忍者が転校してきた
焼肉。
それは今回の任務の目的であり、打ち上げ場所でもある。
「それにしても、本当に良かったのか? こんな食べ放題の場所で。私としてはもっと高級焼肉を奢らされると思っていたのだが」
対面に座っているアイリスがトングで肉を焼きながら尋ねてくる。
「いやまあ俺もそのつもりだったんだけどな……」
「イナバはずっと食べ放題の焼肉を食べてみたかったのでござるよ!」
イナバはとびきりの笑顔でそう言った。
今回、手頃な価格の食べ放題焼肉になったのはイナバの強い希望によるものだった。
「イナバの家はずっと貧乏だったから、誕生日の時だけ連れて行ってくれるこの食べ放題の焼肉がすごく好きだったのでござる! いくら食べても無料なんて、本当に素晴らしいでござるなぁ……!」
加えてこんな涙ぐましいエピソードを聞かされたから、と言うのも理由の一つではある。
俺もアイリスも、なんならいつもすまし顔のシャーロットですらハンカチを目元に当てていたほどだ。全く目は潤んでいなかったが。
俺自身いつも質素な飯ばかりで肉と外食は滅多に食べる機会がないので、食べ放題の焼肉はかなり好きだったりする。
それに高級な焼肉だと店の雰囲気で畏まってしまって食べにくそうだし。
俺が考えるに、焼肉の一番の目的は「肉のシャワーで心を洗浄すること」だ。
世間で働いて疲れたその身体と精神に無限で大量の肉のシャワーをぶつけ、綺麗さっぱり洗い流す。
すると身体も精神も綺麗な状態で次の日を迎えることができるわけだ。
だから畏まってしまうような場所で食べるのは食べ放題の焼肉の本来の趣旨から離れている、と俺個人は考えている。
網の上から焼いた肉を箸でつまむ。
脂が光り、ジュワジュワと音が鳴っている肉を焼肉の醤油だれにつけて、口の中に放り込む。
「美味い……!」
口から自然とそう零れ落ちた。
やっぱり焼肉は最高に美味い。
「いくら食べても問題ないというのがイナバからすれば夢のような制度でござる! ああ……憧れの食べ放題……!」
イナバはうっとりとした表情で次々と運ばれてきた肉を焼いている。
もうすでに十皿くらい一人で食べているのだが、イナバの食欲はまだ留まるところを知らない。
本当にこのままこの店の肉を全て食ってしまいそうなくらいの勢いだ。
「いや、私としてもこれを高級焼肉店でやられるとそこそこ財布にダメージがあるから、食べ放題は有り難くはあるんだがね。だが、肉をいくら食べても一定の値段を払うだけで良いなんて、本当なのか……?」
アイリスは焼肉の食べ放題を食べたのが初めてなので未だに疑問を持っているらしい。
俺はアイリスを安心させるために大丈夫だと告げる。
「大丈夫だ。どんだけ食っても料金は一定だよ。多分」
「だがしかし、焼肉だけではなくこんなに豊富なメニューまで食べ放題なんて……」
アイリスはぶつぶつと言いながら注文用のタッチパネルを見ている。
食べ放題の焼肉は大抵肉だけじゃなくて、唐揚げだったりサラダだったり、果ては寿司まで揃えているところがあるので面白い。
「お嬢様、お肉はメイドの私が焼きましょう」
「いや、今回は私にやらせてくれ。自分で肉を焼くのが結構楽しいんだ」
そんな風に話しているアイリスとシャーロットを見ていると、肩がトントンと突かれた。
突いてきたのは隣に座っているイナバだ。
「どうしたんだイナバ」
「主殿、お肉が美味しく焼けました。どうぞ」
「えっ」
イナバはそう言って箸でつまんだ肉に手を添えて俺の方へと差し出してきた。
いわゆる「あーん」の状況だ。
俺が戸惑っていると、イナバが首を傾げた。
「主殿?」
「いやその……これってさ、その、アレじゃないか?」
「? 何を仰っているのですか?」
俺は言葉を濁して伝えてみたが、イナバは本当に分からないのか首を傾げていた。
だから俺はハッキリと言葉にして伝えることにした。
「その……食べさせてもらうのはちょっと恥ずかしいというか……」
