第7話
「卯月!」
「竜樹?どうした?こんな所まで来て」
「バイト終わるの待ってた。話したいことあって」
「何だよ?連絡くれれば、いつでも時間作ったのに」
「俺、今日、学校で問題起こして、警察署に連れてかれちゃって」
「は?大丈夫なのか?受験に影響でるんじゃないのか?何があったんだ?」
俺の心配をしてくれる卯月は、今では、いつも優しかったあの頃の卯月そのものだった。
「卯月…。明石先生のこと、辛かったよな。俺、全然知らなくて、本当にごめん。話してくれたら良かったのに…」
卯月の体が少し硬直した。
「俺はもう大丈夫だよ。確かに、あの時はかなり精神的にも参ってたし、竜樹にもひどいことして、本当に反省も後悔してるけど、今は受験に失敗したおかげで、自分の志望する大学を目指せることになったし。逆に、無理に教師にならなくて済んで良かったかも、って思ってるくらいだから」
卯月の体が揺れ、心からそう思って笑っているのが分かる。
「それより、その話を知ってるってことは、今度は竜樹が狙われてるってことだよな?大丈夫なのか?」
「それで、卯月に相談したくて。警察は証拠がないと動けないって言ってた。これ以上、卯月や俺みたいな犠牲者を増やしたくないんだ。だから…」
「そっか。分かった。あの機械オタクのダチに聞いとくよ」
「うん。今度の火曜の放課後が、狙い目だと思う」
「竜樹、無理するなよ。お前なら、推薦じゃなくても受かるだろうし、危なくなったら絶対に逃げるんだぞ?」
「うん。ありがとう」
「俺よりも、あの人に相談はしてみたのか?しばらく一緒に住んでた、元警察官の…」
「中西さん?ううん。母さんに受験が終わるまで会うのも連絡取るのもダメって言われてるし」
「相変わらず、そういうところは融通きかないんだな」
「俺、卯月みたいに要領良くないから。バイトして、彼女も大事にできて、成績もトップで、全てうまくやりこなせるなんて、卯月ぐらいだよ」
「いや、褒めすぎだろ」
卯月が笑う。俺も嬉しくなって、笑った。
「それに、今日警察に行った時の担当が、その人だったんだ。前の会社を辞めて、九月から警察に戻ったみたいで…。だから、なおさら話せなかった。下手なこと言って、先生に調査が入ったら…と思って」
「そっか…」
「とにかく、俺は卯月の仇を取りたい!あんな奴、絶対に野放しになんかしておかないから!」
「竜樹…。ありがとな。でも、絶対に無理はするなよ?大事な弟が危ない思いするのは、俺もイヤなんだからな。分かったか?」
「うん。分かった。何かされそうになったら、走って逃げるから大丈夫」
そして俺と卯月は、お互いに笑顔になって、目を合わせた。
そして、火曜日の放課後のことだった。
「先生、この前話してたことだけど。先生と関係持ったら、絶対に志望校の推薦もらえるの?」
「ん?ああ」
「今までの人たちも、そうだったってことだよね?」
「何だ?疑ってるのか?」
「だって、実際、その人たちから話を聞いたワケじゃないし…。俺の知ってる人で、誰がいたとか教えてよ。誰にも言わないから」
「そうだな…。確かに、松島が知ってる奴はいないかもしれないな」
「じゃあ、先生のこと、どうやって信じたらいい?俺だって、それなりの覚悟いるし…」
「何だ…?やっぱり推薦欲しさに、俺とする気になったのか?」
「…いつも、どこでしてたの?」
「ここでしてたよ。みんな、初めてのことで戸惑いながら恥ずかしそうにしてる姿が、すごく可愛くてな。それがまた興奮するんだ…」
先生が俺の頬へと手を伸ばす。
「先生がしてることは、悪く言うと、脅しみたいなもんだよね?」
「交換条件だよ。どっちも良い思いするんだから。松島のこと、気持ち良くさせる自信はあるぞ?」
「今日は母さんに遅くなるって言ってきてないから無理だけど…。一緒に仕事してたなら分かるでしょ?予定が狂うと、すぐヒステリー起こすの」
今でこそ、多少は人の話も聞いてくれるようにもなったし、随分と丸くなったけれど…。でも、厳しさは相変わらず変わらないままだった。
「…確かにな。一緒に仕事してた先生達みんな、すごく気を使ってたよ」
