5
途中のことはよく覚えていない。僕とキャロラインは電車を乗り継いで都内の遊園地まで来ていた。
僕が遊園地に来たのは遠い昔以来だ。キャロラインとは初めて来たことになる。
はじめからここに来る予定だったのならキャロラインに着替えさせたのだが、無我夢中で彼女を引っ張って来てしまった。
真紅の膝丈ワンピースに身をつつんだ女性型アンドロイドは遊園地では目立った。
アンドロイド自体は全く見かけないものでもない。
超高齢社会の遊園地には車椅子に乗った客も多くいて、その移動介助にアンドロイドがついていることも多い。ただ、そうした介護用アンドロイドはそれなりの格好をしていて、キャロラインのように赤いワンピースを着たりしないのだ。
だからキャロラインは目立った。そしてこの格好のキャロラインをジェットコースターに乗せるわけにもいかなかった。
僕たちは観覧車に乗ることにした。
「観覧車に乗ったことはある?」僕は訊いた。
「ありません」とキャロラインは答えた。
多分そう答えるようにプログラムされているのだと僕は思った。
これまでこの事業のモニターがどのくらいいたか知らないがアンドロイドと観覧車に乗った者もいたはずだ。そしてそうした記憶は彼女たちアンドロイドひとりひとりに共有されている。
キャロライン自身も乗ったことがあると僕は思うがその記憶は他のアンドロイドたちの記憶と区別できないように格納されているのだろう。
おそらくはキャロラインは前のモニターと過ごした記憶を自分の記憶として持っていない。仲間たちが経験した記憶になってしまっているのだ。
こうして僕と出かけた記憶も次のモニターの相手をする頃には別のアンドロイドが体験した記憶と区別できなくなってしまうのだろう。それは僕のことを忘れてしまうのと同じことだ。
僕が忘れずに覚えていることを彼女は覚えていない。
僕は切なさを覚えた。
彼女にも忘れないで欲しいと思うのは僕の身勝手なのだろうか。
観覧車が昇っていく。ビルの屋上に上がったかのように視界が開けてきた。
やがてその屋上も見下ろすまでになった。
よくこんなビル街に遊園地があるものだとつくづく思った。
子供の数はめっきり減っている。園内に若者の姿はたくさん見かけたが、彼らが話す言葉はほとんど外国語だった。この国に日本人の若者はどのくらいいるだろう。
「綺麗ですね」
遠くに富士山が見えた。霞んでいるが間違いない。何年ぶりに見ただろう。
キャロラインは僕の問いかけに答えるわけでもなく自発的に「綺麗ですね」と言った。彼女はただ視界に入った対象を富士山と認識し、それを見た女性がするであろう典型的反応としてその言葉を口にしたに過ぎない。
そうわかっていても僕には彼女が本当に綺麗だと思ってそう言ったのだと思えてならなかった。
「もっとよく富士山が見えるところに行ってみないか?」僕は言った。「富士でなくても良い。どこかへ二人で行ってみないか?」
「行きたいです」彼女はそう言ってわずかに下を向いた。
ゴンドラが頂点にさしかかった。他のゴンドラから見えない位置だ。
僕と彼女だけの世界。
僕は彼女の肩を抱いていた。
彼女が目を閉じる。
僕は彼女のわずかに開いた唇を見据えた。そっと彼女の顔に顔を寄せる。
その刹那、僕のスマホに音声電話が着信した。
その着メロはあるところからのものだった。
キャロラインが目を
「『ひだまり』からの電話ですね」彼女はその電話がどこからのものか知っていた。
ゴンドラはすでに下り始めていた。
僕は仕方なく電話に出た。
「こちら『ナーシングホーム ひだまり』です……」電話の向こうで女性が話し始めた。
僕はその連絡を淡々と聞いた。
「わかりました。一時間ほどで伺います」僕は答えた。
「キャロライン……」僕は彼女に向けて言った。「セツ子さんが帰りたいと騒いでいるらしい。僕は迎えに行かなければならない」
「お供します」彼女は答えた。
「申し訳ない……」
中断された二人の行為が再開することがあるのか僕にもわからなかった。
僕とキャロラインの二人の時間はこれで終わりだ。
我が家に母が帰ってくる。認知症を患い、車椅子も欠かせない母親。
母がわずか二泊三日間のショートステイを利用する間に僕はキャロラインとデートする機会をつくったのだ。
なぜ僕のような人間があの事業のモニターに選ばれたのかいまだにわからない。
五十代の男にアンドロイドとの疑似恋愛をさせ、それで恋愛スキルが身についたとしても、あの母が生きている限り、僕は結婚などできないだろう。
僕は母と何十年もずっと二人暮らしを続けていた。
僕と彼女が生きる道 はくすや @hakusuya
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