4-4

 毒を盛られた日、瑞花はいつもよりも過敏になっていた。


 だって久方ぶりに、命が脅かされる事態に陥ったのだ。

 今まで毒を盛られたことも、食事を与えられず餓死しかけたこともある。


 そしてそういった際に大切なのは、もう二度とそのようなことを考えられないほど徹底的に、犯人を見せしめにすることだった。


 だってそうじゃないと、生きられない。

 本来守ってくれるはずの母親は、九番目の子どもを産んだ罪で殺されてしまった。

 父帝に至っては、そんなことを考えるだけの良心を持ち合わせてはいないだろう。


 母方の実家も、九番目の子どものせいで自身の娘が死んだことを恨み、それを瑞花に向けた。

 他の貴族たちも、呪われた姫を助けようとはしてくれなかった。それくらい、四と九は祖国で疎まれていたのだ。


 つまり、独り。

 独りでそれでも生き抜かなければいけないなら、多少の危険は受け入れなければならない。

 そして知識以外何も持たない非力な姫が生き抜くなら、賭けるものは命以外なかった。


 生きている理由もないのに生にしがみついてしまうのは、瑞花が人間だからだろうか。

 生きたいのに命を賭けないといけない矛盾をそれでも押し通しているのも、瑞花が人間だからだろうか。


 どちらにせよ後宮ここでも、瑞花は独りだ。

 だから身を守るために、そして周囲に知らしめるために、下級妃たちを集めて茶会を開くことにした。なぜ下級妃なのかというと、もし上位の妃嬪が首謀者だとしても、実行者は下の可能性が高いからだ。


 それに瑞花は未だ下級妃だ。それなのに公主のお気に入りとして後宮内でいい思いをしているのであれば、気に食わない妃嬪も出てくるだろう。そう思ってのことだった。


(もし違ったとしても、牽制には十二分になるもの)


 そう思い、瑞花は九垓に頼んで茶会を開いたのだが。

 下級妃のほぼ全員が招待に応じてくれたようで、ほっとしていた。

 だってでないと、牽制にも脅しにもならないからだ。


(私の作戦は、こう)


 まず、茶菓子を用意する。それも一口大のものだ。

 そこに毒を仕込む――正しくは、仕込んだふりをする。

 そして、それらしきことを言って自分も菓子を口にするのだ。


(直接的なことを言わなければ、後で問題になったとしてもどうにでもできる)


 それに、今回の菓子を証拠として押さえられたとしても実際何も入っていないのだから、誰も瑞花を罪には問えない。

 直接的に毒だと言わないで相手にそうだと思わせる言葉遣いは、祖国で学んでいる。そのため下級妃を嵌めるのなど簡単だった。


(別に、本当に毒を仕込んでもよかったのだけれど)


 それくらいの覚悟はもちろん持ち合わせていたが、しかし今回そこまでするのは分が悪いため、この方法を選んだのだった。


 あとは、震える妃嬪たちと共に適当にこの遊戯を続けてから茶会を適度なところで切り上げるつもり――だったのだが。


「このような場所で茶会とは、よいな。わたしも混ぜてくれ」


 予想外の人物の登場に、瑞花だけでなくその場にいた全員が目を見開いていた。


 誰よりも早く正気に戻った瑞花は、すぐさま跪くと拱手の姿勢を取る。


「皇帝陛下にご挨拶いたします」


 そんな瑞花の声にハッとした周囲は、釣られて同じように跪き、挨拶をした。庭園内に女性たちの声が響き渡る。


「顔を上げよ、何、ただ麗しい声に誘われてやってきてしまっただけだ。楽にせよ」


 そう言うが、雲奎がこんな昼間に妃嬪たちの前に姿を現したことは、ただの一度もない。高位の妃嬪たちですらないのだから、誰も拱手の姿勢を崩せないのは当然だった。

 かくいう瑞花も、なぜ雲奎がこんなところにいるのか分からない。というより、霊体ではないか最初に確認してしまった。


(何か意図があってここに来たのかしら……)


 そう思いつつ、思考を回転させていると、雲奎が茶菓子に目を向ける。


「なんだ、美味しそうな菓子だな。誰が用意したのだ?」

「……私にございます、陛下」

「ほう、瑞花。君か」


 ここでまさか親しげに名前を呼ばれるとは思っておらず、瑞花は面食らってしまった。

 しかし答えないわけにはいかず、慌てて頭を下げる。


「名前を覚えていただき、大変光栄に存じます」


 そう言いつつも、思考はぐるぐると回転中だ。


(どうして? 直に顔を合わせるときも牡丹宮のみで、それ以外だと霊体か、宦官に扮しているときだけだったのに)


