第5話 ぼくは現実を編集する

 男はそれからも《ぱちんこ 武教伝説-夜明けのゴルゴダ-》を遊技し続けた。創世記FEVERへの昇格演出が出現して、男がレバーを引く。その度に台は不気味な沈黙を続け、少し目を離した隙に通常状態へ移行している。まるで、観測者の態度如何で粒子-波の挙動を自在に変えてしまう素粒子そのものだった。


 男がレバーを引いて【神の声】とやらを聴くたびに、内戦で揺れる国が、まるごと地上から消失していった。軍人も、民間人も、家畜も、そして殺人兵器たちも丸ごと全部。そこに国が存在していたかどうかも疑わしいくらいに、跡形もなく。


 にわかには信じられない話だった。奇妙なのは、国家がまるごと消滅したというのに、その異常事態を目撃しても、不気味なほどに静まり返っているぼくらの日常そのものにあった。国がまるごと消滅したんだ。普通に考えれば、大々的に報道されて然るべきだ。でも、テレビや新聞を始めとした各種メディアは、まるで三流芸能人の不倫報道なみの薄さで、さらりと触れるぐらいで済ましてしまう。


 おかしなことは他にもある。これは昨日のことだ。スーパーへ買い物に行ったとき、バナナを一房買おうと手に取った。原産国を確認して驚いた。そこには、一か月前まで南半球に存在していた国名が記載されていた。


 どう考えても異常だ。国が消滅したのに、なんであのバナナは平然と陳列されているんだろう。どこからやってきたバナナなんだ? というか、輸出入に全く影響が出てないようだし、どこからどう考えても不自然だ。そうじゃないか?


 ホールに併設されているフードコートの一席で、ぼくと真理愛は顔を突き合わせて夕食を摂っていた。従業員が客と同じテーブルで飯を食べるなんて良いのか? と尋ねたところ、真理愛の答えはシンプルだった。自分は、誰にも文句を言わせないだけの立場を自分の力だけで確立させたのだと、彼女は言った。


「誰にだって、弱みのひとつやふたつ、あるもんだよ。それを握りさえすれば、問題は解決するの。平和的じゃないけどね。でも、そうするしかないっていうかさ」


 それにしてもだ。ここのところ、男は毎日、創世記FEVERへの昇格演出を引き出している。体感だと一週間に二つか三つの国が消滅しているペースだ。真理愛も、この事実に驚きを隠せないでいる様子だった。だがぼくと違って、この状況を前に使える答えを持ち合わせているようでもあった。


「本当は、消滅なんかしていないんじゃない?」


 レンゲにすくった天津丼を口に運ぼうとして、動きを止めた。真理愛が、あまりにも想像の斜め上を行く発言を眉根ひとつ動かさず平然と口にしたからだ。


「そんな馬鹿な話、あってたまるものか。じゃあ、メディアが嘘をついているっていうのか?」


「うそつきの権化でしょ、メディアなんて」


「どこかの大企業の社長や大物アイドルがやらかしたのとはスケールが違うんだよ? きっとあの台に秘密があるんだ。非現実的な話だけど……でも、あの台で彼が昇格演出を引いてから、ぜんぶおかしくなったのは事実だ」


「そんなにおかしいかな」


「どこからどうみても異常事態じゃないか。それなのに、なんでみんな騒がないのか、不思議でしょうがないよ」


「うーん……そもそもさ」


「なに?」


「どこかの国が突然、この地上から消滅したとして、それがどう私たちに影響するんだろうね」


「は?」


「自分の生活に直接関係してこない存在は、その人にとっては、存在してないのも同じなんじゃない?」


「どういう意味?」


「みんな、自分の世界だけを信じているじゃない。自分の見たいものや、自分の信じたいことしか信じないでしょ。それって、自分の世界だけは正しくて、それ以外の世界のことになんて、本当は興味がないってことだよ。私、わかる気がするの。自分の知らない世界を、どう信用すればいいって言うのよ。遠い国のどこかで、飢えや戦争に苦しんでいる人たちの見ている世界を、どうやって信用すればいいっていうの。私の好きな映画を言葉汚く罵る人の存在を、どう認めればいいっていうの? 価値観の違う人たちと手を取り合って暮らしましょうだなんて、しょせんはきれいごとを並べているだけなんだよ」


