第38話 復活の魔帝



 当代魔王軍本部の地下深くにある、とある深部。

 そこに、ひとつの広大な空間があった。

 形状は寸分の狂いもない一辺が三百メートルの立法体。

 薄暗く、深い闇に満たされているが、唯一光があった。


 光の色は赤。

 赤の由来は空間六面に刻まれたナニカと、宙に複雑に浮くナニカ。


 ──その空間には、巨大な魔術が蠢いていた。


 円に線。弧に螺旋。

 ふるい文字で描かれた祝詞が躍り、数字が刻まれ、紋章が広がる。

 幾重にも幾重にも。

 重なって、離れて、近づいて。

 そうして形作られた無数の幾何学模様。

 全てに意味があり、全てに目的があった。

 ソレを、術式とう。


 術式はまるでそれ自体が生き物であるかのように、広がり、縮み、また広がるを繰り返していた。

 胎動。または脈動。


 しかし、そんな数多ある術式も、ひとえに一つの大いなる目的に集約されていた。


 それすなわち──魔王の復活。


 不意に、術式の胎動が止まる。

 瞬間、音が生まれた。


「ぁぁぁああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ────────────────────────ッ!!!」


 悲鳴。

 絶叫。

 あるいは──産声。


 若い若い男の声が、その立体的に蠢く術式の中心で鳴った。

 男の身体はこの空間の中心に横たわっていた。


 壁の、天井の、床の、宙の術式から急速に血の色の光が消えていく。

 その光は男に向かって急速に集まっていた。


 すると、固く閉ざされていたこの空間の大扉が大きな音を立てて外側から開け放たれる。

 そこから大勢の人影が慌てて駆け込んでくる。


 その先頭に立つ白髪の男は、片眼鏡モノクルの奥で目を焦燥に血走らせながら喉を張った。


「覚醒されるぞ!! 本部にあるありったけの魔力を掻き集めろ!! !!!!」


 部屋に入ってきたのは、四天王ジェスターとその騎士団だった。

 片眼鏡モノクルの男──ジェスターが指示を飛ばすなり、後ろから続けて入室した数十名の魔術師たちが両手をかざして新たな術式を組み上げる。

 空間の中央に浮く、色を喪いつつある球状の術式塊。

 それを外側から包み込むように、相反する色となる空色の術式がゆっくりと広がっていく。


 しかし、


「───────────────────────は」


 横たわる男が瞼を持ち上げて、瞳を露にした。

 目を覚ました。

 覚醒した。


 中央の術式塊にドス黒い赤の色が灯る。

 同時。

 深紅の術式が内側から一瞬で膨張し、外周の青色の防護術式を一瞬で食い破った。


 刹那の合間に迫りくる衝撃波。

 それを、自前の自動防護術式を立ち上げてジェスターたちは防御に入った。


「────ぐっ、ぅうううううううッ!!」

「ジェスター、様ッ! 後ろへ!」

「いいっ! そんなことより耐えろ、耐えるんだ……っ!!」


 長い長い、永遠にも長い時の果て。

 荒れ狂う魔力の衝撃波は消え去り、無音だけが辺りを支配した。


「──、ぁ──、は──」


 ジェスターはゆっくりと目を開けた。

 視界が歪んでいる。片眼鏡モノクルのレンズが粉々に割れていた。

 足元に血痕が、一滴、また一滴と落ちていく。

 口の中で血と砂の味が混じる。

 見れば、それはジェスター自身の腹からしたたり落ちているものだった。

 見下ろす。

 腹には真一文字の大傷が出来ており、ぱっくりと開いていた。傷が鋭利すぎて血管すらも魔力によるかまいたちに切られたことを忘れているようだった。


「ジェスター、さ、ま……」


 どさり、と肉が崩れる音が隣で鳴る。

 それも一つや二つではない。

 十、二十と音が続く。

 それらはジェスターの精鋭部隊の面々だった。