 それはつまり、瑞花との関係を周囲に知られたくない、ということだ。そして瑞花も、それを理由に目立つのは嫌だと思い、受け入れた。


 なのに。

 まさか皇帝自らがそれを崩そうとしているなんて。


 まったく理解できない展開に、戸惑うばかりだ。

 しかしそれを表情に出さないように気をつけていると。


 ひょい、と。

 雲奎が茶菓子を一つ、口に放り込んだのだ。


 まさかの行動に呆気に取られたが、別に何かまずいものが入っているわけではない。なので何も言わなかったのだが、周囲の妃嬪たちが悲鳴を上げた。


「へ、陛下、それは……!」

「なに? この菓子に、何か問題でも?」


 そう言いつつ、雲奎はひょい、ひょいと菓子をつまんでいく。

 顔を青ざめさせていく妃嬪たち。

 困惑しきりの瑞花。


 一方の雲奎は「なかなか美味だな」なんて言っている。その様子を見て瑞花は察した。


(陛下は、これに毒が入っていないことを知っていらっしゃるわ)


 そして、瑞花が菓子に毒が入っていることを装って下級妃たちを脅し、あまつさえ犯人を炙り出そうとしたことも知っている。いったいどこから話を聞いていたのだろうか。


(というより、いつまで食べるつもりなのかしら)


 意図があっての行動だということは分かったが、それがなんなのか分からない。そう思っていると。


「――お、おやめください! 陛下」


 妃嬪の一人が、悲鳴を上げた。

 瑞花の真向かいに座る妃嬪だ。

 雲奎は首を傾げる。


「何をやめろと言うのだ?」

「そ、それ、は……その菓子には、毒が入っているのです……!」


 瞬間。雲奎の口角がかすかだが上がるのが見て取れた。


(今のは……)


 瑞花がその表情の意味を察する前に、雲奎が彼女を見た。


「とのことだが。瑞花、本当なのか?」

「いえ、陛下。私は『昨日私が食べた食事と同じものが入っている』『天に昇ってしまいそうなほど情熱的な味』と言っただけです」

「……あ……」

「ほう。なのにそなたは何故、毒が入っていると思ったのだろうな?」


 そこでわざとらしく、雲奎が瑞花の肩に自身の上着をかけた。


「そうだ、昨夜聞いたぞ。なんと、君の朝食に毒が盛られていたとか」


 何がしたいのか、それを把握した瑞花は、頷いた。


「……はい、陛下。その通りにございます」

「聞いたときは驚いたぞ、君が無事で何よりだ」

「ありがとうございます、陛下」

「――して。他の者たちは知らないことなのに、何故そなたはそのことを知っているのだ?」


 なあ?


 雲奎が問う。ひりつくような、凍えた空気が場を支配していくのが分かった。

 それを見て、瑞花は彼が噂通りの冷酷さを持ち合わせているということに気付く。


(これは……圧倒的だわ)


 父帝など比較にもならない。あんなものはただ欲深いだけの矮小な人間だ。

 本当の君主は、まとう空気だけで他者を圧倒することができる彼のような人のことを指すのだ――


 そのことに気付かされていると、雲奎は犯人の妃嬪を睥睨する。


「答えられないのであれば、代わりにわたしが指示を出そう。――その女を捕らえよ」

『御意!』


 すると、宦官たちが彼女を捕らえる。

 まさかの事態に周囲がざわめく中、雲奎は瑞花を抱き上げた。


「!?」


 瑞花は驚く。妃嬪たちも驚く。悲鳴まで上げる者もいた。

 だがそんな視線など歯牙にもかけず、雲奎は微笑む。


 あまりにも美しい笑みに、その場にいた全員が固まってしまった。

 そんな中、雲奎は瑞花の頬を撫でて言う。


「君に手を出した者がいたと聞いて、つい頭に血がのぼってしまった。君の茶会を台無しにしてしまってすまないな、瑞花」


 まるで愛しているかのような、そんな口ぶり。

 瑞花ですらそう感じたのだから、他の者たちも同じように感じたことだろう。

 それだけでも十分なのに、雲奎は決定的な言葉を告げた。


「だが瑞花。わたしの妃は君だけでいい」


 それは。

 それは、今までまったく妃嬪たちに興味を抱かなかった皇帝が、ただ一人を寵愛するということで。

 しかもそれが公主のお気に入りの下級妃だということに、衝撃が走る。

 その衝撃はこの庭園だけでなく、後宮全体を揺るがすほどのものだった――






 ――その一方で瑞花は。


(……え、これ、どうすればいいの……?)


 色々な意味で不本意な寵妃の称号を得てしまうというまさかの展開に、ただただ戸惑うばかりであった。

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皇帝陛下はお亡くなりになりました しきみ彰 @sikimi12

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