消えたパンツの行方

鳥尾巻

パンツがない!!

 パンツが消えた。しかも昨日穿いていたはずのパンツが。

 宿酔いに痛む頭を抱えて目覚めた私は、隣でだらしなく寝こけるミケの脇腹をつついて起こした。ここはミケの家だ。


「ねえ、あんた私のパンツ知らない?」

「ふあ……パンツ?しらなあい」


 ミケは迷惑そうに呟いて大きな欠伸をした。蛍光ピンクの髪は寝乱れてくしゃくしゃになっている。

 昨日は確か彼女と推しのバンドのクリスマスライブに行った。



 音の洪水に溺れる。狭いハコの熱気と安くて粗悪なアルコールの酩酊、隣の奴の不快な汗と体温がダイレクトにぶつかってもイラつく間もなく音に押し流される。


「きゃー!の〇太さんのエッヂの効いたカッティングリフーー!!」

「うるせえっ!!!」


 野太い声のくだらないコールが飛ぶ。ステージ上の黒づくめの痩せたヴォーカルが怒鳴り返す。もう訳が分からないほどもみくちゃにされ、一周回って笑いがこみ上げてくる。

 隣にいたはずのミケは、いつの間にか押し流され、ステージの真ん前でゲラゲラ笑っている。どぎついピンクのショートボブが汗で純和風の顔に張り付いてカラフルなみたいになっているのが見えた。


「あー、面白かった」


 ライブ後の興奮冷めやらぬミケがまだ笑いながら私の方に突撃してくる。勢いでぶつかった彼女の体からは、汗とアルコールと甘ったるいバニラが混ざり合ったような匂いがする。


「痛。あんたの方が面白いことになってるよ」

「またこけしみたいだって言いたいんでしょ」


 入れ替えで押し出される人の群れに紛れ、ぞろぞろと歩いて外に出ると12月の冷えた空気が熱せられた体を包んだ。ライブハウスの前に設置されたツリーの電飾が目に眩しい。


「気持ちいいね~」


 歩道でくるくる回りながらミケが笑う。ピンクの髪にピンクの合皮ジャケットとミニスカート、ピンクのショートブーツ、対する私は黒髪、黒の革ジャンに黒のミニスカート、黒のデザートブーツ。性格は正反対、言いたいことを言い合ってもなんだかんだ仲は良い。

 歩道の脇にある広めの用水路を覗き込んだミケが、急に私の腕を掴んで引っ張った。


「ねーねー、アキー!ダイブしよー!」

「はあ?やだよ」

「ほら~!水ないから大丈夫!いけるいける」

「いけねえよ!」

「せーの!」

「やめろ、ばか!あああああああ」


ばっしゃーーん!!


 暗くて水がないように見えた水路には、雪解け水が残っていて、私たち2人分の体重を乗せて水飛沫が跳ね上がる。


「きゃーーーー!!」「あああああ」

「あはははは」


 ミケが全身ずぶ濡れでのけ反って笑っている。私の姿も似たようなものだ。真冬の冷たい泥水と、冷たい風で一気に体が冷える。


「あははじゃないよ!馬鹿!」

「さむーい!冷たーい!!」

「風邪引く!風邪!へくしょん!」

「パンツまでずぶ濡れだよ~!コンビニで新しいの買おう。脱いじゃえ脱いじゃえ」

「阿呆!やめんか!」

「アキも脱ぎなよ~」

「わわわ、ちょ、やめ」


 ミケは遠慮なくスカートの下に手を突っ込んでくる。間の悪いことにパンツは脇を紐で結ぶタイプだ。前にノリでお揃いで買った蛍光ピンクのパンツ。今日はライブだから気合い入れようね、なんて変なテンションで一緒に穿いた過去の自分を呪いたい。


「あの……大丈夫ですか?」


 通りすがりの若い男がこっちを見下ろしている。ぎゃーぎゃー言い争う私たちが、誤って転落したと思ったのか、親切にも手を差し伸べている。


「あ、どうもどうも。ありがとね」


 ミケは2人分のパンツを握り締めたまま、ちゃっかりお兄さんに引き上げてもらっている。私はスカートがめくれないように気をつけながら、自力で這い上がった。

 恥ずかしくて一刻も早くこの場を立ち去りたいのに、ミケは助けてくれたお兄さんに何か話しかけている。

 震えながら少し離れて見守っていると、ミケが満面の笑みで駆けてきた。


「お待たせ~!コンビニへGO!」

「もう、早く帰ろうよ!寒い!」


 思い出した。あの後、コンビニでパンツを買うはずが、何故か「体を温めよう」と大量に酒を買い、ミケの家でお風呂を借りて酒盛りをした後寝てしまったのだ。


「思い出した!パンツ!あんた持ってるでしょ?」

「ええ……と。あ、あのお兄さんにあげちゃった!」

「えええ!?」

「助けてくれたお礼?みたいな?」

「お礼にならんでしょ、使用済み泥だらけパンツなんて!」

「とにかくここにはもうない!」


 妙にきっぱり言い切るミケに脱力して布団に沈んだ。最悪だ。可哀そうな私のパンツ。今頃どこかのごみ箱に捨てられ、生ごみとして処理されてしまうのだろう。


 そんな馬鹿な顛末ではあったが、翌月の新年ライブに行った時、私たちはパンツと奇跡の再会を果たした。

 仕舞い損ねたクリスマスツリー。ライブハウスのオーナー曰く『門松替わり』のそれに、フラッグのような顔をして、私とミケの蛍光ピンクの紐パンツが綺麗にはためいていたのだった。


 ミケはまたゲラゲラ笑い、私はそんな彼女の口を塞ぐのに苦労した。結局言い出せず、パンツは今もそのままだ。



※こちらは短編集「短夜一葉~みじかよひとは~」にも掲載しています。

https://kakuyomu.jp/works/16817139555782644214

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