最終話 聞け、忘れ去られた者たちの声を

 急行電車が止まる駅のそばとはいえ、ここは繁華街じゃない。夜中の二時を過ぎた頃には、人気はすっかり消えてなくなり、近くの商店街はすべてシャッターを下ろしている。

 まるで夜の帳がホールを中心に、この場所を世界から切り離してしまったかのようだ。

 そのぶん、目の前に止まる三台の黒のハイエースの排気音が、やけに大きくぼくの頭蓋を震わせる。


 眠気はやってこない。

 不眠症なのだから当然だ。

 この時ばかりは、自分の壊れた自律神経に感謝したくなった。


『私には全国各地に十一人の弟子がいるんです。神の声を引き出そうとする信徒でありながら、機種設置・撤去を確実に遂行するプロの業者でもある。今夜、彼らを一斉に集めて、みなし機を奪います』


 今日の昼頃に男がぼくに話して聞かせた計画の通りに、事は運びつつあった。


 重そうな工具箱を手に、ハイエースからぞろぞろと降りる男たち。頭からつま先まで、全身をすっぽりとフード付きの黒いコートで覆っているせいで、表情のほどは伺えない。


 集まったのは十一名全員……とはいかなかった。


 男の下知を受けて集結した弟子の人数は全部で五人。正直なところ、意外だったし、多少の落胆もあった。

 男が持つある種のカリスマ性も絶対的なものではないのだと思い知らされたし、何より、集まってきた連中が、なにかただならぬ雰囲気を全身から放射していたせいだ。【神の声】を秘めた台を奪おうという一大作戦を前にして、それ以外のことに意識が向かっているような。


 真理愛は、今回の作戦には直接的には加わっていない。

 だが、彼女に与えられた役割は大きかった。

 男から、それだけの厚い信頼を受けている彼女が、ほんの少し、羨ましく思えた。


『裏口から事務室を通ってホールに出ます。鍵は事前に真理愛から受け取っているので大丈夫。流通キーも受け取り済みです。監視カメラも、営業時間終了に合わせてスイッチを切ると約束してくれました』


 それだけのことを、ただのいち従業員である彼女がやりおおせるのか。不安の入り混じる調子で尋ねると、男は朗らかに笑って答えたのだ。


『彼女はこのホールで、店長以上の権限を有する立場にいる。彼女は自立している。あのホールで本当の意味でその領域に至っているのは彼女だけです。しかし、そんな彼女にも平等に《救い》は必要なはずです』


 男が先頭に立って、弟子たちを先導するかたちで裏口に回る。

 ぼくを含めた七人は、お互いに自己紹介もせず、無言の兵隊となって男の指示に従った。


「おい、あんた」


 最後尾を歩くぼくのほうを振り返って、弟子のひとりが小さく声をかけてきた。

 背丈はぼくより低い。でも、若者ってほどでもないだろう。

 これは勘だけど、おそらく三十代の半ばだろうか。


「あんた、信じるか?」


「なにを」


「神の声が聴こえるって遊技台の存在をだ」


「信じるよ、一応はね」


「そうか」


「あなたも、信じているんでしょう? だから今夜ここにこうして……」


「俺は、そんなものはどうでもいい」


「え?」


 男が、黒いフードの下で下衆な笑みを浮かべた気がした。


「心配するな。作戦には協力するさ」


 胸が妙なざわつきを覚えたが、いまは目の前の作戦に集中するべきだと、自分自身に言い聞かせる。

 真理愛から受け取っていた鍵を使って裏口のドアを開けると、男は電気を点ける。

 まるで市街戦に挑む分遣隊のように、ぼくらは腰を低く屈めて事務室を通り、ホールに出る。

 真っ暗なホールに佇む遊技台たちは、営業時間中とはうってかわって、恐ろしいまでの沈黙を保っている。

 あれだけ足繫く通っていたにも関わらず、まだこんな表情を隠し持っていたのかと驚く。

 さながら、歴史の堆積に埋もれてしまった古代の海底遺跡群のように、招かれざる客であるぼくらを睥睨している。

 言い知れぬ緊張感に押しつぶされそうになるけど、男が的確に指示を出してくれるおかげで、冷静さを保つことができている。


《ぱちんこ 武教伝説-夜明けのゴルゴダ-》の前に、ぼくらは立つ。このホールに現存する、たったひとつのみなし機。

 弟子たちは、遊技台を「島」と総称される構造物から取り外し、新台と交換、または撤去するプロの業者だと男は言っていた。

 その言葉通り、遊技台を目の前にした男たちは、無駄口を叩くことなく、工具箱からメガネレンチや電動ドライバーを取り出すと、きびきびとした動きで台の撤去に取り掛かった。


