第39話 シロの決断
いつもの洞窟。
いつものねぐら。
封印指定されたその区画で、ラウラは自分の布団の上であぐらをかいて座っていた。
「…………」
いつもならカエデの過去配信動画や切り抜き動画を見て時間を潰しているところだが、今は違った。
ただ漠然と洞窟の天井に広がる暗闇を眺めながら時間を過ごしていた。
「……いや、でも、今からでも止めにいくべきであろうか」
ラウラは呟くと、無意識に立ち上がる。
そしてそのままうろうろと私物で散らかった洞窟の中を歩き回った。
「しかし、我が行ったところで邪魔になることは明白であるし……ああっ、我は一体どうすれば」
その時だった。
洞窟の入り口を固く閉ざしていた封印用の大扉がギイィと開く音が響いてきたのは。
すぐに扉が締まる音がして、それからこつこつと軍靴が地面を蹴る音が続く。
果たして狭い通路から現れたのは、ラウラの専属秘書のシロだった。
「シ、シロ……!」
ラウラは早足でシロのもとへと歩み寄る。
シロはそんな慌てふためくラウラの姿に驚きの表情を見せた。
「ど、どうされたのですかラウラ様? いつもならそこのお布団で泥かスライムかのように伸びて休んでらっしゃるところじゃないですか」
「これが落ち着いてなどいられるものか!」
ぱちくり、と目をしばたたかせるシロ。
それから、にまぁ、と笑みを覗かせる。
「もしかしてラウラ様、シロのこと心配してくださったのですか?」
「あ、当たり前であろう! なにせ──」
なにせ、シロは……。
ラウラは首を横に振って本題に入った。
「……それで、シロよ。結局どうだったのだ」
「どうしたもこうしたも、ちゃんと提出してきましたよ」
そう言ってシロは背筋を伸ばすと、ラウラを真っすぐに見た。
気圧されてラウラも無意識に佇まいを直る。
そして、シロは言う。
「──私、シロ・エンバークは本日付けで魔王軍を退役。そして、魔王ラウラ様の専属秘書としての役目に専念することといたしました」
ラウラは大きく息を吐いた。
そう──何を隠そう、シロは今日、魔王軍に辞表を叩きつけた来たのだ。
きっかけは数日前。
エリアーナを含めた三人でのデートの後のことだった。
──相談があります。
帰路につく手前。
シロに呼び止められたラウラは、彼女の──否、彼女らの真意を聞くこととなったのだ。
★ ★ ★
遡ること三日前。
場所は、夜の帳が降りた池袋。
ルミネの上のスタバにやってきていたラウラとシロは、フラペチーノを片手に横並びの席に座った。
「──魔王軍を、辞めるだと?」
「はい」
開口一番、シロが切り出した言葉はそんな耳を疑うものだった。
「エリアーナとも話をしました。そしてよく分かったのです。今の私では──いえ、私たちでは、ラウラ様のことをお守りしきれないということを」
ラウラはその刹那の間に思考の海で解を手繰り寄せる。
何を答えるべきか。
何を報せぬべきか。
シロにとって、何が最善手か。
結果、ラウラはシロに魔王軍を辞めるというリスクを取らせるより、どんな結果になっても食い扶持が利くであろう現状維持の選択こそが彼女のためになると判断した。
「我を甘く見るではないぞ、シロ。二人の手がなくとも我は何者にも屈する我ではない」
「嘘です」
しかし、そんな意図は賢いシロには簡単に見透かされてしまう。
「私、知っているんですよ。ラウラ様が今でも毎日、毎時間、毎秒、例の地球人の配信を見ている時でさえ、あの洞窟の最深部に施された千年封印の術式を破るためにあの手この手を試されていることを」
「…………っ」
「ラウラ様こそ私を甘く見ないでください。私はラウラ様の専属秘書なんですよ?」
そう言って、シロは胸を少しだけ張った。
ラウラは苦く笑うしかない。
「……まさか、そんなところまでお見通しだったとはな」