俺がそう言うとイナバは目をまん丸に見開いた後、大人びた表情でふっと微笑した。
「家来が主人にこうやって食べさせるのは普通のことでござるよ。何もおかしくないでござる」
「いや、そんなことはないだろ」
イナバは忍者特有の価値観を持ち出して恥ずかしくないと言ってくるが、騙されないぞ俺は。
「おやおやおや」
「まぁ、お熱いことで」
アイリスとシャーロットもニヤニヤ笑ってるし。
くっ、シャーロットがスマホのカメラを構えてる。
写真を撮ってからかうつもりだな。
「そう言わずに。これはイナバの感謝の証なのです」
「感謝?」
「はい、イナバを最後に連れ出してくれたのは主殿ですから」
「そんなの気にするなよ」
「いいえ、忘れません。イナバのためにあそこまでして頂けて、とっても嬉しかったです。だからイナバからの感謝の証を受け取ってください」
イナバはそう言ってまた肉を差し出してきた。
「伊織。ここは早く受け取って話題を切り替えた方が身のためだぞ」
「ええ、このままだとからかってしまいそうです」
「くそ……」
どうやらあの邪悪な二人の言うとおり、一刻も早くこの肉を受け取った方が身のためのようだ。でないと本当にこのまま一生からかわれそうな気がする。
肉をふーふーと冷ましているイナバは俺に肉を食べさせる気満々のようだった。
観念するしかない。
俺は恥ずかしさを押し殺して口を開ける。
「はい、あーん」
イナバがとっても上機嫌な声で俺に肉を食べさせてきた。
「主殿、美味しいですか?」
「……ああ、美味い」
「それは良かったでござる!」
俺がそう言うとイナバは花が咲くような笑顔を浮かべた。
くそっ、横目でもアイリスとシャーロットがニヤニヤしてるのが分かる。
雇い主じゃなかったら目潰しをしてやりたいくらいだ。
とその時、邪悪二人組がヒソヒソと話す声が聞こえてきた。
いや、内緒話というよりどう考えても俺に聞かせるための声量だった。
「見たかシャーロット。あれが同年代の女子に自分のことを主殿と呼ばせている変態だ」
「ええ、しかも頬にキスさせてました。記録もバッチリです。通報しましょう」
いつの間にかシャーロットの手の中にはスマホが握られていた。
あれで今の場面を撮影したのだろう。
「おい! どう見ても俺はされた側だろうが!」
「うわっ、叫び出したぞこの不審者」
「やっぱり通報しましょう」
「なんですぐに通報しようとするんだよ! あの……やめてください本当に俺捕まるので」
この状況でなら捕まる自信しかないので本当にやめて欲しい。言い訳とかできなそうだし。
「ていうか早く食えよ! 食べ放題は時間制限があるんだぞ!」
「おっと、露骨に話を変えてきたな」
「司令、主殿の言うことは間違ってないでござるよ。食べ放題は九十分しかないのでござる」
「いやいや、それだけあったら十分満腹になるだろう」
「そうでもないのでござる。案外九十分はすぐでござるよ。見てください。もうあと三十分しか残ってないでござる」
イナバに促されるまま注文用のタブレットを見たアイリスは目を見開いた。
「そんなわけないだろう、二十分くらいしか……本当じゃないか! あと三十分しか残ってないぞ!?」
「本当でございますか、お嬢様」
アイリスの言葉にシャーロットも驚いていた。
「まだまだ私は食べてないぞ! おい伊織! そのお肉を私に寄越せ!」
「おいやめろ! それは俺が大切に焼いてきた肉なんだよ!」
アイリスが俺が丹精込めて焼いた肉を取ろうとしてきたので俺はトングでアイリスの邪魔をする。
「キミ! 司令に肉を渡すのは当然だろ!」
「さっき自分で焼くって言ってたろ! あっさり手のひらを返すんじゃねえよ!」
「お嬢様、やはり私が焼きましょう。大丈夫です。今からでも私の効率的な焼き方なら満腹になるように……」
アイリスとシャーロットはタブレットを見ながら慌ただしく注文をし始めた。
「主殿」
