終わる世界に陽は登るのか

銀髪卿

今日も世界は回っている

 ——初詣に行こう。


 8月28日。

 私のあにぃがそんなふざけたことを言った。


 空は相変わらずの曇天。

 太陽が仕事をしなくなって久しく。電波なんてもう何ヶ月も前に途絶え、一日の流れを報せるのは、電池式の時計だけ。それだって、今ある電池が尽きれば使えなくなる。


 度重なる“襲撃”で本棟が崩れ、別棟も半壊。

 壁や床のあちこちに亀裂が入ったボロボロのシェルターの中、生きている人間はもう、私と、兄ぃと、おねえの三人だけである。


 ばってんを刻まれ続けたカレンダー。

 来るはずのない救援が来なかった日数を無為に数えたそれをそっと撫で、兄ぃはもう一度言った。


 ——初詣に行こう。


 ——神社、まだ残ってるかな?


 おねえは呑気に笑った。


 この時期なら、せめてお盆の墓参りだろうに。そんなことを呟いた私に、兄ぃは少しだけ嫌そうな顔をした。


 ——墓なんて、毎日飽きるほど見てるだろ。


 不謹慎だが、その通り過ぎた。


 ——それに俺、今年のおみくじまだ引いてないんだよ。


 子供みたいなことを言う兄ぃ。

 おねえは、


 ——引くまでもなく大凶っぽいけどね〜


 と緩い声でのほほんと笑った。


 私が窓から外を覗けば、異形たちがわんさかと集ってこちらを見ていた。


「ひぃっ!?」


 思わず悲鳴を上げ蹲った私を、おねえが優しく抱きしめた。


 ——大丈夫。大丈夫だよ。私がいる。お兄ちゃんもいる。だから、大丈夫。


 嫋やかな肢体と凶悪なほど柔らかい双丘に包まれ、聞こえる心臓の鼓動が私を落ち着けた。


 ——ここもそろそろ限界だから、移動ついでに初詣に行こう。


 兄ぃは、その一点だけはどうしても譲れないと子供みたいに意地を張った。




◆◆◆




 かつての栄華、繁栄は過去に。

 建物は自然に呑まれ、人々は異形に殺され、生き残ったわずかな人たちはシェルターの中で怯えて暮らし、そこもやがて、異形と自然に食い尽くされる。


 世界終末時計とやらは、きっと「あと3秒」くらいだろう。……いや、もうとっくに、振り切れて止まってしまったのかもしれない。

 道ゆく先々にある止まった電波時計を見て、私はふとそう思った。




 血飛沫が舞う。

 肉片が飛び散る。

 骨が砕け、断末魔すら断絶する。

 兄ぃが一歩進む度、私たちを狙う異形たちが千切れ飛ぶ。

 雨のように降り注ぐ死体は全て、私たち三人を避け、道を失ったかつての公園に一本の血河を作り出す。


 たった一本の錆びた刀を振るうことなく、ただ進むだけで道が開ける。何度見ても不条理で、不可解で、こんな終末の世界では、どうしようもなく安心できる。


 ——初詣、お寺でもできるかな?


 異形の死体の山の先で見つけた半壊した寺を前にした兄ぃに、私は全力で首を横に振った。

 こびりついた血痕、食い荒らされた跡がある骨塚。

 あと数分もすれば人魂でも出てきそうなおどろおどろしさがある。これじゃあ初詣じゃなくて丑の刻参りだ。


「ここはやだぁ……」


 ——ん〜、私もちょっと嫌かも。ここ、なんか呪われそう


 ——そもそも世界が呪われてるみたいなもんだし、今更だと思うんだけどな


「兄ぃ、おねえがおねえでよかったね」


 ——どう言う意味だ?


 鈍くて乙女心がわからないという意味だ、と言っても、きっと兄ぃには伝わらないだろう。


 大真面目に頭を捻って悩む兄ぃを見て、私とおねえは顔を見合わせて笑った。




 ◆◆◆




 異形の襲撃が落ち着いた頃、私は気になって兄ぃに聞いた。


「兄ぃ。なんで今更初詣に行くの?」


 今は8月、それももう終わる。今年の元日より来年の元日の方が近くなっている。季節外れどころの騒ぎではない。


 ——一年の計は元旦にありって言うだろ?