「今度の金曜日、ちゃんと遅くなるって言っとく」
先生が、僕の頬へと唇を寄せた。全身に鳥肌が立つ。
「楽しみにしてるよ」
そして、耳元で嬉しそうに囁いた。
「その変わり、絶対に推薦してよね」
「任せとけ」
「じゃあ…金曜日に…」
そう言って、俺は席を立った。その腕を急に掴まれる。
「録音してただろ?」
「え?」
「バレてないとでも思ったか?スマホを出せ」
俺はしぶしぶポケットに入れてたスマホを出した。
ボイスレコーダーになっている画面を見られる。
「やっぱりな。今ここで削除しろ」
俺は言われるがまま、今までの会話を削除した。
「他には?」
全身をくまなく触られる。
「ないよ」
「カバンの中の物を全部出せ」
俺は机の上に、カバンの中身を全て出した。
一つ一つを丁寧に確認する。
「卯月といい、お前といい、一筋縄じゃいかないな」
「そっちが、こんなおかしな事をやめればいいだけの話だろ?」
「…他には、なさそうだな」
「だから、そう言ってるだろ」
俺はバラけたカバンの中身を手早くカバンに戻すと、
「俺、推薦いらないから。自分で共通テスト受けて受験する。もう放課後の勉強も見てもらわなくていい」
と言い残し、帰ろうとした。
その腕を力強く掴まれる。
「…何?」
「気に入ったよ。こんなに手のやける奴は初めてだ。どうしても手に入れたくなった」
ガタン、と音を立てて、先生が椅子から立ち上がった。
「何で一人で解決しようとしたんだ!どんなに危ない状況だったか分かってるのか!」
中西さんが、俺に向かって怒鳴る。
「中西さんに心配かけたくなかったし、うまく行くと思ってたから…」
「いい加減にしろ!どうしてちゃんと相談しなかったんだ!卯月君が昨日警察に来て、僕に事情を話してくれてたから良かったものの、そうじゃなかったら、今頃…」
「無事だったんだから、良くない?」
「良くない!俺と北山さんがが助けに入らなかったら、犯されてたかもしれないんだぞ!竜樹君はいつも楽観的すぎる!もっと危機感を持てよ!」
中西さんは『火曜の放課後に、俺が先生との会話を録音して、仇を打つ』と言っていたことを『心配で仕方がない』と卯月から相談を受けていたらしい。そこで、以前勤めていた、印刷会社の社員のふりをして、コピー機のメンテナンスをしに来たと見せかけて、北山さんと二人で学校に潜入していたのだ。
俺が先生に押し倒され、無理矢理服を脱がされそうになったところで、二人が助けに入ってくれ、何とか難を逃れることができたのだが…。
「そんなに怒らなくても…」
「怒るに決まってるだろ!」
「まあ、まあ。現行犯で逮捕できたんだし、もう一つの、兄の卯月君が用意してくれたボイスレコーダーの録音も残ってるし、いいじゃないか」
北山さんが、止めに入る。
「良くないですよ!だいたい、竜樹君は考えが甘過ぎるし、浅はかすぎる!どうしていつも無謀なことばかりして、自分を大事にしようとしないのか理解できないよ!」
中西さんの言葉に、ついカチンと来た。
「もう、分かったよ!うるさいな!中西さん、母さんみたいで、すごくうざい!11歳年上だからって、保護者づらしないでよ!説教する中西さんなんか大嫌い!顔も見たくない!」
俺なりにかなり反省もしてたし、先生に襲われそうになったショックもあった中で、あまりにも注意されすぎて頭に来てしまった俺は、思わず口に出してしまった。
その瞬間、中西さんが、黙り込んだ。
「取りあえず、松島君も調書を作るから、署まで一緒に来てもらえるか?先生とは別のパトカー準備してあるから」
北山さんが、俺に声を掛ける。
「北山さん、僕、この案件から外れます。一人、別の刑事に要請かけて下さい」
中西さんが、言った。
「中西…?」
「おとついの夜に起きた、集団暴行事件の方で、まだ調べたいことがあるので、先に署に戻ります」
「…分かったよ」
北山さんが、中西さんの要望をすんなりと受け入れる。
「竜樹君の気持ち、よく分かったよ…。自分の歳に見合う人と、新しい出会いがあるといいね。もう、君とは会わないから、安心して」
え…?
