよ」

中西さんが笑い、肩が揺れる。俺もつられて笑った。

「俺が一緒に住んでも、迷惑じゃない?」

「迷惑な訳ないだろ。どんなに待ち遠しかったか…」

「俺も!」

俺は、中西さんの背中に、思いっ切り抱き付いた。

「卯月もね、志望校に受かったんだよ。教師にはなりたくないって、親にハッキリ意見も言えて、自分の行きたい大学に行けることになって、めちゃくちゃ喜んでた」

「そっか。良かった。卯月君とも、もう大丈夫みたいで、安心したよ」

「うん!中西さんのおかげだよ。俺、中西さんに会えなかった間、母さんに料理もいっぱい習って、結構うまくなったよ。中西さんに、毎日作ってあげるね」

「信じられないなぁ。竜樹君の料理も、かなりひどかったから…」

からかい交りに言って、笑う。しがみつく背中から、中西さんの声が響いてくることに、言いようのない幸せな気持ちが沸き上がってくる。

「今日もね、コーヒー買ってきたよ」

俺からの、誘いの合図。

「だから、そういうことを言われると、理性が…」

「中西さんは、俺としたくないの?俺はしたいよ?ずっとずっとしたかった。中西さんのこと、大好きだから…」

「竜樹…」

名前を呼び捨てにされ、中西さんのスイッチが入ったのが分かった。

中西さんが、俺へと向き合う。大きな手が、俺の頬を包んだ。俺は瞳を閉じて、中西さんの唇を待った。優しく訪れる口付け。

「ヤバいなぁ…。一回目は、長く持ちそうにない」

ギュッと俺を強く抱き締めながら、中西さんが耳元で囁く。

「いいよ…。何回でもして…。俺のこと、中西さんの好きにしていいから」

「そのセリフ、刺激が強すぎるよ」

中西さんは、俺を軽々と抱き抱えると、寝室へと運んだ。


「竜樹君、大学に行ったら、男子からも女子からもモテそうで心配だなぁ…」

結局、二人して興奮が収まらず、三度目の行為が終わったあとで、中西さんが「はぁ」と、ため息を吐きながら、天井を仰ぐ。

「中西さんこそ、女性の警察官とか事務の女子からすごく人気があって、モテてるって聞いてるよ」

「また竜樹君専属のスパイが、余計なこと言ってるの?」

「全部、断ってるみたいだ、って言ってたけど、やっぱりそう言う話を聞くと、すごくムカつく」

「スパイと縁を切ることを進めるよ。北山さんから情報仕入れてると思うと、仕事中も気が抜けない」

「だって、心配なんだもん。中西さん、本当は告白とかされて、喜んでるんじゃないの?」

「もしかして、妬いてるの?」

声が嬉しそうだ。

「当たり前だろ…」

もう、俺の心の中も、体も、中西さん以外、受け入れることなんてできないんだから。

「大丈夫だよ。竜樹君以外の人なんて、考えられないから」

「…すんごい口説き文句」

嬉しい反面、聞いてて恥ずかしくなる。

「竜樹…」

俺へと体を向ける中西さんの顔を見上げると、すかさずキスをされた。熱い熱いキスだった。

「改めて、僕の恋人として、この先も、ずっと一緒にいて欲しい。大事にするから…」

まるで、プロポーズのような言葉に胸が打たれ、感動して目が潤んでしまう。

「絶対だよ?」

「うん。絶対」

そして俺たちは、笑い合った。

「ありがとう。大好き、中西さん…」

言いながら、俺は中西さんにしがみついた。

「俺さ、ちょっと考えてたんだけど…」

「何?」

「中西さんがもし、いつか本当に駐在所に勤務したくなったら、俺も付いていこうかな、って。そこの地元で幼稚園の先生やりながら、駐在所で一緒に住むって、どう?」

「…なるほど。それ、すごくいい案だね。のんびりした田舎で、近所の人たちに、野菜作りとか習ってたりしてさ。子供やお年寄りたちと気楽に談笑し合える環境で、二人で穏やかに過ごすのも、楽しそうだね」

「でしょ?今は今で幸せだけど、そういう未来もいいかな、って」

言いながら、俺が中西さんの目を見つめて笑うと、

「ありがとう、竜樹君」

中西さんが、目を細めて、優しく微笑んだ。

そして、もう一度、ゆっくりと唇を重ね合わせた。


中西さんのおかげで、俺は、幸せという、目に見えないものを身を持って感じ、知ることが出来た。そして、この先、何があったとしても、中西さんとだったら、きっと乗り越えて行ける。心から、そう思ったのだった。

(完)

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絶対だよ、の約束 多田光里 @383103581518

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