後編
龍神は、一向に増えないフォロワー数やチャンネル登録者数を眺めていた。
宮司の説明は聞きなれぬ横文字ばかりで理解するのに苦労したが、一度わかってしまえば造作もない。六十年ごとに寝起きをくり返していれば順応力も高まるというもの。しかし、広く喧伝するのもそう容易くはないようで、伸び悩む数字に頭を悩ませていた。
いい加減嫌気の差してきた龍は、水槽の底で脱力するウーパールーパーのようにぺたりと横たわる。
「諦めないでくださいよ。これでは奉賀の儀にかかった費用すら回収できません」
向かいに座り動画編集をしていた宮司が、パソコンの画面から目も逸らさずに言う。龍は不機嫌そうに尾で床を叩く。硬い鱗が板間に当たりカラコロと音を奏でた。
「そもそもじゃ。奉賀の儀でも思ったが、何故みんなして謎の板を掲げておる! 世の中みんな、揃いも揃ってじゃ!」
「板ではなくてスマホですね。お教えしたではありませんか」
「気に入らぬ板じゃ! 板なんか見とらんでもっとワシを見ろ! その目にしかと焼きつけよ!」
龍は地団駄を踏むように長い体を波打たせ、しきりに「見よ見よ」と
「ナマグサ宮司! 銭ゲバ宮司!」
「ちょっとデカいだけの蛇! 五百円玉ハゲ!」
「ヘビではないしハゲてもないわ! 六十年もすればまた生えてくるし!」
龍は宮司に巻きついて自由を奪い、宮司は龍の尾の、鱗の禿げた部分をしつこく指でつつきまわす。
子どもじみた争いが続く中で、この場に似つかわしくない控えめな女性の声が響いた。
「ごめんください。あら……、今はお忙しいかしら」
「これはこれは、
宮司はコブラツイストされたまま老齢の女性を迎えた。辰子と呼ばれた女性はその瞳に龍を映すと、目尻を下げ微笑む。
「鱗を、お返しにきました」
そう言うと、彼女は大切そうに木箱を開く。一寸にも満たない小さな、しかし透きとおるような美しさを持つ鱗だ。それを見た途端、龍はするりと辰子の傍へ寄る。宮司もその隣で耳を傾けた。
「龍神さまは覚えていらっしゃらないかもしれないけれど、幼いころに助けていただいたのです」
半世紀と少し昔、彼女は足を滑らせ泉へ転落した。身も凍るような水の中、水面へ向けて手を伸ばしたが届かない。助けを呼ぶ声は音にならず、泡となって消えた。それでも諦めずに藻掻き続けた彼女の指先に、輝く鱗が触れる。そうして龍は尾の一本をもってして幼い少女を助けた。これは、そのときに剥がれ落ちた鱗だという。
龍は懐かしさを噛みしめるように鱗と辰子を見つめた。
「覚えておるとも。まどろみの中で、そなたの助けを求める声が耳に届いた」
老女の目尻に、より一層深い皴が刻まれる。
「美しい尾の龍神さま。慈悲深く、親しみにあふれた龍神さま。今年、初めて御姿を拝見することができて嬉しく思います。これで思い残すこともありません」
龍はくすぐったい気恥ずかしさを感じつつも、威厳を崩さずにのたまう。
「次の次の次の辰年くらいまでは生きよ。その鱗も返さなくてよい」
「……では、この鱗を娘に譲ることをお許しいただけますか。末の娘が、出産を機にこちらへ移住するのです。娘と、辰年生まれの孫に一層のご加護がありますように、と」
「好きにせよ」
そう言う龍の顔は満足げに
家族を連れて再び会いに来ると誓い、辰子は社を後にした。その背を見送り、龍は覚悟を決めたように宮司へ告げる。
「宮司よ。ワシは世界にファンを増やさずともよい。あくまでも、この里と、里に住まう者を守る龍神じゃ」
「龍神さまが、そう仰るのならば御随意に」
観念したような雰囲気を漂わせているが、実のところ宮司の心も郷里への想いと希望に満ちていた。
龍は宮司に寄りかかり、慰めるように言う。
「しかし、オマエなりにワシや社のことを考えての行動だったのじゃろう。そう気落ちするな。龍の里がより一層栄え、里人の幸せがとこしえに続く方法を、共に模索していこうではないか」
伝承の途にある一柱と一人は、尾と手を取りあい、当世そして後世のために
「再び眠りにつくまでの、ほんのひと時じゃが」
「人間にとって数か月はまあまあ長いですよ」
おはよう龍神 十余一 @0hm1t0y01
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