 めんどくさそうに血糊を払った兄ぃは、ずっと晴れない曇天を見上げた。


 ——俺の家族は毎年、年越ししてすぐ初詣してたんだよ。今年は……まあ、色々あって無理だったけどさ。


 色々あった、では語り尽くせないだろう。それでも兄ぃは、その一言で全部を済ませた。


 ——伝統とか、約束とか……そういうのは、残したいんだよ。せめて、想いだけは。


 ——だからさ、ここいらで三人で、ちゃんと年越ししておきたいなって思ったんだよ。


 無自覚か、無意識なのか。

 いや、兄ぃのことだから特に何も考えていないのだろうが。

 しれっと当たり前のように私たち二人を“家族”としてカウントした兄ぃに、おねえが照れ隠しにゲシゲシと蹴りを喰らわせた。


 ——痛い、痛い。なんだ急に


 ——うるさい、うるさい。いっつも急じゃん


 本当に、いつも急だ。

 今回の初詣もそう。

 前回の雪遊びも、その前のピクニックも。


 私を地獄から救い上げてくれた時だって、なんの脈絡もなく、急だった。

 兄ぃはいつもそうだ。


 おねえが蹴ったり、私がつねったり、兄ぃが私たちの攻撃を避けたりしながら、暫く。

 思いの外早く、目的の神社は見つかった。

 


 ——来といてあれだけど、これ神様いるのか? いたらぶった斬りたいんだが


 ——いたら、私はぶん殴りたいな


「私は……蹴っ飛ばしたい」


 揃いも揃って神様への当たりと殺意が強い。

 こんな物騒なお参りでは例え神様であっても逃げてしまうだろうが……別にお願いを叶えて欲しいわけではないので良い。


 今回は、年越しのために来たのだから。


 二礼二拍手一礼。

 作法に則り、私は崩れかけの本殿に向かって頭を下げた。


 ——そろそろまともなシェルターにたどり着けますように。


 ——いちいち身体を要求してくる低俗な輩がいませんように。


「………………」


 さっきまで斬るだの蹴るだの言っていた相手に向かってしっかりお願い事をする兄ぃとおねえの図太さに絶句して、色々考えていたお願い事が全部飛んでしまった。


「——————」


 だから、とりあえず、精一杯頭を下げた。二人の願いが叶いますように、と。




◆◆◆




 ——“イノリ”ってのはどうだ?


 参拝後、兄ぃが唐突に言った。


 ——お前の名前、“イノリ”が良いかなって


「また急だ」


 本当に急でびっくりした私は足を止めた。


 ——可愛い名前だね


 おねえは賛成なのか、特に理由を尋ねることなく賛同した。


 ——さっき、神社で必死に頭下げてるお前を見て、「なんか良いかも」って。


「ざ、雑!」


 ——待て待て、他にもちゃんと理由あるから。いてててて脇腹つねるな。


 私につねられながら、面白がったおねえにも頬やらをつねられた兄ぃは痛みに耐え(る振りをし)ながら続きを話した。


 ——お前を助けた時、助けられなかった奴らに頼まれたんだよ。「お前を頼む」って。お前が生きてるのは、俺の力だけじゃない。そういう、幾つもの願い……“祈り”があったからだ。


「だから、イノリ?」


 ——そう。あと、真っ当に生きろよっていう俺の祈りもある。


 ——じゃあ、“可愛くなってね”って私からの“イノリ”もあげる!


「……わかった。私、今日からイノリだ」


 8月28日、元日。


 私、イノリは年の初めに生を受けた。


 ——珍しい。今日は少しだけ明るくなるかもな


 兄ぃがそう言って見た空は、ほんの少しだけ、他より雲が薄く、ほんの少しだけ、太陽の光が届きそうな淡い灰色をしていた。

 



 終わる世界にも陽は登る。

 見えなくとも今日も世界は回っている。


 明日は、どんな今日になるだろうか。

 四ヶ月後、私たちは新年を迎えることができるだろうか。


 どん詰まりの世界で、私——イノリは、大好きな兄ぃとおねえの背を追いかけた。

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