 彼らはボロ雑巾のように傷ついた身体で倒れ込む。そこからジワリと血だまりがひろがっていき、あっという間に血だまり同士が手をつないで大きな海を形づくっていく。

 こんな海は、見たくなかった。


 その空間は惨状を極めていた。

 上下左右の六面を囲う漆黒の壁。

 それらは全て粉々にひび割れ、吹き飛び、その向こう側に広がっていた地下の地層部分を更に球状に抉り取っていた。


「く……っ、待っていろ。今、回復の術式をかけてやるか、ら──」


 そう言って地面に着いた膝で立ち上がろうとした──その時だった。


 むくり、と中央の人影が起き上がったのは。


「あ……、ああ……」


 声が出ない。

 言葉を失う、とはまさにこのことか。

 ジェスターの喉は小刻みに震えて言葉を成さなかった。


 起き上がったのは一糸纏わぬ姿の青年だった。

 髪の色は燃えるような赤。

 その髪は青年の足元まで伸びており、毛先に至っては引き摺るほどだった。


 青年が一歩、また一歩と歩く。


 ジェスターはその場に跪いた。


「──魔王・ウィンストン様。覚醒、お待ち申し上げておりました」


 ぺたり、と。

 青年の裸足がジェスターの眼前で止まる。

 何も言わない。

 何も起こらない。

 そう──不審に思ったその時だった。


 ジェスターの身体が持ち上がったのは。


「え……、え……っ!」


 異変はそれだけにとどまらなかった。

 ジェスターの首が、不可視の万力によって締め上げられていくのだ。

 足が宙に浮き、ばたつかせる。


「ぁ──、は──っ!!!」


 青年がゆったりとした動きで視線を上げる。

 猫を思わせる黄色の瞳がジェスターを冷たく捉えた。


「ウィンストン。魔王ではない。オレは〝魔帝〟だ。──あの腐れラウラと同列に扱う奴は万死に値する」

「おっ、おゆっ、おゆるし──をっ!」


 嘆くジェスターの声が無機質な空間に響き渡る。

 しかし、その首を絞める力が弱まることはない。


 そうしてジェスターが目をぐるりとひっくり返し、口から泡を吹き始めたところで、


「……ふん」


 ようやくジェスターの身が開放された。

 ぐしゃり、とジェスターの身体が床に崩れ落ちる。


「──かッ、は……! ぁへっ、はっ、はっ、は……っ!」

「まあいい。我の身体を修復し、復活させたのはお前なんだろう、ジェスター。今の非礼は見逃してやる」

「あっ、ありがとうございます!!」


 慌てて身体を起こしたジェスターは、片膝をついてこうべを垂れた。


「……なんだ、これは。なぜこの部屋はこんなにも血で汚れている」

「も、申し訳ございません。ウィンストン様の復活の際、術式球の反動を抑えきれず、負傷した次第です」

「まったく、見苦しい」


 その男──魔帝ウィンストンは言うと、手の平を掲げて短く呪文を唱えた。

 それだけで倒れたジェスターの部下たちの身体を光が包み込むと、見る見るうちに数ある生々しい傷跡が直っていった。


「こ……これはっ!」

「生きている……そればかりか──」

「全身から力がみなぎるようだ……っ」


 起き上がった部下たちが次々に驚きの声を口にする。

 そんな様子にウィンストンは目もくれず、出口の大扉を目指して歩き始めた。

 一歩、また一歩進むたび、その身体を魔術で編まれたローブが虚空から現れ、巻き付いていく。


「ウィ、ウィンストン様⋯⋯!まだ動かれては! 復活されたばかりなのです、もう少しお休みになられた方が!」

「黙ってついてこい、ジェスター」

「はっ。し、しかし一体、どこへ……!」

「決まっているだろう」


 立ち止まると、ウィンストンは振り返って言った。

 

「人間どもを、根絶やしにするのだ」



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