「……どうも詭弁に聞こえるよ、君の主張は」


 不躾に言い放ちながら、安い油の香り漂う手元の中華丼へ視線を下ろした。丼の脇に控えめに添えられた、金にならない緑色の玉が視界に入る。それを掬って、別皿へ避けた。グリーンピースは苦手だ。どうも好きになれない。好きな人は勝手に食べれば良いのだろうが、そこにぼくのような「グリーンピースが苦手な客」を巻き込まないでくれと思う。


「詭弁なんかじゃない。お互いの価値観や世界の成り立ちを認め合う余裕がなかったから、いままでずーっと戦争が終わらなかったんじゃない。私は人間の限界点について話しているの」


 真理愛の意志は固かった。彼女の薄茶色の大きな瞳の奥に、静かな熱狂の渦を見た。


「この世界に《ただひとつの現実》なるものが存在するのだとしたら、みんな、そのただひとつの現実から、自分の人生や生活に必要なパーツだけを拾って、組み合わせて、自己満足に編集しているに過ぎない。わたしも、あなたも、他の人たちも、自分の頭の中で編集した現実を“たったひとつの現実”として生きているの。ゴミ箱に捨てられた《その他の現実》には、誰も目を向けようとしないし、徹底的に排除しようと動き出す。それが悪いとかそういう意味じゃない。人間って、きっとそういう生き物なんだよ。他人を本当の意味で理解できる人間なんて、この世にはいない。他人の見ている世界を本当の意味で理解できる人間もね」


「君の考えが……納得はいかないけど、その通りだと仮定しよう。するとあの台は、ぼくらがぼくらにとって都合よく頭の中で編集した現実を生きるための、理由付けをしてくれているということか?」


「というよりも、私たちに安心感を与えてくれているのかもしれない。自分の信じている価値観・文化・生き方……つまり自分の信じている世界のカタチだけを信じて生きることに対する、ある種のうしろめたさのようなものを、脱臭してくれているのかもしれない……ねぇ、あなたって、今年でいくつ?」


「なんだよ、藪から棒に」


「わたし、今年で二十六歳なんだ」


「だから、なに?」


「私より下の世代って、たぶん多くの人たちが漠然と意識していると思うんだけど、自分が知っている世界の外に出たり、自分の知らない誰かに出会うことを過剰に警戒しているんだよ。それだけ、自分の世界を強固にするだけの材料が、いまの時代は多く揃っている。自分の好きな世界、自分が馴染んでいる世界に、いつまでも浸っていられるって、それってとても幸せなことだけど、でも、いつかそこから外に出なきゃいけないときがくる。自分の価値観と全く合わない価値観の人たちと、必然的に出会うことになる。社会ってそういうものじゃない。そんなの、私にだってわかる。でも、そうした世界が、どうしても苦しくて辛くて生きていけない人もいるんだよ」


「そういう人たちに対する《救い》を、あの台が与えてくれていると?」


「そうとも言えるね」


「価値観の合わない世界を人間ごと消滅させることが、救いだって言うのか?」


 それを救いというのなら、まず真っ先にぼくの不眠症を完治してほしいものだ。それがぼくにとっての《救い》なのだから。そう、見えざる神に言ってやりたい気持ちになった。


「多くの人たちにとっては、救いでもあるし《奇跡)に映ると思う。あの台が彼の言う通り【神の声】を宿しているのだとしたら、まさにいま起こっているのは《奇跡》そのものだと思わない? 国が消滅していっているのに、人が消えていっているのに、世界経済にはなにひとつ影響が出ていない。私たちの生活レベルはなにも変わらない。違うのは、テレビの向こう側から戦争の風景が消えたってだけ」


 たしかにそうかもしれない。あの南洋諸島国家の消滅を皮切りに、最優先で消滅していったのは、内戦や他国との戦争において泥沼のような狂気を繰り広げる国家たちだった。


 いま、テレビでもネットでも、戦争や平和について語る論客やインフルエンサーは皆無に等しい。もしかすると【神の声】とやらは、戦争や平和について考える機会を、ぼくたちの世界から永遠に消し去ってしまったのかもしれない。