「…違う!俺、そんな意味で言ったんじゃ…」
「結局、僕のこと信じてなかったから、相談もできなかったんだろ?何があっても君を守りたいって、ずっと思ってたけど、僕一人だけが空回りしてたみたいだね。気付けなくて、ごめん。元気でね」
そう言って、中西さんは、その場をあとにした。
北山さんが、
「今の言葉はキツイなー。中西の奴、中南高校の過去の資料を全て引っ張り出してきて、過去に相談に来てた生徒、一人一人、毎日夜遅くまで、尋ねて歩いてたんだぞ?何とか証拠を見つけようとして、必死だったのに」
「俺、そんなつもりで言ったんじゃ…。中西さんがあまりにも怒るから…つい頭に来て…」
「そりゃ、目の前で大事な奴が襲われてたら、さすがの中西も、冷静じゃいられないだろ。ま、俺には関係のないことだからこれ以上とやかく言うつもりもないけど、中西は頑固だから、今までも、一度別れを決めたら、徹底して押し通してた、とだけ言っとくよ」
北山さんが、自分の髪をくしゃくしゃと触りながら、俺を戒めるかのように言った。
突然の、中西さんからの別れの言葉がまだ信じられなくて、胸が痛い。まるで、何かで、心臓をえぐられてるかのようだった。
それからというもの、俺の担当は野口と言う人になり、警察署に行っても、中西さんと顔を合わせることは、全くなかった。担任の明石先生は、卯月の友達が作ってくれたボールペン式のボイスレコーダーに俺が録音していた証拠と、過去に被害に遭った人たちの証言により、今までの素行が全て明らかになり、教員免許も剥奪され、それなりの刑で裁かれることになった。
「お疲れさん。やっと受験勉強に専念できるな」
最後の事情徴収の日、北山さんが声を掛けてきた。
「あの…」
中西さんのことを聞きたかったけれど、なかなか聞き出せずにいた。
「余計なことかもしれないけど、中西が、異動願を出したよ。九月は、ちょうど勤務希望申請証を出す時期だしな。もし受理されれば、二月には異動になる」
「どこにですか?」
「どこかは言えないけど、地方の駐在所ってなってたな。誰も行きたがらないから、すぐに申請は通るだろ」
「そんな…。異動したら、そこに住むことになるんですよね?」
「そうだな。アパートも引き払って、駐在所に住むことになる」
ショックが大きすぎて、全身の力が抜け、手が少しだけカタカタと震え出したのが分かった。
自分がいかに中西さんの優しさに甘えていたのかを痛いほど思い知らされる。何をしても、何を言っても、絶対に許してくれると思っていたし、ずっとそばにいてくれるって、そう信じていた。
「今、中西さんは…?」
「サミットの手伝いで、広島に駆り出されてるよ」
「いつ帰って来ますか?」
「さあ。そのあとも、地震のあった被災地の援助に長く行くことになってるから、何とも…」
「そうですか…。分かりました」
俺は肩を落として、ゆっくり歩き出した。涙が、あとからあとから溢れて来る。
俺はバカだ。お金欲しさに援交しようとしたり、先生とのことも失敗して、犯されそうになって…。中西さんに怒られて当然のことをしてるのに、逆ギレして、あんなことを言ってしまって。『俺のためにも、自分を大事にしてほしい』って、何度も言ってくれていたのに。約束を守らなかったのは俺の方で、中西さんは何も悪くない。今さら後悔しても遅いと、今になってようやく気付く。
「会いたい…」
呟いて、立ち止まる。
もし逆の立場だったとしたら、絶対に俺だって怒るに違いない。中西さんが、変な女や男に言い寄られて、手を出されそうになってるところを見たり、お金目的でホテルに連れ込まれようとしてるところに鉢合わせたり…。想像するだけで、胸が苦しくなる。中西さんが、どんな気持ちでいたかなんて、考えたこともなかった。
あのあと、何度か電話もしたけど、中西さんは出てくれなかった。
北山さんの言葉が、イヤというくらい、頭に浮かんで来る。『中西は頑固だから、今までも、一度別れを決めたら、徹底して、押し通してた』と。
ありがたいことに、一、二年生の頃から成績が優秀だったこともあり、俺は学校長から推薦をもらうことができた。受験は物凄く緊張したが、十二月の中旬の合格発表で、見事、志望校の合格を勝ち取ることが出来た。
俺は合格発表が終わったその日の夕方に、ある場所へと急いで向かった。
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