 懐中電灯は使わなかった。いや、使ってはならなかった。

 窓の外から差す月明かりだけを頼りに事を運ぶのだ。

 そう決めたのも男だった。

 理由は話してくれなかったが、なんとなく、気持ちはわかる。

 彼はきっと、遊技台が持つある種の神秘性を、たとえ弟子たちが相手だとしても、あからさまにしたくはなかったんだろう。


 薄青い闇の中で実行に移された遊技台強奪作戦の実態は「作戦」と大それた字面には似合わない、極めて地味な「作業」だ。

 台の撤去に要するのは実質二名。二人がかりで、ほとんど手探りに近いかたちで遊技台の撤去に取り掛かる。作業は滞ることなく、順調に進んでいく。手元に灯りがないのに、さすがはプロの業者と言ったところか。


 ぼくは彼らの仕事の様子を後ろから眺めている。

 あとの三人は裏口と正面玄関付近に待機し、近くを通る人影や車がないか警戒する。


 男は一通りの指示を出し終えると、近くの台の前に腰掛けて、撤去作業をじっと見守る。白いスウェットと白いジーンズに身を包んだ彼の出で立ちは、さながら幽霊のようである。


 台の頭を取り外し、流通キーを使って正面扉を開け、玉抜きレバーを操作して台に溜まっているすべての玉を、受け皿へ流していく。

 受け皿に溜まっていく玉をぼーっと眺める。そのうち、金属の大合唱が土に埋もれた機械たちの呻き声のように聞こえてくる。

 錯覚だとわかっていても、拭い去れない。これが【神の声】の片鱗なのだとしたら、ずいぶんと息苦しそうだ。


 季節は冬だというのに、妙に空気が蒸し暑い。

 たいして作業をしていないぼくがそう感じるくらいなのだから、弟子たちの額には、きっと玉のような汗が浮かんでいるに違いない。


 コネクター部分を傷つけないように、優しい手つきで配線を外して、遊技台と島が分離可能な状態までもっていく。

 台枠を止めているビスをドライバーで外してしまえば、簡単に台は引っこ抜ける。

 手元の腕時計で時刻を確認する。午前二時に差し掛かろうかという時刻。作業に要した時間は、三十分といったところか。


 まるで銀行強盗のチームみたいだ。いや、実際のところ強盗に違いないのだけれど、不思議と罪悪感は湧いてこない。


 弟子のひとりが、遊技台をくるむための毛布を車から運んできた。

 男の指示で、二人の男が遊技台を運び出し、寝たきりの老人をベッドへ移動させるような手つきで、毛布の上へそっと寝かせる。

 その間、遊技台運搬のルートを確保するために、ほかの弟子たちがホール正面の自動ドアを手動で開け放った。


 流れ込んでくる冷たい外気が、刺さるようにホールを満たした。


 闇夜の中、丁寧に遊技台を梱包していく弟子たちの作業を、男はじっと見守っていた。

 すると、弟子のひとりが、取り外した遊技台の具合を確かめようとしたのか、あるいは事前に男から聞かされていたであろう【神の声】を発する遊技台への好奇心を抑えきれなくなったのか。その全容を一目見ようと、黙って持ち込んでいた懐中電灯をコートの下から取り出して、スイッチを入れた。


「やめなさい!」


 男が乱暴に懐中電灯を奪い取り、明後日の方向に勢いよく叩きつけた。


 光が砕け、闇の中で、男が囁くように忠告した。


「神の御姿を、みだりに人前へ晒してはなりません」


 その場にいる全員が、息を呑んで硬直した。


 男が怒鳴ったのは、ぼくの知る限り、それが最初で最後だった。


「なにが神の御姿だよ」


 うっそりとした闇の中、ひとりの弟子が悪態をついた。お互いの顔もろくに確認できない状況ながら、声の主の判別はつく。裏口へ突入する前に、ぼくへ語りかけてきた、あの弟子だ。


「ただの詐欺師の癖に、よく言うぜ。さんざん俺を騙しやがって」


 弟子の恨みがましい声が、深海さながらのホールに響く。


「アンタの技術介入を真に受けた俺もバカだったよ。年末のボーナスも昨日で全額スッちまったし、消費者金融の借金だってこれじゃ返せねぇ。アンタ、言ったよな? 私の教えを信じれば、この世を楽に生きられるって。どうなんだよ。え? どうなんだ」


「私は、勝つための技を、あなたに授けたのではありません。しるしを受け取る資格を、あなたに与えただけです。その資格を自ら捨てたのは、他ならぬあなた自身の決断です」


「ふざけてんじゃねぇぞ」


 弟子がコートの下から右腕を突き出し、勢いよく天井に向けた。


 瞬間、耳をつんざく轟音。閃光が散り、鉄の灼けたような匂いが鼻先を掠める。


 自動拳銃だ。しかも本物。


 前の仕事で目にしたことはあるが、実弾が発射されるところを目撃するのは、これが初めてのことだった。


「謝罪じゃたりねぇ。俺に金を寄こすか連帯保証人にでもなってくれなきゃ、割に合わねぇだろうが」


「や、やめましょうよ」


 場を諫めるように、もう一人の別の弟子が、声に怯えを滲ませながらも仲介に入った。この中で一番身長の高い弟子だった。


「なんだ、邪魔するのか」


「とんでもない。僕も、この男には死んでほしいと思ってますよ」


 場の緊張が更に高まった。


「だけど、この男はそんな、あなたのようなくだらない理由の下で死んで良い人じゃない」


「くだらねぇだと?」


 怒気を膨らませる弟子にはまったく気付かない様子で、仲介に入った長身の弟子は男に向き直った。


「あなたが【神の声】を引き出したせいで、僕の、僕の家族は消えてしまったんだ。反戦運動に燃えていた妻はみんなの記憶から消されて、こ、この前なんて、人気映画を口汚く罵っていた祖父も、消えてしまって、近所の人たちにも忘れられて……こ、こんな世界の、どこが良いっていうんだ!」