「自分の知らない世界や嫌いな世界に対しては消えて欲しいと願っていながら、そうした世界抜きでは《この安穏とした日常》は成立しえない。そのことに誰も気づかないまま、いつまでも日常が続いてほしいって平気でうそぶく。矛盾した願いなのにね。もしそんな願いが叶えられたら、ご都合主義の極みだよ。でも、神様だったら、そんなご都合主義の世界を実現するのなんて、きっと簡単なことなんじゃないかな」


「だとしたら、放っておいていい訳があるか」


 ぼくの脳裏に浮かんだのは、その時もやっぱり、ぼくが検証して送り出した無人兵器たちのことだった。彼らのまき散らした暴力の惨禍、その夥しい殺戮の痕跡が、この地上から消滅していっている。誰も、戦争があったことなんて忘れている。誰も、人が殺されている事実を頭の中から消し去っている。この社会は、戦争とは無縁の社会になった。だけれども、それでぼくのやったことが全てチャラになるわけじゃない。犠牲者の存在を、はじめから無かったかのようにして、それを当たり前のように受け入れている世界。


 なんて、心地よい世界なんだ。


 そうだ。正直に言おう。ぼくは助かっている。真理愛にも男にも話していないが、本心ではこの世界で生きているという事実に、うしろめたさよりも安心感の方が勝っている。内に秘めている罪の意識を誰かに暴かれて責め立てられ、社会に共有されてしまうことのほうが、よっぽど堪えるに決まっている。ぼくのやったことはぼくだけのものだ。この罪の意識は誰にも共有させない。ぼくだけの秘密として心の奥底に隠して生きる……そういう生き方ができるこの世界から、ぼくはもう離れられなくなっている。それを認めざるを得なかった。だが、どこかで反発したい気持ちもあるのだ。


「きっと、もっと凄いことが起こるよ」


 ぼくの葛藤など他所に、真理愛はポークカレーライスを半分ほど食べ終えたところで、預言めいたことを口にした。


「いまは国家消滅というマクロなスケールで、多くの人々にとっての不都合な世界が都合の良い世界へ作り変えられているけれど、これがもっとミクロなスケールに向かったら? たとえば、巨大国家に迫害されている少数民族や、性的マイノリティ、ごく少数の先進的な思想や運動を広めようと躍起になっている人たち。そういう人たちを疎ましく思う集団の側に【神の声】が味方したとしたら……」


「怖いこと言うなよ」


「可能性としては普通にあり得る話だよ。もっと俗物的なレベルでご都合の良い世界を創造するかもね。そうだなぁ。例えば、世間で人気の作品を批判したら、その人は作品のファンにしてみれば不都合な価値観を持っている存在になるから、いつの間にか存在を抹消されてしまうかも、とかね」


「ここは民主主義の国なのに、そんな独裁的なやり方……神様が選ぶかな」


「専制政治と民主主義なんて表裏一体じゃない。それに民主主義それ自体が、神様みたいなものだよ。姿かたちは決して見えず、でも私たちの頭の中には刷り込まれている主義。立派な神様だ、こいつは」


「……本当に、怖いこと言うなよな」


 半分は本心だった。神が生み出すご都合主義の世界にとって不都合な存在の枠内に、自分が含まれていないとは限らないのだから。


 けれど、真理愛の発言にあったミクロスケールでの《世界消失現象》が、本当に起こっているのかどうかを確認することはできなかった。そんな時間も余裕も失われた。パチンコ業界が急展開を迎えたせいだ。パチンコ・パスチロの規制が、国家公安委員会と警察庁主導の下で大幅に改訂された件が関係している。


 新たな規制の下で標的にされたのは、みなし機だった。


 全国のパチンコ・パチスロホールに設置されているみなし機の年内一斉撤去の告示。法的な強制力が備わっていて、これに従わないホールは営業停止命令が出るとの噂が業界でまことしやかに囁かれていると、後日、真理愛から耳にした。それは、当然のことながら【神の声】を引き出すのに熱中している男の耳にも入った。


「みなし機を、我々の手で保護しましょう。しるしを理解できない人たちの手に【神の声】を渡してはならない。それは私たちの下から、永遠に神の声を遠ざけることになる」


 男の行動は、とても素早かった。


「強盗をするのです」


 さんざんに悩んだ挙句、ぼくは参加することを決意した。

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