4-3

「陛下……ご報告がございます」


 深夜、雲奎の前に現れた九垓は、とても困惑した顔をしていた。

 珍しい自身の忠臣の様子に、雲奎は首を傾げる。


 九垓は、雲奎の秘密を知っているうちの一人だ。そのため、目の前で雲奎が殺されても冷静に対処し、体の保全を最優先にするような宦官だった。

 また雲奎の仕事を手伝ってきたこともあり、頭の回転が早く主人が何を望むのかを瞬時に判断できる。それもあり、今回瑞花につけたのだが。

 そんな彼が困惑する事態とは一体。


 そう思いつつ、手元の書類を片付けながら「なんだ」と言うと、彼は言う。


「その。本日、瑞花様の食事に毒が盛られました」

「……なんだと?」

「申し訳ございません、わたしのせいです」


 罰してくれ、と九垓が言うが、銀食器は使っていたようだし、毒見を断ったのは当の瑞花自身だという。なので彼だけを責めることはできない。

 それに今九垓が瑞花のそばを離れれば、そのほうが危険が増すだろう。そのため雲奎は彼を窘めつつ、確認するべきことを問う。


「容体は?」

「ご自分で毒が入った食事を吐き出したためか、ご無事でいらっしゃいます。ですがその……」

「なんだ、歯切れが悪いな」

「……血を吐いて、一度意識を失われてから……ご様子がおかしいのです」

「様子がおかしい、だと?」

「はい。どことなく、普段よりも冷めた雰囲気をまとわれていまして……正直、今までの瑞花様とは別人なのではないかと思ってしまいました」


 瑞花と冷めた雰囲気、というのが合致せず、雲奎は眉をひそめた。

 というのも、瑞花は彼の目から見ても掴みどころのない、ふわふわとした少女だからである。


 後宮に集められた妃嬪らしく、美しい黒髪と黒目をした美少女ではあるが、美人ばかりのここで特別目立つ存在ではない。

 興味があるのは甘味と書物、そして怪異や呪いといった超常現象のみ。それ以外に執着がないためか、後宮の妃嬪たちのように着飾ることもしなかった。


 そんな少女に危なっかしさを覚え、心配し始めていた雲奎としては、九垓の評価に疑いの目を向けてしまう。

 しかし他ならぬ中心の言葉を聞き入れないという選択は、雲奎にはなかった。そのため自分の目で確認してみたいという気持ちが湧いてくる。


 そう思った雲奎は、九垓に告げた。


「九垓、明日の夜、宦官のふりをして瑞花に会う。できる限りばれないように取り計らってくれ」

「……それが陛下、その……瑞花様は明日、下級妃たちを招いて茶会を開く予定なのです」

「……は? 茶会? 何故」


 先ほども言ったように、瑞花の興味の範疇は甘味と書物、超常現象のみだ。なので後宮内の勢力争いに興味がない。それはつまり、茶会といった社交も行なわない、という意味である。

 そんな彼女が茶会を開くというのは、おかしいのだ。

 それはどうやら九垓も同じらしく、緊張した面持ちで口を開く。


「その、何かお考えがおありのようなのですが……わたしとしましては、とても嫌な予感がしておりまして。無礼を承知ですが陛下にお願いしたいことがございます」


 瑞花様の茶会を、見に来てはいただけませんか――



 ◇◆◇◆◇



 翌日。

 雲奎は急務を片付けてから、瑞花が茶会を開いているという庭園に来ていた。


 といっても、乱入するつもりはない。こっそり様子を窺おうと思ったのだ。

 九垓に頼まれたのもあるが、実際に瑞花の様子を見てみたかったのもある。それに雲奎も、何やら嫌な予感がしたのだ。


 それは雲奎の勘というよりかは、彼の体に流れる龍の血が騒いでいる感覚、というべきだろうか。

 こういったときには大抵、怪異騒動が起きる。

 そしてそれが、雲奎が巷で起きている少女連続失踪事件に怪異が絡んでいないと断言できる理由でもあった。


 龍の血は、同じ人ではないモノに反応して、ざわめく。


 そして今の雲奎は、それを久方ぶりに感じていた。


 後宮にそのようなモノ、いた覚えがないのだが。


 そう思いつつ、庭園の影に隠れて会場を見る。

 九垓が配慮してくれたのか、会場の周りには草木が多く近くにいたとしても隠れやすい。


 そうして数多の妃嬪たちの中から、雲奎は瑞花を見つけた。


 そして、ぞっとした。


 あれは……なんだ?


 なんだ、というのは、一瞬で瑞花のことが分かるくらい、彼女のまとう空気がどこか冷めていたからだ。

 微笑んでいるはずなのに、目が笑っていない。

 武器を持っているわけでもないのに、今にも人を殺してしまいそうな空気もあった。


 これは、九垓が心配するわけだ。


 問題は、瑞花がどうしてそうなったか、である。

 彼が現状思いつくのは二つ。


 一つ目の要因としては、死にかけたからだろう。もしかしたら、『死』というものが彼女に与える影響は、雲奎が想像するよりもずっと強いのかもしれない。


 そして二つ目。これは――彼女が、怪異に憑かれている可能性だ。


 そうすれば、雲奎が怪異を感知した理由にも説明がつく。

 しかし現状の実でそう断言するつもりはなかった。そのため、瑞花が挨拶を述べつつ主催として妃嬪たちをもてなす様子を伺っていたのだが。

 笑顔の瑞花が、円卓の上に一口大の茶菓子を置いた瞬間、寒気がした。


 そしてその予感違わず。瑞花は言う。


「こちら、今回の茶会のために特別に用意させていただいたものなのです」

「まあ。可愛らしいですね」

「そうでしょう? 実を言いますと、昨日……私の食事に盛られていたものと同じものが入っているのです」

「……え?」


 そう、とんでもないことを言った。

 大多数の妃嬪たちは目を丸くしているが、瑞花は笑いながら一つ、菓子をつまむ。


「それはそれは大変、情熱的なお味でした。……天に昇ってしまいそうなほど」

「……それって……っ」

「とっても素敵でしょう? ですから、皆様にもおすそ分けをしようと思いまして」


 そう言いながら、瑞花はつまんだ菓子を口にする。全員の視線が彼女の口元に寄せられるのが見て取れた。

 そしてそれは雲奎も同じだ。


 そんな瑞花はなんてことはない顔をして茶を一口飲むと、その場の全員に茶菓子を勧める。


「さあ、皆様もどうぞ、お取りください」

「……」

「ああ、ただ私も、どこにそれを入れたのかは覚えていないのです。もしそれを引いたのなら……大当たり、というわけですね」


 その口調を見て、雲奎は確信した。


 この少女は、自身の命を懸けて、この場にいるであろう毒殺未遂犯をあぶり出そうとしている。


 あまりにも無鉄砲で、しかしそれでいてとても効果的な作戦だ。犯人を炙り出せるし、周囲に牽制ができる。

 しかし。

 自分の身を賭けることそんなことをせずとも、犯人は見つけ出せるし、牽制もできるはずなのだ。

 少なくとも雲奎はそれができる。


 それにこの方法は有効ではあるが、同時に多くの敵を生み出す諸刃の剣だ。そこまでのことをする必要はない。


 命は尊いものであり、大切にするべきものだ。それが有限の命ならなおさら。


 その上、雲奎は今瑞花のことが気にかかっている。だからこそ。


 ――この少女は何がなんでも守らなければならない。


 そんな衝動に突き動かされ、体が勝手に動いていた。


「このような場所で茶会とは、よいな。わたしも混ぜてくれ」


 そう、なんてことはないふうを装って。

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