 剣呑とした雰囲気に圧されながらも、ぼくはちらりと、糾弾されている男の顔を見ようとした。服のカラーのおかげだろうか。白く神々しい雰囲気さえ纏っているが、なぜかその顔だけは陰に閉ざされていた。


「みんながみんな、あんたみたいな、自分の正しさに酔っている人間ばかりじゃないんだ!」


 弟子の声が、次第に震えていく。文脈はもつれて怪しさを増していく。それでも叫びは止まらなかった。


「悪人がいたっていいじゃないか! みんなどこかで人知れず恥ずかしい行為をしているんだ! 価値観がバラバラで当たり前じゃないか! なんでそれを正す!? 自己満足だろ! あんたの! その自己満足に、どれだけの人が犠牲になっていると思ってるんだ! あんたがやっているのは独裁者と同じだ! こんな世の――」


 続く言葉は、突然の銃声に掻き消された。仲介に入った長身の弟子は倒れて、その場にうずくまった。


 それが全てのきっかけだった。


 拳銃を持った弟子が、今度こそ本命を仕留めてやろうと白服の男へ照準を定めたところに、他の弟子たちが覆いかぶさった。ある者は力づくで銃に立ち向かい、ある者は工具箱から取り出したレンチで応戦した。そのたびに怒声と銃声がホールの海に響き渡り、小さな悲鳴と呻き声が散乱した。


 黒々とした騒乱から抜け出そうと、ぼくは白服の男の手を取って逃げ出そうとした。そのタイミングを狙い済ましたかのように、誰かが投げたレンチが、ぼくの側頭部に鋭く命中した。意識を失くすのに、そう時間はかからなかった。
















 頬に伝わる冷たさが、ぼくの意識を再び呼び覚ます。どうやらうつ伏せのまま、長いこと気を失っていたらしい。


 クリーンルームのように清潔なホールに、血が散乱している。ぼくの周りにも。誰の血だろう。浅く呼吸をしながら上体を起こし、ふと、右こめかみのあたりに手をやる。反射的に顔をしかめる。嫌な湿潤音が鼓膜を揺らし、鈍痛がはしる。


 朦朧とする意識が、次第に輪郭を象っていく。手足に感覚が戻ってくる。正面玄関から吹き込む風は冷たく、宙を覆う闇の彩度は薄まり、入れ替わるようにして濃い青色が支配的になっている。ブルーアワー。夜明けが近い。


 弟子たちの姿は拳銃ごと消えている。


 白服の男は、あの遊技台の近くで仰向けに倒れている。いや、もう白服の男とは呼べないだろう。


 よろける体を引きずるようにして立ち上がり、息があるかどうか確認しようと彼の下へ近づく。


「しようとしていることを、今すぐ、しなさい」


 男は掠れる声で、ぼくにそう囁く。その囁きは、あの時はじめて男と会話した夜のように、滑らかにぼくの心を貫いてくる。


 ぼくはしゃがみこんで、遊技台を包んでいた布を恐る恐る剝いでいく。


 その拍子に、銀色の玉が零れ落ちる。


 抜き出しが不十分だったのだろうか。おそらく三十個はあるだろう、その銀の玉の群れに、ぼくの意識は向かない。視線は、複雑に入り組んだ基板と配線が剥き出しになった、神の姿へと釘付けになる。


 神の声を聴こう。いや、ぼくにとっては機械の声だ。かつて、この地上に存在していた物言わぬ無人兵器たちの声。人間の手足になって、人間の欲望を叶え、人間を破滅に追いやる業を背負わされた彼らにこそ、《救い》を与えるべきだ。


 地の底に封じられた彼らの声を聴く責任が誰かにあるのだとしたら、それは、きっとぼくにしかない。ぼくがカップラーメンを啜っているあいだも、機械たちは戦っている。きっといまも、どこかの画面の向こう側で。


――ごめんよ。ごめんね。


 ぼくは震える手で、機械の体に触れる。


 瞬間、猛烈な眠気が襲い掛かってきて、機械の上に体を預ける格好になる。久方ぶりに全身を包み込む眠気に、ぼくは幸福の実体を掴んだような気がしたけど、それもすぐに意識の彼方へと消えていく。


 眩しい朝焼けが、ぼくたちを包み込む。


 どこからか、爆撃機の音が聴こえてくる。


 すぐ近く、もう、この空の上を飛んでいる。

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ミナシの神、《確変》を予告す 浦切三語 @UragiliNovel

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