「だからこそ──だからこそなのです。封印を解けていない今、ラウラ様を万全の体制でお守りしなければならないのです」
ラウラはークモカチップフラペチーノをストローで吸い上げて、あるかないのか分からない背の低い背もたれに体重を預ける。
そして溜息交じりに言った。
「…………ウィンストンの、復活であるか」
シロはラウラに説いた。
当代魔王の復活が近いことをエリアーナから聞いたと。だからこそ、シロとエリアーナの二人体制で有事に備える必要があるのだと。
「仮にウィンストンと相対したとして、確かに今の我では間違いなく殺されるであろう」
「……私は、私たちは怖いのです。ラウラ様を喪ってしまうことが」
「…………」
隣に視線を向ける。
シロは両手でバニラクリームフラペチーノのカップを包むように持ちながら、虚空を真っすぐに見つめていた。
「シロは、それでよいのか。我の秘書をこなす上での隠れ蓑だったとはいえ、本部にも古くから知る仲間がいるではないか」
「……仲間はたしかに本部にもいます。しかし、それとこれとは別の話です。それこそ、ラウラ様とエリアーナの複雑な関係のように」
「……それを言われてしまっては、何も返せなくなってしまうな」
「それら全てひっくくるめて、私は決めたのです」
そして、シロはラウラを振り返った。
「──ラウラ様を、何があってもお守りしたい、と」
★ ★ ★
「……あの時は、シロの意志を尊重して首を縦に振ったものではあるが」
腕を組んで唸るラウラに、シロは悪戯っぽく言う。
「魔王に二言はありませんよね?」
「それはまあ……そうである、な」
「なら、何も問題はないじゃないですか」
シロは洞窟を進み、最近彼女が洞窟に持ち込んだブランドもののソファーに腰掛けた。
「……矢面に立たされるのはシロなのであるぞ」
「覚悟の上です」
「……というより、ちゃんと辞めてこられたのであるか? 辞表をすんなり受け入れられるとは思わないのだが」
「ああ──それは、まあ、大丈夫です」
そう言うと、シロは空中にモニターを投影した。
それは彼女が世界中に放つ式神のうちの一つの視覚情報。
移されたのは魔王軍本部の様子だった。
そして画面の中では大勢の魔族たちが右往左往しており──
「シ、シロ様、どこですか!?!」
「血眼になって探せぇ!」
「あの女神以外に我ら第七師団を率いる団長は他にいらっしゃらない!! 命を賭して連れ戻すのだ!!」
「「「「──はっ!!!」」」」
ラウラは言葉を失った。
「……え? シロよ、これを見て大丈夫と言ったであるか?」
「大丈夫です。あの子たちはちゃんと私が育てましたから。──それに、どちらにせよそろそろ団長離れをさせてあげなけないとならなかったのです」
「団長離れというより──なにか新手の宗教が生まれていないだろうか……?」
「問題ありません。新興宗教も生まれていません」
クールにそう言い放つシロを見て、彼女を信奉していた部下たちのことを多少なりとも不憫に思うラウラであった。
ラウラは気を取り直して息を吐くと、シロに向き直る。
「──本当に、いいのであるな」
「何度もそう申し上げています。私は最初からラウラ様の専属秘書で、一番の懐刀で、未来のお嫁さんなのですから」
固い決意を見せるシロ。
ラウラはついに折れて、言った。
「──では、一層の励みを期待するであるぞ。我の専属秘書・シロよ」
「はいっ!!」
花が咲くようにはにかむシロ。
──その時だった。
『ここで緊急速報です。たった今、アメリカ東部沿岸地域が特別異形指定生物群・通称『魔王軍』によって制圧されたとの情報が入りました』
投影魔術によって部屋に灯っていたTVからそんなレポートが読まれたのは。
先代魔王だけど推しのためにちょっと裏切ってくる 亜塔ゆい @atoyui
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