イナバがまた話しかけてきた。
「どうした」
「楽しいでござるね」
「……そうだな」
俺は苦笑する。
確かに慌ただしい上に、落ち着かない。
だけどこうやってみんなでワイワイしながら食べるのも、随分昔からやってなかったから、楽しくないと言えば嘘になる。
「こういうのも、たまには悪くない」
「ところで主殿、目を瞑ってください」
「なんでだよ」
「良いから、イナバの言う通りにしてください」
「分かったよ……こうか?」
ここまでくればもうどうにでもなれと思って、俺は目を瞑る。
何をされてもこれ以上はずかしいことなんてないだろ。
「そうです。もうちょっと向こう側を向いて……そこで良いでござる」
イナバの指示通りに顔の向きを微調整する。
「これで良いのか?」
「はい。じゃあ──」
チュッ。
次の瞬間、頬に柔らかい感触があった。
「なっ……! えっ……! は!?」
俺は動揺しながら頬を手で押さえて目を開く。
「えへへ」
隣を見るとイナバがニコニコと笑顔を浮かべて座っていた。
頬が少し赤いのは気のせいではないだろう。
「これも感謝の証です。主殿」
イナバが顔を近づけてくる。
俺は反射的に仰け反ったが、いつの間にかイナバにぎゅっと手を握られていたせいで逃げることができなかった。
「これからもずっとイナバの主殿でいてくださいね」
顔を近づけてきたイナバはそう言った。
「……分かったよ」
俺が肯定の言葉を返すと、イナバの笑顔がさらに柔らかくなった。
その時、パキッ、と何かが割れる音がした。
嫌な予感がして恐る恐るそっちに顔を向けてみれば、割り箸を手で割ったアイリスが笑顔を引き攣らせていた。
「い、伊織……? キミは私という婚約者がありながら何をしているんだ?」
「い、いやアイリス……これは違くてだな……」
「何が違うんだ?」
アイリスはにっこりと笑って俺に尋ねてくる。
しかし、目が笑っていない。
「お嬢様、しっかりと浮気の現場は抑えております」
シャーロットは手にスマホを持っていた。
きっと今の場面を写真に収めたのだろう。
スマホの画面を見て、アイリスの怒りがさらに濃くなった。
「キミの婚約者は私だったと思うんだが」
「その……」
「私という婚約者がありながら、鼻の下を伸ばすとはどういうことだ? ん?」
「いや、別に鼻の下は伸ばしてな……」
「言い訳無用。あとでしっかりと話をしてやる。いいな?」
「……はい」
その後、俺はこってりとアイリスに絞られた。
翌日、俺は学校に登校していた。
昨日はあれだけのことがあったのに、普通に登校してしまっている自分の体力が恐ろしい。
「はぁ……眠い」
隣の席のアイリスも眠たそうにあくびをしている。
最初来た時はかなり異質だったが、今ではもうクラスに馴染んでいる気がする。
そしてチャイムが鳴ると担任が教室に入ってきた。
朝のH Rの時間が始まる。
いつもの日常。穏やかな日々。
疲れもあって、俺はウトウトとしていた。
だから、聞き逃してしまったのだ。
担任の「転校生を紹介する」という言葉を。
「はじめまして!」
「……は?」
聞き慣れた名前が聞こえた気がして、微睡の中から一気に目覚めた。
そして教卓に立つ人間を見て、俺は驚愕に目を見開いた。
「鹿山高校から転校してきました! 稲葉ひふみです! よろしくお願いします!」
そこにいたのは、イナバだったのだ。
「……嘘だろ」
俺がハッと横を向く。
アイリスがニヤァ……と笑っていた。
「お前の仕業か……!」
「どうだ? 驚いただろう」
アイリスが得意げに笑う。
イナバが俺の通う学園へとやって来た。
異能機関 〜陰キャぼっち俺、美少女を助けて異能をもらい、借金返済のために【異能機関】でエージェントをしていたらいつの間にか美少女に囲まれていた件〜 水垣するめ @minagaki
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